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2023年8月21日月曜日

養護老人ホームは重要です

養護老人ホームは,老人福祉法に定められる老人福祉施設です。


養護老人ホームの入所要件

65歳以上の者で,環境上の理由及び経済的理由により居宅において養護を受けることが困難なもの。


確実に覚えておきたいのは,養護老人ホームは,経済的理由を入所要件としていることです。


それでは,今日の問題です。


第24回・問題119

介護保険法が公布(平成9年12月17日)された時点での老人福祉法による高齢者福祉制度に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 65歳以上の者についての養護老人ホームや特別養護老人ホームへの入所又は入所の委託の措置は,都道府県が採っていた。

2 特別養護老人ホームに入所又は入所の委託の措置が採られるのは,低所得の者に限られていた。

3 特別養護老人ホームは,無料又は低額な料金で65歳以上の者を入所させ,常時の介護等を供与することを目的とする施設だった。

4 養護老人ホームは,65歳以上の者であって,身体上若しくは精神上又は環境上の理由及び経済的理由により居宅での養護が困難な者を入所させた。

5 65歳以上の者についての養護老人ホームや特別養護老人ホームへの入所又は入所の委託の措置に要する費用の8割は,国が負担していた。


古い問題で申し訳ないですが,とてもよい問題です。


しっかり覚えていきたいです。


それでは解説です。


1 65歳以上の者についての養護老人ホームや特別養護老人ホームへの入所又は入所の委託の措置は,都道府県が採っていた。


センスの良い問題です。

養護老人ホームや特別養護老人ホームの入所措置は,かつては都道府県の役割でした。


1990年(平成2年)の福祉関係八法改正では,養護老人ホームや特別養護老人ホームの入所措置は,都道府県知事が行っていたものを町村に権限移譲しました。


2 特別養護老人ホームに入所又は入所の委託の措置が採られるのは,低所得の者に限られていた。


低所得の者に限られていたのは,養護老人ホームです。


3 特別養護老人ホームは,無料又は低額な料金で65歳以上の者を入所させ,常時の介護等を供与することを目的とする施設だった。


無料又は低額な料金で65歳以上の者を入所させ,常時の介護等を供与することを目的とする施設は,軽費老人ホームです。


4 養護老人ホームは,65歳以上の者であって,身体上若しくは精神上又は環境上の理由及び経済的理由により居宅での養護が困難な者を入所させた。


これが正解です。

なお,現在は,身体上若しくは精神上が削除されて「環境上の理由及び経済的理由」となっています。


5 65歳以上の者についての養護老人ホームや特別養護老人ホームへの入所又は入所の委託の措置に要する費用の8割は,国が負担していた。


国の負担割合は,2分の1です。

ただし,現在は養護老人ホームへの国の負担はありません。

2023年8月20日日曜日

老人福祉法を極める~老人福祉法の成立

今日の高齢者の介護サービスの中心は,介護保険制度で提供されています。


そのため,老人福祉法は陰に隠れているような存在ですが,福祉を学ぶ我々にとっても老人福祉法は重要です。


余談ですが,介護保険制度で提供される介護保険サービスの中には,老人福祉法の規定によって認可され,介護保険法の規定によって介護保険サービスを提供する事業者として指定されるものもあります。


老人福祉法は介護保険制度ができる前までは,重要な制度であったことを示すような仕組みであると思います。


今回は,老人福祉法の成り立ちの問題を取り上げます。


それでは,今日の問題です。


第26回・問題128 

老人福祉法が制定された1963年(昭和38年)当時の状況に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 老人福祉法の制定に先立つ1960年(昭和35年)の国勢調査において,我が国の人口の高齢化率は7%を超え,高齢化社会に突入した。

2 老人福祉法では,市町村による老人家庭奉仕員に関する規定が置かれた。

3 老人福祉法において,特別養護老人ホームの制度が創設されたが,常時介護を要する者であれば,市町村の措置でなくても,施設との契約により入所することができた。

4 老人福祉法には,有料老人ホームに関する規定は設けられていなかった。

5 老人福祉法において,70歳以上の老人の医療費の一部負担分を国と地方自治体が支給することにより,1963年(昭和38年)から老人医療費は無料とされた。


こんなことを学んで,何になるの?


と思う人も多いのではないかと思います。


しかし社会福祉士が専門職であるためには,歴史を知ることが必要です。


歴史は,その専門職のサブカルチャーを構築するからです。


歴史を知らなくても,実務はできます。しかし,実務に直接かかわらないサブカルチャーがなければ,専門職にはなり得ません。


それでは解説です。


1 老人福祉法の制定に先立つ1960年(昭和35年)の国勢調査において,我が国の人口の高齢化率は7%を超え,高齢化社会に突入した。


日本が高齢化社会に突入したのは,1970年(昭和45年)です。


2 老人福祉法では,市町村による老人家庭奉仕員に関する規定が置かれた。


これが正解です。

老人家庭奉仕員とは,現在の訪問介護員のことです。

在宅福祉サービスが充実していくのは,1990年(平成2年)の福祉関係八法改正以降なので,老人家庭奉仕員制度の創設もこの辺りだと勘違いしないように気をつけることが必要です。


3 老人福祉法において,特別養護老人ホームの制度が創設されたが,常時介護を要する者であれば,市町村の措置でなくても,施設との契約により入所することができた。


老人福祉法の規定では,現在でも特別養護老人ホームの入所は,市町村の措置が必要です。


これは,当初から変わることはありません。


4 老人福祉法には,有料老人ホームに関する規定は設けられていなかった。


老人福祉法では,有料老人ホームが規定されていますが,老人福祉法の制定時に制度化されています。


老人福祉法では,老人ホームは,特別養護老人ホーム,養護老人ホーム,軽費老人ホーム,有料老人ホームの4つが規定されています。


そのうち,特別養護老人ホーム,養護老人ホーム,軽費老人ホームは,老人福祉施設です。


また,措置によって利用するのは,特別養護老人ホーム,養護老人ホームです。


このように分類することができます。


この問題には,養護老人ホームが出題されていませんが,老人福祉法では,養護老人ホームがとても重要です。


5 老人福祉法において,70歳以上の老人の医療費の一部負担分を国と地方自治体が支給することにより,1963年(昭和38年)から老人医療費は無料とされた。


いわゆる老人医療費無料化は,1973年(昭和48年)に実施されました。


老人医療費無料化は,対象が70歳以上であることも合わせて覚えておきたいです。

2023年2月21日火曜日

結局は・・・繰り返し・・・繰り返し・・・繰り返し・・・∞

日本の社会保障制度の中心は,社会保険制度です。

 

日本の社会保険制度は,終戦前にできたものと終戦後にできたものがあります。

 

終戦前にできたものは,

 

・健康保険

・国民健康保険

・厚生年金

 

の3つです。

 

戦後,これらを使って,皆保険・皆年金がつくり上げられました。

 

社会保障制度には,社会保険だけではなく税を財源とする社会扶助があります。

 

それでは,今日の問題です。

 

32回・問題49 日本の社会保障制度の歴史的展開に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 1950年(昭和25年)の社会保障制度審議会の勧告では,日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に充実すべきとされた。

2 1961年(昭和36年)に国民皆保険が実施され,全国民共通の医療保険制度への加入が義務づけられた。

3 1972年(昭和47年)に児童手当法が施行され,事前の保険料の拠出が受給要件とされた。

4 1983年(昭和58年)に老人保健制度が施行され,後期高齢者医療制度が導入された。

5 1995年(平成7年)の社会保障制度審議会の勧告で,介護サービスの供給制度の運用に要する財源は,公的介護保険を基盤にすべきと提言された。

 

この問題を見て,あれっと思う人もいるでしょう。

 

35回にそっくりの問題が出題されています。

 

国家試験問題は,かなりの部分が繰り返しとなっていますがこれはちょっと近すぎます。

 

正解は,選択肢5です。

 

5 1995年(平成7年)の社会保障制度審議会の勧告で,介護サービスの供給制度の運用に要する財源は,公的介護保険を基盤にすべきと提言された。

 

社会保障審議会の1995年勧告は,これで2回目の出題です。

 

この勧告で,公的介護保険の提言をしたかどうかはわからなくても,時期的には合っています。ちょっと難しめですが,ほかの選択肢は消去できるので,この選択肢が残ります。

 

それではほかの選択肢も確認します。

 

1 1950年(昭和25年)の社会保障制度審議会の勧告では,日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に充実すべきとされた。

 

日本の社会保障制度の中心は,社会保険制度です。

 

1950年勧告で示されたものを脈々と受け継いでいると言えるでしょう。

 

2 1961年(昭和36年)に国民皆保険が実施され,全国民共通の医療保険制度への加入が義務づけられた。

 

過去の出来事は,過去のことではなく,「今」につながっています。

 

今でも医療保険制度は,単一の制度とはなっていません。

 

3 1972年(昭和47年)に児童手当法が施行され,事前の保険料の拠出が受給要件とされた。

 

児童手当は,税を財源とする社会扶助です。社会保険と異なり,保険料は財源とされません。

 

4 1983年(昭和58年)に老人保健制度が施行され,後期高齢者医療制度が導入された。

 

後期高齢者医療制度ができたのは,2005(平成17),老人保健法が改正されて,「高齢者医療確保法」になったときです。

 

〈今日の一言〉

 

国家試験は,少しずつ重なっていて,少しずつ違う

 

35回・問題49 日本の社会保障の歴史に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。

1 社会保険制度として最初に創設されたのは,健康保険制度である。

2 社会保険制度のうち最も導入が遅かったのは,雇用保険制度である。

3 1950年(昭和25年)の社会保障制度審議会の勧告では,日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に充実すべきとされた。

4 1986年(昭和61年)に基礎年金制度が導入され,国民皆年金が実現した。

5 2008年(平成20年)に後期高齢者医療制度が導入され,老人医療費が無料化された。

 

32回・問題49 日本の社会保障制度の歴史的展開に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 1950年(昭和25年)の社会保障制度審議会の勧告では,日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に充実すべきとされた。

2 1961年(昭和36年)に国民皆保険が実施され,全国民共通の医療保険制度への加入が義務づけられた。

3 1972年(昭和47年)に児童手当法が施行され,事前の保険料の拠出が受給要件とされた。

4 1983年(昭和58年)に老人保健制度が施行され,後期高齢者医療制度が導入された。

5 1995年(平成7年)の社会保障制度審議会の勧告で,介護サービスの供給制度の運用に要する財源は,公的介護保険を基盤にすべきと提言された。

 

5つの選択肢のうち,3つが同じことを取り上げています。

 

1950年勧告に至っては,まったく同じ文章です。まったく同じ文章で出題されるのは,極めてレアです。

 

国家試験に出題されているものの多くは,過去にも出題しているものを,「手を変え,品を変え」出題し,そのほかに新しいものを混ぜます。

 

勉強してきたものの知識を使って,消去しながら答えにたどりつくことができるのが今の国家試験です。


決して難しいものを出題せずとも,知識不足だと消去することができないので,正解できません。そのようにして,受験者はふるいにかけられていきます。


これが今の国家試験です。

2022年12月15日木曜日

中央慈善協会とは?

中央慈善協会とは,全国社会福祉協議会の源流の一つです。

国内外の救済事業の調査,慈善団体や慈善家の連絡調整・指導奨励事業のほか,救済事業の専門誌『慈善事業』を発刊しました。


救護法の創設,実施に尽力した渋沢栄一は,現在の全国社会福祉協議会(全社協)の源流である中央慈善協会の初代会長を務めています。

  

 

全国社協

都道府県社協

市町村社協

1908

(明治41年)

中央慈善協会設立

初代会長は,渋沢栄一

1921

(大正10年)

社会事業協会

1924

(大正13年)

中央社会事業協会

1947

(昭和22年)

日本社会事業協会

全日本私設社会事業連盟との合併による

1951

(昭和26年)

中央社会福祉協議会

日本社会事業協会,全日本民生委員連盟,同胞援護会の合併による

都道府県社会福祉協議会設立

同年

社会福祉事業法によって,法制化

社会福祉事業法によって,法制化

1952

(昭和27年)

全国社会福祉協議会連合会

厚生省通知によって,設立が始まる

1955

(昭和30年)

全国社会福祉協議会

1962

(昭和37年)

『社会福祉協議会基本要項』で「住民主体の原則」が示される

1983

(昭和58年)

社会福祉事業法の改正で,法制化

1992

(平成4年)

『新・社会福祉協議会基本要項』で,「公私協働の原則」が示される

 

それでは,今日の問題です。

 

26回・問題33 地域福祉の発展過程に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 スラム地区などにおいて隣保館が普及したことが,隣保相扶を強調する恤救規則の制定につながった。

2 近代日本の代表的な労働運動家である片山潜が,東京の神田に開設した善隣館は,日本における友愛訪問活動の代表的な事例の一つである。

3 慈善事業を組識化した中央慈善協会は,当時の慈善救済活動の調査や団体相互の連絡などを行い,現在の共同募金会の源流とされている。

4 岡山県知事の笠井信一が創設した済世顧問制度は,石井十次による岡山孤児院での取組を参考にして制度化された。

5 民間の篤志家が個別的援助と社会測量を行う方面委員制度は,小河滋次郎がドイツのエルバーフェルト制度を参考に考案した制度とされている。

 

知識がないと5分の1以上の確率で正解することはできないでしょう。

 

正解は,選択肢5です。

 

5 民間の篤志家が個別的援助と社会測量を行う方面委員制度は,小河滋次郎がドイツのエルバーフェルト制度を参考に考案した制度とされている。

 

方面委員制度は,大阪府知事の林市蔵が小河滋次郎の協力でつくられました。

 

岡山県でつくられた再生顧問制度とともにドイツのエルバーフェルト制度を参考にしてつくられたものです。

 

それでは,ほかの選択肢を解説します。

 

1 スラム地区などにおいて隣保館が普及したことが,隣保相扶を強調する恤救規則の制定につながった。

 

隣保館とは,セツルメントのことです。

 

恤救規則ができたときには,世界初とされるイギリスのトインビー・ホールもまだできていません。

 

2 近代日本の代表的な労働運動家である片山潜が,東京の神田に開設した善隣館は,日本における友愛訪問活動の代表的な事例の一つである。

 

片山潜が開設したのは,キングスレー館です。

 

3 慈善事業を組識化した中央慈善協会は,当時の慈善救済活動の調査や団体相互の連絡などを行い,現在の共同募金会の源流とされている。

 

今日のテーマの中央慈善協会の登場です。

 

中央慈善協会は,現在の全国社会福祉協議会の源流の一つです。

 

4 岡山県知事の笠井信一が創設した済世顧問制度は,石井十次による岡山孤児院での取組を参考にして制度化された。

 

先述のように,岡山県の済世顧問制度と大阪府の方面委員制度は,ともにドイツのエルバーフェルト制度を参考にして制度化しました。

2022年11月14日月曜日

行旅病人及行旅死亡人取扱法とは

行旅病人及行旅死亡人取扱法は,1899年・明治32年にできた法律ですが,なんとなんと今も現役です。


この法律は,行旅病人と行旅死亡人の取り扱いを市町村が行うことを定めたものです。


行旅とは,本来は旅人を意味しますが,この法律では,住所や氏名がよく分からない人を指し,対象は旅人に限りません。


住所や氏名がよく分からない病人がいた場合は,市町村が救護します。

住所や氏名がよく分からない死亡人がいた場合は,市町村が火葬します。


現在だと,身元不明の遺体が発見された場合に適用されます。


それでは,今日の問題です。


第30回・問題24 次のうち,日本の社会福祉制度に関する歴史の記述として,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則(1874年(明治7年))は,政府の救済義務を優先した。

2 行旅病人及行旅死亡人取扱法(1899年(明治32年))は,救護法の制定によって廃止された。

3 感化法の制定(1900年(明治33年))を機に,内務省に社会局が新設された。

4 救護法(1929年(昭和4年))における救護施設には,孤児院,養老院が含まれる。

5 児童虐待防止法(1933年(昭和8年))は,母子保護法の制定を受けて制定された。


歴史が苦手な人は,年号を覚えるのが苦手なように思います。


以前は,以下のような出題がありました。


第21回・問題101 児童福祉分野の法律等の制定に関する次の記述のうち,年代の古い順に並べたときに第3番目に位置するものとして,正しいものを一つ選びなさい。

1 「児童手当法」が制定される。

2 「児童扶養手当法」が制定される。

3 「児童虐待の防止等に関する法律」が制定される。

4 「次世代育成支援対策推進法」が制定される。

5  「児童憲章」が制定される。


年号を覚えなければならないと指導する先生は,こういった問題が出題されていた頃に資格を取った人ではないかと思います。


しかし,近年の社会福祉士の国家試験では,年号を覚えておかなければ解けない問題はほとんどありません。


必要以上に恐れることはありません。覚えておきたいのは,おおよその時代です。それで十分です。

この問題の正解は「1 「児童手当法」が制定される」です。昭和40年代にできました。


それでは,今日の問題の解説です。


1 恤救規則(1874年(明治7年))は,政府の救済義務を優先した。


恤救規則は,相扶と地縁や血縁による相互扶助(隣保いう)が優先され,誰にも頼ることができない「無告の窮民」を救済しました。


政府が救済義務を負うことになったのは,日本国憲法で生存権を規定してからです。つまり,現行生活保護法だということになります。


2 行旅病人及行旅死亡人取扱法(1899年(明治32年))は,救護法の制定によって廃止された。


今日のテーマが登場しました。この法律は前説の通りに現役です。


この選択肢には,実は元ネタが存在しています。


第24回・問題59・選択肢1

死亡した被保護者が単身世帯の場合には,行旅死亡に準じて取り扱われ葬祭扶助は行われない。


行旅死亡というのが,行旅死亡人です。行旅病人及行旅死亡人取扱法が現役である理由は,身元不明者の死亡を取り扱っているからです。


3 感化法の制定(1900年(明治33年))を機に,内務省に社会局が新設された。


感化法は,感化院(現在の児童自立支援施設)を規定したものです。


内務省社会局は,その後分離独立して厚生省となったものですが,歴史を紐解くと,軍事救護法(1917年)の事務を取り扱うために内務省に救護課が置かれたのが始まりです。


その後,取り扱い事務を増やすために社会課となり,社会局に格上げされ,1938年に厚生省になりました。


4 救護法(1929年(昭和4年))における救護施設には,孤児院,養老院が含まれる。


これが正解です。


救護法は自宅救護が基本ですが,救護施設(現在の保護施設のこと)が規定されたことが重要です。


この時に,孤児院(現在の児童養護施設),養老院(現在の養護老人ホーム)などが規定されました。


5 児童虐待防止法(1933年(昭和8年))は,母子保護法の制定を受けて制定された。


戦前の児童虐待防止法は,世界大恐慌で疲弊した農村などで起きた子どもの身売りなどの問題に対応するためのものです。


一方,母子保護法は,1937年(昭和12年)に制定されたものです。この時期に日中戦争が起こり,母性には丈夫な赤ちゃんを産んでもらうために制定されたものです。


母子保護法は,女性活動家などが制定を求めて運動しましたが,制定のきっかけは,母性の保護というよりは,戦争がらみで丈夫な兵士を必要とされたことです。


戦争は良いことではありませんが,日本の社会保障制度の発展を考えたとき,戦争がらみで制定されたものがあり,現在でもそれが残っているものがあります。


たとえば,国民健康保険,厚生年金がその例です。

2022年11月13日日曜日

わが国の救貧制度の歴史

社会福祉士の国家試験で,近代日本(明治以降)の救貧制度が問われるのは,

①恤救規則

②救護法

③旧・生活保護法

④新・生活保護法

の4つです。


それでは前説なしにそれぞれに関連した今日の問題です。


第27回・問題25 救貧制度の対象者として,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則(1874年(明治7年))では,身寄りのある障害者も含まれた。

2 軍事救護法(1917年(大正6年))では,戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。

3 救護法(1929年(昭和4年))では,労働能力のある失業者も含まれた。

4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))では,素行不良な者も含まれた。

5 現行生活保護法(1950年(昭和25年))では,扶養義務者のいる者も含まれる。


この問題はセンスの良いものです。

歴史問題のように見せかけて,実は現在の制度が問われています。

それで正解はわかってしまいますが,選択肢5が正解です。

5 現行生活保護法(1950年(昭和25年))では,扶養義務者のいる者も含まれる。


救護法及び旧生活保護法では,扶養義務者のいる者は救済しませんでした

しかし,現行生活保護法で,補足性の原理「扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は,すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする」が規定されていますが,扶養義務者が扶養できない場合は,保護の対象となります。


それでは,ほかの選択肢を確認します。


1 恤救規則(1874年(明治7年))では,身寄りのある障害者も含まれた。


恤救規則の対象は,無告の窮民(頼るものがない人)です。身寄りのあるものは救済しませんでした。


2 軍事救護法(1917年(大正6年))では,戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。


軍事救護法の対象は,日露戦争で多く発生した傷痍軍人(戦死も含む)本人,その家族です。


内縁の妻が対象になるかはわからないと思いますが,官僚制の一つには文書主義です。文書がない内縁の妻を救済しようと思っても,内縁関係を証明できないのでかなりハードルが高くなってしまいます。という理由ではないと思いますが,ともかく内縁の妻は対象外でした。

★官僚制:ウェーバーが示したもので,組織を機能させる原理のこと。


3 救護法(1929年(昭和4年))では,労働能力のある失業者も含まれた。


救護法及び旧生活保護法では,労働能力のある失業者は含まれていませんでした。


国家試験にはたった一度しか出題されたことはありませんが,,労働能力のある失業者がわが国で初めて対象となったのは,「活困窮者緊急生活援護要綱」(1945・昭和20年)です。

そういった意味ではこの要綱は重要ですが,国家試験でほとんど出題されていないのは,法ではないからなのかもしれません。


4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))では,素行不良な者も含まれた。


救護法及び旧生活保護法では,素行不良者は,救済の対象とされませんでした。

旧生活保護法は,無差別平等が規定されていましたが,実際には,救護法に引き続き,欠格条項が規定されていました。現生活保護法と異なり,旧生活保護法の無差別平等は,原理ではないからです。


旧生活保護法

第一条

この法律は,生活の保護を要する状態にある者の生活を国が差別的又は優先的な取扱をなすことなく平等に保護して,社会の福祉を増進することを目的とする。

第二条

左の各号に該当する者には,この法律による保護は。これをなさない。

一 能力があるにもかかわらず,勤労の意思のない者,勤労を怠る者その他生計の維持に努めない者

二 素行不良な者


これに対して,現生活保護法には「無差別平等の原理」が規定されています。


現生活保護法

第二条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。


原理とは,例外を認めないものです。つまり,困窮に至った理由は問われることなく,困窮の事実に基づき,最低限度の生活を保障するために保護を実施します。

生活に問題がある場合には,保護を実施したあとで「自立の助長」に向けて,必要な指導,指示が行われます。

なお,自立とは,経済的自立に限定されるものではありません。
自立には,自分のことは自分でできる「日常生活自立」,社会の一員として生活できる「社会生活自立」もあります。

就労できない高齢者や障害者などは就労による経済的自立を望むことはできません。しかし,この考え方によれば,そういった被保護者であっても自立は可能です。

2022年4月13日水曜日

歴史は苦手?

歴史を苦手だという人は多いですが,法制度のように改正はありません。


そしてそんなに昔の話ではありません。しっかり覚えて得点源にしたいものです。


それでは今日の問題です。


第31回・問題53 医療保障制度の歴史的展開に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 健康保険法(1922年(大正11年))により,農業従事者や自営業者が適用対象となった。

2 老人福祉法(1963年(昭和38年))により,国民皆保険が実現した。

3 老人保健法(1982年(昭和57年))により,高額療養費制度が創設された。

4 介護保険法(1997年(平成9年))により,老人保健施設が創設された。

5 健康保険法等の改正(2006年(平成18年))による「高齢者医療確保法」により,75歳以上の高齢者が別建ての制度に加入する後期高齢者医療制度が創設された。

(注) 「高齢者医療確保法」とは,「高齢者の医療の確保に関する法律」のことである。


この問題は歴史問題に見えますが,現行制度を絡めて出題したものです。


気がつきますか?


それでは,解説です。


1 健康保険法(1922年(大正11年))により,農業従事者や自営業者が適用対象となった。


現役世代の医療保険制度は,健康保険と国民健康保険があります。


健康保険 → 被用者が対象


国民健康保険 → 自営業者等が対象


この関係は,制度が成立した最初から今も同じです。


2 老人福祉法(1963年(昭和38年))により,国民皆保険が実現した。


国民皆保険が実現したのは,1958年(昭和33年)の国民健康保険法(新法)の施行です。

未実施だった市町村に実施を義務づけたことで,皆保険が実現しています。


1959年(昭和34年)の国民年金法が1961年(昭和36年)に施行されたことで,皆保険・皆年金の体制が出来上がりました。


3 老人保健法(1982年(昭和57年))により,高額療養費制度が創設された。


高額療養費制度は,福祉元年と呼ばれた1973年にできたものです。


4 介護保険法(1997年(平成9年))により,老人保健施設が創設された。


現在の介護老人保健施設は,介護保険法が根拠法ですが,創設されたのは,老人保健法の1986年改正です。


5 健康保険法等の改正(2006年(平成18年))による「高齢者医療確保法」により,75歳以上の高齢者が別建ての制度に加入する後期高齢者医療制度が創設された。


これが正解です。


〈今日の一言〉

戦前からあった制度を利用して皆保険も皆年金も作られました。そのため,ほかの社会保険制度よりも複雑です。

覚えるのが大変ですが,その分,ほかの受験生と差をつけやすいとも言えます。

2020年12月22日火曜日

障害者福祉の歴史的発展

今回は,わが国の障害者福祉の歴史を取り上げます。


わが国の障害者福祉の始まりは,1949(昭和24)年の身体障害者福祉法だと言えるでしょう。


それ以前は,救貧制度の対象でした。


障害者の入所施設の始まりは,1960(昭和35)年の精神薄弱者福祉法(現在の知的障害者福祉法)です。


その後,1960年代に重度障害児・者の入所施設ができていきます。


それでは,今日の問題です。


第28回・問題58 障害者福祉制度の発展過程に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 身体障害者福祉法(1949年(昭和24年))では,国に身体障害者更生援護施設の設置が義務づけられた。

2 東京パラリンピック(1964年(昭和39年))の開催を契機に,知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスが法制化された。

3 社会福祉基礎構造改革の理念に基づき,大規模コロニー計画が進められた。

4 障害者基本法の改正(2004年(平成16年))で,同法による障害者の範囲に難病等の者も含まれるようになった。

5 「障害者総合支援法」の施行により,重度訪問介護の対象者が障害児にも拡大された。

(注) 「障害者総合支援法」とは,「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」のことである。


勉強不足の人は,勘で正解できるような問題ではありません。

勉強している人も正解はそんなに簡単ではないでしょう。


なぜなら,正解はびっくりのものだからです。


1 身体障害者福祉法(1949年(昭和24年))では,国に身体障害者更生援護施設の設置が義務づけられた。


身体障害者更生援護施設という聞いたことのないものが出題されています。


聞いたことがないのは,当然だと言えるかもしれません。

なぜなら,現在は,「身体障害者社会参加支援施設」と名称が変わっているからです。


1950年当時,身体障害者更生援護施設として,以下の施設が規定されました。

①身体障害者更生指導施設

②中途失明者更生施設

③身体障害者収容授産施設

④義肢装具製作施設

⑤点字図書館

⑥点字出版施設


これらは覚える必要はありません。


このあと,1951年に社会福祉法人ができたことで,民間の身体障害者更生援護施設が設立されていくことになります。


それではほかの選択肢も見てみましょう。


2 東京パラリンピック(1964年(昭和39年))の開催を契機に,知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスが法制化された。


スペシャルオリンピックスが法制化されているなら,もっと有名なはずです。

必ず勉強の過程で出てきたはずです。

しかし,そうではありません。

なぜなら,法制化されていないからです。


3 社会福祉基礎構造改革の理念に基づき,大規模コロニー計画が進められた。


社会福祉基礎構造改革は,1990年代に行われたものです。


大規模コロニーは,1960年代から始まり,「社会福祉施設整備緊急5カ年計画」(1971~1950年)で広がっていきます。


4 障害者基本法の改正(2004年(平成16年))で,同法による障害者の範囲に難病等の者も含まれるようになった。


障害者基本法には,難病等は今でも入っていません。

なぜなら,障害者基本法は,施策の方向性を定めるものなので,サービスを規定するものではないからです。

障害者総合支援法で難病等が含まれた理由は,難病患者は,制度のはざまにあり,障害福祉制度を利用するのは困難だったためです。


5 「障害者総合支援法」の施行により,重度訪問介護の対象者が障害児にも拡大された。


障害児は今も対象には含まれません。

重度訪問介護の対象に加わったのは,重度の知的障害者と精神障害者です。

2020年2月20日木曜日

日本の社会保障制度の中心は社会保険制度です~その3

試験委員が変わっても,その筋の一流の先生方が考えることは,似たようなものになるのかもしれません。

第32回で出題された問題です。

第32回・問題49 日本の社会保障制度の歴史的展開に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 1950年(昭和25年)の社会保障制度審議会の勧告では,日本の社会保障制度は租税を財源とする社会扶助制度を中心に充実すべきとされた。

2 1961年(昭和36年)に国民皆保険が実施され,全国民共通の医療保険制度への加入が義務づけられた。

3 1972年(昭和47年)に児童手当法が施行され,事前の保険料の拠出が受給要件とされた。

4 1983年(昭和58年)に老人保健制度が施行され,後期高齢者医療制度が導入された。

5 1995年(平成7年)の社会保障制度審議会の勧告で,介護サービスの供給制度の運用に要する財源は,公的介護保険を基盤にすべきと提言された。

この問題の正解は,選択肢5です。

この問題の解説
https://fukufuku21.blogspot.com/2020/02/blog-post_18.html


第27回には以下の問題が出題されています。


第27回・問題50 社会保障制度に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 1950年の社会保障制度審議会勧告は,日本の社会保障制度について,租税を財源とした社会扶助制度を中心に充実させるとした。

2 1952年の「ILO第102号条約」では,社会保障の給付事由の一つとして,すでに日本の介護保険法にいわれる意味での要介護状態にあることを挙げていた。

3 1962年の社会保障制度審議会勧告は,社会保障制度の体系化を構想し,社会福祉対策を「一般所得階層に対する施策」として位置づけた。

4 1981年の「難民条約」の批准に伴う法整備により,国民年金法,児童手当法,児童扶養手当法,「特別児童扶養手当法」から国籍要件が削除された。

5 1995年の社会保障制度審議会勧告は,後期高齢者医療制度の創設を提言した。

この問題の正解は,選択肢4です。


第27回の問題に関する記事

https://fukufuku21.blogspot.com/2017/11/blog-post_27.html
https://fukufuku21.blogspot.com/2018/03/31.html

根底に流れるのは,日本の社会保障制度の中心は,社会保険制度である,ということです。

それらは,社会保障制度審議会の50年勧告に従ったものです。


<今日の一言>

歴史に関する問題は,どの科目でも出題されます。

それは流れをつかむことで,制度全体の理解を促すためです。

過去は過去の出来事ではなく,今につながっています。

2019年11月30日土曜日

社会福祉士の国家試験で絶対に押さえておきたい人名~児童福祉五人衆

参考書には,たくさんの人名が記載されています。
それらを覚えなければいけないと思うかもしれません。

もちろん覚えないよりも覚えた方が良いに決まっています。

しかし,社会福祉士の国家試験に出題されるのは,ほとんどがいわゆる一見さんです。
また,人名を覚えておかなければ答えられない問題はほとんどありません。

そんなところに時間をかけるなら,法制度をしっかり覚えたほうが良いです。

しかし,悪いことに,歴史や概論的な内容は,科目の最初にあります。国試で合格するために重要なのは,法制度です。

歴史や概論の部分で疲弊してしまって,本来十分に時間をかけて覚える必要がある法制度が覚える時間がなくなるのでは,本末転倒です。

中学校の歴史の授業のようなものです。

古代に時間をかけて,受験で重要な近代を教える時間がなくなってしまったということと同じです。

今の時点で苦手意識を持っているとすれば,それを克服するほどの時間はありません。
1・2点のために,貴重な時間を費やすのは適切ではないと思います。

多くの受験生は,歴史も人名も苦手です。

合格する人は,苦手な部分があっても,得点しなければならないものは,しっかり押さえています。

人名で絶対に押さえておきたいのは,児童福祉に関連する5人(児童福祉五人衆)です。

石井十次
石井亮一
留岡幸助
野口幽香
糸賀一雄

の五人です。

5人くらいなら,何とかなりませんか?

こういった人を覚えなければならないのには意味があります。

「社会理論と社会システム」や「心理学理論と心理的理論」(現時点の科目名)は,目に見えない,あるいは目に見えているものに印をつけた人(つまり提唱者)であるのに対し,この領域の人は,理論家や研究者ではなく,実践者です。

現在の福祉現場にいる人にとってはイメージしにくいかもしれませんが,法制度で守られた中でその人たちが活動したのではなく,逆にその実践が法制度をつくることにつながったものさえあります。

コミュニティを定義した人は多くいるかもしれません。

しかし,家庭学校をつくったのは,留岡幸助しかいません。

滝乃川学園をつくったのは,石井亮一しかいません。


ということで,今日の問題です。

第26回・問題138 我が国の児童福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 高木憲次は,愛知県北西部から岐阜県下にかけて大きな被害をもたらした濃尾大震災の孤児を救済するために,光明学校を設立した。

2 留岡幸助は,少年教護法の制定後,非行少年の教護事業を目的とした家庭学校を東京巣鴨に設立した。

3 石井亮一は,アメリカの発達保障の理論を持ち帰り,近江学園を設立した。

4 山室軍平は,イギリスのバーナード(Barnard,T.)が建てたビレッジ・ホームを模した小舎制のキングスレー館を設立した。

5 野口幽香は,貧困家庭の子ども等,不幸な境遇にある子女に対して幼児教育を行うために,二葉幼稚園を設立した。


五人衆以外に出題されているのは,高木さんと山室さんです。

高木さんは,整形外科医であり,肢体不自由児の父と呼ばれる方です。
日本で初めての肢体不自由児療育施設を創設しました。

山室さんは,岡山四聖人と呼ばれ中の一人で,社会鍋で知られる救世軍の指導者です。
軍という名称がついていますが,軍隊ではありません。

岡山四聖人は,石井十次さん(岡山孤児院),留岡幸助さん(家庭学校),A.アダムスさん(岡山博愛会),そして山室軍平さん(救世軍)です。

留岡さんは,東京と北海道で活躍しますが,ルーツは岡山にあります。
それにしてもすごい人が集まったものですね。

こういったところには,正解があることはあまりありません。

この問題の正解は,

5 野口幽香は,貧困家庭の子ども等,不幸な境遇にある子女に対して幼児教育を行うために,二葉幼稚園を設立した。

ほかの選択肢も見てみましょう。


1 高木憲次は,愛知県北西部から岐阜県下にかけて大きな被害をもたらした濃尾大震災の孤児を救済するために,光明学校を設立した。

高木さんが創設したのは,日本で最初の肢体不自由児施設となった整肢療護園です。


2 留岡幸助は,少年教護法の制定後,非行少年の教護事業を目的とした家庭学校を東京巣鴨に設立した。

現在の児童自立支援施設は,1900年の感化法で感化院が法で規定されて,1933年の少年教護法で少年教護院となり,戦後,児童福祉法で教護院,1998年の改正で現在の名称になりました。

留岡さんは,法規定されてから家庭学校を設立したのではありません。もしそうだったら,国家試験に何度も何度も出題されるようなことはないでしょう。

法に規定されずに慈善事業として活動したところに国試に出題される価値があります。


3 石井亮一は,アメリカの発達保障の理論を持ち帰り,近江学園を設立した。

石井(亮)さんが設立したのは,滝乃川学園です。同学園は現存します。
初代理事長になったのは,一万円札の渋沢栄一です。

渋沢さんは,現在の全国社会福祉協議会の源流の一つである中央慈善協会の初代会長でもあります。

近江学園を設立したのは,糸賀一雄さんです。


4 山室軍平は,イギリスのバーナード(Barnard,T.)が建てたビレッジ・ホームを模した小舎制のキングスレー館を設立した。

山室さんは,先述のように,救世軍の日本における指導者です。

ビレッジ・ホームを模して創設したのは,石井(十)さんの岡山孤児院です。
セツルメントハウスであるキングスレー館を設立したのは,キングスレー館です。


<今日の一言>

今日の問題の解説の詳細はこちらにあります。
  ↓   ↓
https://fukufuku21.blogspot.com/2017/07/blog-post_31.html

児童福祉五人衆の出題頻度をまとめたものはこちらにあります。
  ↓   ↓
https://fukufuku21.blogspot.com/2018/02/20180217.html

人名はたくさん出題されますが,現在の国家試験で人名を覚えておかなければならない最優先は,この五人衆です。

人名が苦手だという人でも5人なら覚えられるでしょう。

どうしても覚えられないなら,親しみを持つため,ちょっとだけネットで調べてみるのもおすすめです。しかし,本当にちょっとだけですよ。はまったら大変なことになってしまいます。

2019年11月28日木曜日

国家試験に合格できる覚え方 合格できない覚え方

国家試験に合格するためには,国家試験で問われる内容を知っていなければなりません。
たくさんの知識があっても,国家試験で問われないものであったなら,得点することはできないでしょう。

つまり


国家試験に合格できる覚え方

 国家試験に出題されるポイントを確実に覚える

国家試験に合格できない覚え方

 国家試験に出題されないポイントを覚えようとしている


国試合格に必要なのは,正しい努力です。


今回から,数回にわたって,児童福祉の発展(つまり歴史)を取り上げます。

まずは今日の問題です。


第28回・問題137 日本の児童福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則では,15歳以下の幼者について,人民相互の情宜に頼らず,国家が対応すると規定した。

2 石井十次は,イギリスのベヴァリッジ(Beveridge,W.)の活動に影響を受けて岡山孤児院を設立した。

3 工場法では,18歳未満の者の労働時間を制限することを規定した。

4 児童虐待防止に関する最初の法律は,第二次世界大戦前につくられた。

5 児童憲章は,児童の権利に関するジュネーブ宣言を受けて制定された。

間違った覚え方

石井十次=岡山孤児院

といった単純化したものでは対応できません。

〇〇年に設立

という覚え方もまったく役に立ちません。

もちろんこういったものも出題されないとは限らないので,覚えないよりも覚えた方が良いに決まっていますが,重視するのは,その内容です。

過去問で勉強する意味は数多くありますが,出題のされ方を知ることは,とても重要なことです。

この問題の正解は,

4 児童虐待防止に関する最初の法律は,第二次世界大戦前につくられた。

1933(昭和8)年に作られています。

ほかの選択肢も見てみましょう。


1 恤救規則では,15歳以下の幼者について,人民相互の情宜に頼らず,国家が対応すると規定した。

間違いポイントは,2つ
恤救規則の対象
15歳以下 → 13歳以下

基本は「人民相互の情宜」

2 石井十次は,イギリスのベヴァリッジ(Beveridge,W.)の活動に影響を受けて岡山孤児院を設立した。

間違いポイント

ベヴァリッジ → バーナード

バーナードのことは知らずとも,ベヴァリッジではないという感性が必要です。


3 工場法では,18歳未満の者の労働時間を制限することを規定した。

間違いポイント
18歳未満の者 → 15歳未満の者

これを知らなくても,1911(明治44)年の工場法の時代,15歳なら立派なおとなだろうと思う感性が必要です。


5 児童憲章は,児童の権利に関するジュネーブ宣言を受けて制定された。

間違いポイント
児童憲章とジュネーブ宣言はとはかかわりを持ちません。

ジュネーブ宣言は,1924年に当時の国際連盟によるものです。
そんな以前のものを受けることはないでしょう。


<今日の一言>

年号を覚えても正解できる問題はありません。

おおよその時代が分かれば,それで十分です。

恤救規則と救護法を比較すると以下のようになります。

救済の対象
児童
高齢者
恤救規則
13歳以下
70歳以上
救護法
13歳以下
65歳以上

児童はいずれも13歳以下です。

戦前の児童虐待防止法(1933)の児童は,14歳未満とされていました。
戦前では,15歳はもう立派なおとな扱いされていたことがわかります。

現在の児童福祉法は,18歳未満です。

この違いはしっかり押さえておくことが必要です。

2018年9月5日水曜日

日本の救貧制度のあゆみ~その4

我が国の救貧制度の発展過程の最終回です。

覚えるべき法制度は,恤救規則(1874),救護法(1929),旧・生活保護法(1946),現・生活保護法(1950)の4つです。

そのうち,第二次世界大戦後に成立したのは,新旧生活保護法です。

旧・生活保護法は,GHQによる指令書「社会救済に関する覚書」(SCAPIN775)で示された「国家責任」「無差別平等」「公私分離」「救済費用無制限」の4原則に基づいて成立したものです。

人によって「国家責任」「無差別平等」「公私分離」の3原則と解釈する人もいるので,原則の内容を詳しく問われることはありません。

そのためなのか,実際に法に規定されたのは,国家責任と無差別平等で,公私分離と救済費用無制限は反映されていません。

話をすすめます。

旧・生活保護法が恤救規則と救護法と大きく違う点は,この2つは救済は国家の恩恵であることを強調していたのに対し,旧法では,国家責任であることを明確に示したことです。

それによって,保護の費用の国の負担は,救護法の2分の1に対して,10分の8まで引き上げられています。

保護基準は,経済安定本部が定めた世帯人員別の標準生計費を基に算出した「標準生計費方式」が採用されました。

その後,ラウントリーの貧困調査でおなじみの「マーケットバスケット方式」(最低生活を営むために必要な飲食物費などの品目を積み上げて最低生活費を算出する方式)に変更されています。

この方式は,新法でも採用されて,1961年にエンゲル方式(エンゲル係数の理論値から逆算して最低生活費を算出する方法)に変わるまで続きます。

エンゲル方式に変わるきっかけをつくったのは,人間裁判と呼ばれた「朝日訴訟」です。

さて,それでは今日の問題です。

第24回・問題56 旧生活保護法(昭和21年)の内容に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 第1条の保護の目的は,最低生活の保障と無差別平等であった。

2 保護を行う責任は,都道府県知事によることとされていた。

3 教育及び住宅に関する保護は,生活扶助に含まれていた。

4 国家責任を明確にする目的から,保護費のすべてを国が負担していた。

5 数次の基準改訂を行い,エンゲル方式による最低生活費の算定方式の導入を行った。


扶助の種類を知っていることがこの問題を正解に導くものでした。

それでは,解説です。

1 第1条の保護の目的は,最低生活の保障と無差別平等であった。

こういう問題があると,第〇条は●●,第△条は▲▲,と覚えなければならないと思う人もいるでしょう。

しかし,そんな細かい出題は,絶対にしません。

ここで重要なのは,現・生活保護法は,日本国憲法第25条の生存権規定「国家による最低限度の生活保障」を具現化するためにつくられたということです。

旧法では,日本国憲法よりも先に作られているため「最低生活の保障」という考えはありません。

よって間違いです。


2 保護を行う責任は,都道府県知事によることとされていた。

保護は,市町村が行いました。これは救護法と同じです。

補助機関は,民生委員の前身である方面委員でした。


3 教育及び住宅に関する保護は,生活扶助に含まれていた。

これが正解です。少し難しいですが,消去法を使うとこれしか残りません。

救護法 → 生活扶助,医療扶助,助産扶助,生業扶助,それに埋葬費

旧・生活保護法 → 生活扶助,医療扶助,助産扶助,生業扶助,葬祭扶助

現・生活保護法 → 旧法プラス住宅扶助,教育扶助(現在は介護扶助が加わる)

新旧法で違う点は,住宅扶助と教育扶助です。それが旧法では生活扶助に含まれていたといことなのでしょう。


4 国家責任を明確にする目的から,保護費のすべてを国が負担していた。

保護費の国の負担は,10分の8です。よって間違いです。

現在は4分の3です。この時よりも下がっていますが,それでも他の制度から比べると負担は大きいものです。


5 数次の基準改訂を行い,エンゲル方式による最低生活費の算定方式の導入を行った。

エンゲル方式は,現・生活保護法の方式です。

旧法では,理論生計費方式が採用されて,その後マーケットバスケット方式に変更されました。

よって間違いです。


<今日の一言>

旧・生活保護法は,無差別平等を原則としながら,欠格条項がある,また保護請求権が認められていないなど,救護法の内容を引き継いだ内容となっています。

これからの課題があったため,旧法を廃止して現在の生活保護法が作られたのです。

次回からは,現・生活保護法を紹介していきます。

2018年9月4日火曜日

日本の救貧制度のあゆみ~その3

今回も我が国の救貧制度の発展過程を紹介します。

今日取り上げる問題は,合格基準点が72点,合格率が18.8%を記録した第25回のものです。

第30回国試は,合格基準点が99点となり,いろいろな問題を醸し出しましたが,この第25回国試は,現在の国試のスタイルに変化していく出発点となったものです。

今日は前説なしで問題を見ていただきます。


第25回・問題64 我が国における戦前の低所得・貧困者救済の内容に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。

2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。

3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。

4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。

5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。


次回も我が国の救貧制度の発展過程を取り上げますが,現行カリキュラムで出題された同様の問題の中ではこの問題が飛び切り難しいです。

なぜなら,それまでに出題されたことがないものが正解選択肢になったからです。

それでも選択肢を一つひとつ丁寧に読めば,それなりにヒントはあるので,正解にたどり着くことができます。

しかし,この第25回は,現在の国試問題よりも多くの文字数を使って作成されていたので,読む時間はかなりかかっていました,

今日の問題は,それでもまだ短い方の問題ではありますが,その分内容が難しくなっています。

第30回国試で,合格基準点が99点になったことで,どんな勉強をすればよいのか,方向が見えなくなっている人もいるみたいです。

しかし,勉強すべき内容はまったく変わるものではありません。

多くの人が取れる問題で取りこぼしをしないように,基礎力をとにかくつけていくことです。

それは国試問題がどう変わろうとも変わることのない真実です。


第31回国試の試験委員は,前回からほとんど変わっていません。ということは,急に問題が長くなるということはないでしょう。

それではどのようにすると,正解率を下げることができるのでしょうか。

それには,もっともらしい間違い選択肢を一つ混ぜることです。

それによって,受験生は混乱し,正しい判断ができなくなります。

この試験委員が仕掛けるトラップをうまく避けるためには,基礎力をつけることしかないのです。

各選択肢の文字数を極力そろえたり,表現をそろえたり,「のみ」や「すべて」などは使わないなど,日本の表現上による破たんをきたさないように,丁寧に問題が作られています。

勘の良さで解ける問題ではないので,勉強不足は命取りとなります。

それを肝に銘じて,確実に合格への階段を上っていきましょう。

それでは解説です。


1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。

これは間違いです。恤救規則による救済の方法は米代の現金給付です。

2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。

これも間違いです。

方面委員制度は,2018年,つまり今年で創設100年です。

1918年に発生した米騒動は,民衆の力を政府に知らせるきっかけとなりました。

それによって政府による福祉行政が展開されていくことになります。

一方地方では,大阪府で方面委員制度ができます。

前年に創設された岡山県の済世顧問制度と同様に,現在の民生委員の源流です。

その後方面委員は全国に広まり,救護法によって,救護の補助機関となりました。

現在の保護の実施機関は,福祉事務所,補助機関は社会福祉主事,協力機関は民生委員です。


3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。

これが正解です。

この問題を難しくする理由は,さまざまな事業が列挙されていることです。

普通なら,これだけ列挙されていれば,その中の一つ,特に最後の一つは間違いのものを含むことが多いです。

しかし,これは正解です。

4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。

これは間違いです。

内務省に救護課ができたのは,1917年に成立した軍事救護法の事務を取り扱うためです。

先述のように,1918年に米騒動が起きたことで,1919救護課を社会課,1920年社会課を社会局に昇格。1938厚生省となります。

米騒動はとても重要な出来事です。


5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。

これは間違いです。軍事救護法は,一般の生活困窮者は対象としません。

1937年に軍事救護法は軍事扶助法に改正されて,第二次世界大戦に備えていくことになります。

<今日の一言>

2018年は,米騒動,方面委員制度創設から100年の節目の年です。

必ずどこかの科目で出題されるでしょう。

特に米騒動は,福祉行政の転換点となっています。

米騒動後には,初の平民宰相となった原敬内閣が設立し,さまざまな防貧政策が打ち出されていきます。

これらが,選択肢3で出題された,公設市場,公益質屋,公営浴場,職業紹介などです。

米騒動は,それまでの救貧政策から防貧政策へと切り替わるきっかけを作ったのです。

そして,1922年には,日本初の社会保険である「健康保険法」が出来ます。

米騒動の周辺には,軍事救護法も含めて,重要な施策が多く生まれています。

しっかり押さえておきたいです。




2018年9月3日月曜日

日本の救貧制度のあゆみ~その2

わが国の救貧制度の発展過程を理解するのに必要な法制度は

恤救規則(1874)
救護法(1929)
旧・生活保護法(1946)
現・生活保護法(1950)

の4つです。

恤救規則の救済は,「人民相互の情誼(じょうぎ)」=相互扶助です。今流に言えば「互助」です。

そのうえで互助の対象にならない,「無告の窮民」(頼るべき人がいない人)を救済しました。

極貧の障害者,70歳以上の老衰者,病人,13歳以下の孤児が対象です。救済したのは国です。

救護法の救済対象は,高齢者が65歳に引き下げられています。

この法では,扶助の種類が決められました。

生活扶助,医療扶助,助産扶助,生業扶助,それに埋葬費です。

救護機関は,市町村,補助機関は方面委員です。

養老院,孤児院などが救護施設として規定されましたが,基本は居宅での救済です。

旧・生活保護法は,GHQの指令書「SCAPIN775」に基づいて「無差別平等」が規定されました。

しかし実際には,能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は保護しないという欠格条項が設けられました。

この時までは,保護は職権で行われるものであり,保護を受ける権利は認められていませんでした。

旧・生活保護法の保護機関は市町村,補助機関は民生委員と定められています。

残る最後は,現在の生活保護法です。

日本国憲法第25条の生存権規定に基づき成立したもので,この時初めて保護請求権と不服申立制度が規定されています。

また欠格条項をなくして,本来の「無差別平等」が実現しています。

また,保護機関は福祉事務所,補助機関は社会福祉主事,協力機関は民生委員です。

それでは今日の問題です。

第28回・問題63 現在の生活保護法成立前の公的扶助制度に関する記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則(1874年(明治7年))は,高齢者については65歳以上の就労できない者を救済の対象とした。

2 救護法(1929年(昭和4年))は,救護を目的とする施設への収容を原則とした。

3 救護法(1929年(昭和4年))における扶助の種類は,生活扶助,生業扶助,助産の3種類であった。

4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))は,勤労を怠る者は保護の対象としなかった。

5 旧生活保護法(1946年(昭和21年))は,不服申立ての制度を規定していた。

日本の救貧制度のあゆみがよく分かるよい問題だと思います。

それでは解説です。


1 恤救規則(1874年(明治7年))は,高齢者については65歳以上の就労できない者を救済の対象とした。

老衰した高齢者の対象年齢は

恤救規則 → 70歳以上
救護法 → 65歳以上

よって間違いです。

孤児はいずれも13歳以下です。


2 救護法(1929年(昭和4年))は,救護を目的とする施設への収容を原則とした。

救護法では,救護施設を規定しましたが,居宅救護が原則です。よって間違いです。

居宅保護を原則とするのは,今も昔も共通です。


3 救護法(1929年(昭和4年))における扶助の種類は,生活扶助,生業扶助,助産の3種類であった。

扶助の種類は

救護法 → 生活扶助,医療扶助,助産扶助,生業扶助,それに埋葬費。よって間違いです。

旧・生活保護法 → 生活扶助,医療扶助,助産扶助,生業扶助,葬祭扶助。

現・生活保護法 → 生活扶助,医療扶助,助産扶助,生業扶助,葬祭扶助。+ 教育扶助,住宅扶助。現在はそれにさらにブラスして介護扶助が加わります。


4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))は,勤労を怠る者は保護の対象としなかった。

これが正解です。

旧・生活保護法は,無差別平等の原則を規定していましたが,同時に欠格条項も規定されていました。


5 旧生活保護法(1946年(昭和21年))は,不服申立ての制度を規定していた。

保護請求権と不服申立制度が規定されたのは,現・生活保護法です。よって間違いです。

旧法までは,保護を受ける権利は認められず,職権によって保護を行いました。


<今日の一言>

公的救済の国の費用負担割合

救護法 → 2分の1

旧・生活保護法 → 10分の8

現・生活保護法 → 4分の3

現・生活保護法の国の負担の4分の3は,生活困窮者自立支援法の必須事業の負担割合と一緒です。

2018年9月2日日曜日

日本の救貧制度のあゆみ~その1

日本の救貧制度のあゆみ~その1

日本が近代国家と呼べるようになったのは,明治以降です。

近世の日本は,徳川幕府を中心とした幕藩体制によって成り立っていたものを明治維新によって中央集権国家に生まれ変わったのです。

明治政府によって作られたのは,「恤救(じゅっきゅう)規則」(1874)です。

基本は相互扶助であり,誰も助けてくれない「無告の窮民」を国が救済するというものです。

救済方法は,米代の現金給付でした。

その後,第1回帝国議会の第1号法案として提出された窮民救助法案をはじめとしていくつかの法案がつくられましたが,いずれも廃案となっています。

驚くことに明治の初めに成立した恤救規則は,昭和まで存続します。

さて,昭和になって作られたのが「救護法」(1929)です。

恤救規則では施設は規定されませんでしたが,救護法では,居宅救護が原則ですが,救護施設として,養老院(現・養護老人ホーム),孤児院(現・児童養護施設)などが規定されました。

太平洋戦争が終結後は,GHQの指導によって福祉政策がすすめられていきます。

まず,「社会救済」(SCAPIN775)が発せられて,それに基づき,旧・生活保護法(1946)が成立しました。

その後,日本国憲法第25条の「生存権規定」に基づき,現・生活保護法(1950)が成立します。

発展過程を理解するのに必要な法制度は

恤救規則
救護法
旧・生活保護法
現・生活保護法

の4つだけです。

国試で問われるのは,それぞれの対象,欠格条項の有無,扶助の種類,民生委員(方面委員)の位置づけなどです。

各自で必ず整理しておきましょう。

それでは今日の問題です。

第23回・問題56 我が国の公的扶助制度の沿革に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 恤救規則(明治7年)では,生活に困窮する「無告の窮民」に対し米の現物給付を行った。

2 救護法(昭和4年)では,救護を受ける者は施設に収容することを原則とした。

3 救護法(昭和4年)では,救護の対象となる者について,扶養義務者が扶養できる場合には,急迫した場合を除き救護しないとされた。

4 旧生活保護法(昭和21年)では,能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は,急迫した場合を除き保護の対象から除外された。

5 旧生活保護法(昭和21年)では,日本国憲法に基づく健康で文化的な最低生活保障の考え方を導入した。

勉強が足りない人は,おそらくぜんぜん分からないはずです。

勉強が進んでいる人は,比較的簡単かもしれません。

国試で合格基準点を上回るためには,このようなことを一つひとつ積み上げていくことが極めて重要です。

勘を頼りに解ける問題は,限られています。

それでは,解説です。

1 恤救規則(明治7年)では,生活に困窮する「無告の窮民」に対し米の現物給付を行った。

恤救規則が救済にしたのは「無告の窮民」で正しいですが,救済の方法は米の現物給付ではなく,米代の現金給付です。

よって間違いです。


2 救護法(昭和4年)では,救護を受ける者は施設に収容することを原則とした。

救護法に限らず,現在も原則は,居宅保護です。よって間違いです。


3 救護法(昭和4年)では,救護の対象となる者について,扶養義務者が扶養できる場合には,急迫した場合を除き救護しないとされた。

救護法は,扶助の種類を定めるなど恤救規則よりもかなり進化しましたが,扶養義務者が扶養できる場合には,急迫した場合を除き救護しない,欠格条項として,能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は救護しないと定められました。

よって正解です。


4 旧生活保護法(昭和21年)では,能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は,急迫した場合を除き保護の対象から除外された。

旧・生活保護法は,GHQの指令書「社会救済」(SCAPIN775)で示された「無差別平等」が規定されましたが,実際には,能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は保護しないと定められました。急迫していても保護しません。よって間違いです。


5 旧生活保護法(昭和21年)では,日本国憲法に基づく健康で文化的な最低生活保障の考え方を導入した。

旧・生活保護法はSCAPIN775に基づいて成立しています。よって間違いです。

日本国憲法第25条に基づいて成立したのは,現・生活保護法です。

細かい話をすると,旧・生活保護法は1946年,日本国憲法が公布されたのは1946年ですが,施行されたのは1947年です。


<今日の一言>

日本の救貧制度は,恤救規則,救護法,旧・生活保護法,現・生活保護法を整理して覚えておきましょう。

たった4つだけです。

2018年8月27日月曜日

国試問題を分析してみた~その2

前回は,第25回と直近の第30回国試問題を比べてみました。

明らかに問題の作り方が違うことが分かるでしょう。

今回はさらに古い問題を紹介したいと思います。

第15回・問題21 イギリスにおける貧困と公的扶助に関する次の記述を古いものから年代順に並べた場合,その組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。

A ラウントリー(Rowntree,B.)は,ヨーク市の貧困調査を通じて労働者家族がその一生の中で経過する貧困の循環(ライフサイクル)を指摘した。

B 新救貧法において,労働能力のある貧民の救済は労役場への収容を原則とし,院外救済を禁止した。

C マルサス(Malthus,T.)は,『人口論』(初版)で,人口は幾何級数的に増加するが,食物は算術級数的にしか増加しないとし,人口増加の「自然法則」を根拠に,救貧法に異議を唱えた。

D ギルバート法では,労役場の非人間的な状況を改善するため,労役場を労働能力のない貧民の救済の場とし,労働能力のある貧民は救貧法外の雇用若しくは院外救済で行うとした。

1 「B→C→A→D」
2 「C→B→A→D」
3 「C→B→D→A」
4 「C→D→A→B」
5 「D→C→B→A」

旧カリキュラム時代には,このような歴史の問題のようなものが出題されていました。

このような問題が出題されたことがあるので,年号を覚えるための語呂合わせがあるのだと思います。

この問題を正しく並べることは,とても難しいです。

しかし,答えは分かります。

なぜなら,最も新しい時代の出来事は,ラウントリーによる貧困調査なので,選択肢3と5が残ります。

そして,次に新しい出来事は,新救貧法です。

その時点で,選択肢3が消去できて,選択肢5が残ります。

この問題の答えは,選択肢5です。

このような組み合わせ問題は,第20回国試を最後になくなりました。

カリキュラムは,第22回から今のものになりましたが,第21回国試は,既に新しい国試を見据えて作られています。

新しいカリキュラムはこのように出題します

ということをその前に示唆して,新しい国試に切り替わったと言えます。

さて,話を戻します。

旧カリキュラムの時の出題は,答えがはっきり分からなくても解ける問題があったということを示したいのです。

それは,あまり良い試験ではありません。

第15回国試は,国試の正答と合格基準点を公表した初めての国試です。

第15回国試では,合格基準点が91点,合格率は31.4%。

ただし,不適切問題が4問あったため,全員に4点加点されています。

現在の国試問題も正解がすぐ分かる問題であれば他の選択肢がよく分からなくても正解することはできます。

しかし,順番の並び替えは,ポイントさえ押さえておけば,今日の問題のように正解できます。
内容については問われていないからです。

第30回国試でも実は似たような問題が出題されています。

第30回・問題131 高齢者に関わる保健医療福祉施策に関する次の記述のうち,施策の開始時期が最も早いものを1つ選びなさい。
1 老人福祉法による70歳以上の者に対する老人医療費支給制度
2 老人保健制度
3 老人福祉法による65歳以上の者に対する健康診査
4 介護保険制度
5 高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)

正解は選択肢3です。

最も早いものはどれか,という出題は,今まで見られなかったタイプの問題スタイルです。

試験委員も苦労してさまざまな新しいスタイルの問題を出題してきます。

国家試験問題をつくるということはとても大変なことなのだと思います。

第15回と第30回国試問題をみると,年号を覚えなければならないと思うかもしれません。

もちろん年号を覚えていれば,安心でしょう。不安材料はなるべく消去しておきたいです。

しかし,本当に時間をかけて勉強しておきたいのは,法制度です。

優先度合いを間違うと,取り返しのつかないことになってしまいます。

年号をきっちり覚えることに時間はかけていてはもったいないです。

少なくても第15回のような問題は出題されないと断言できます。

2つの問題はタイプが似たように見えるかもしれませんが,内容はまったく違います。

第30回の出題スタイルは,これからも出題されるかもしれませんが,このような問題を正解するためには,年号を覚えるのではなく,その施策の内容を覚えることです。

第30回の国試のポイントは,老人保健は当初老人福祉法に含まれていたということです。

頭を柔らかくして問題を見てみると,老人医療費無料化は,老人福祉法を改正することで実現したことを考えると,答えにつながるヒントはあったかもしれません。


<今日のまとめ>

歴史は多くの人が苦手としています。

そういった問題で得点できれば,ほかの人と差をつけられるのは間違いありません。

しかし,ほかの人が正解できる問題を確実に正解していくことが,実は本当は一番大切なことなのです。

いつの時代も国試は難しいです。なぜなら試験委員は手を変え品を変え出題してくるからです。

それでも,出題基準の範囲をしっかり確実に覚えていけば,合格基準点を超えられます。

そこが最も重要なことです。

2018年7月29日日曜日

障害者福祉の発展過程(その5)~知的障害者福祉の発展過程の整理

日本の知的障害者福祉は,1947(昭和22)年の児童福祉法によって精神薄弱児施設が規定されたことに始まります。

精神薄弱児施設は児童福祉法の施設ですから,18歳になったら退所しなければなりません。

しかし成人になったからといって,地域で生活できる体制はありません。また家庭に戻ることも厳しいでしょう。

そのため,18歳を超えても精神薄弱児施設に引き続き入所する人もいました。

親がいなくなっても生活できる施設の創設を求めて,全日本精神薄弱者育成会(現在の全日本手をつなぐ育成会)が,活動を始めます。

それも契機となって,1960(昭和35)年に精神薄弱者福祉法(現在の知的障害者福祉法)ができます。

同法によって,精神薄弱者援護施設が規定されました。

つまりこの法は,もともと児童福祉法に規定される精神薄弱児施設に入所していた18歳以上の知的障害者の生活の場づくりであったと言えるでしょう。

身体障害者福祉法では,生活施設は身体障害者療護施設の創設(1972)までなかったのとは対照的です。

その後,大規模コロニーが全国につくられていきました。

1987(昭和62)年に,身体障害者雇用促進法が改正されて,知的障害者も対象となり,法律名も「障害者雇用促進法」となりました。

1999(平成11)年に,精神薄弱者福祉法が「知的障害者福祉法」に改正されます。

それでは,今日の問題です。

第30回・問題57 障害者福祉制度の発展過程に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。

1 児童福祉施設入所中に18歳以上となる肢体不自由者が増加する問題に対応するため,身体障害者福祉法が制定された。

2 学生や主婦で任意加入期間中に国民年金制度に加入していなかったために無年金になった障害者を対象に,障害基礎年金制度が創設された。

3 支援費制度の実施により,身体障害者,知的障害者,障害児のサービスについて,利用契約制度が導入された。

4 障害者の権利に関する条約を批准するため,同条約の医学モデルの考え方を踏まえて,障害者基本法等の障害者の定義が見直された。

5 「障害者総合支援法」の施行により,同法による障害者の範囲に発達障害者が新たに含まれた。

(注) 「障害者総合支援法」とは,「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」のことである。



正解は,選択肢3です。


支援費制度は,2003~2005年の3年間の制度でした。この制度で障害者福祉にも契約制度が導入されました。

精神障害者は対象ではなかったことは,しっかり覚えておきましょう。

それでは,他の選択肢も見ていきましょう。

1 児童福祉施設入所中に18歳以上となる肢体不自由者が増加する問題に対応するため,身体障害者福祉法が制定された。

児童福祉施設に入所する18歳以上の知的障害者が増加する問題に対応するために,精神薄弱者福祉法が制定されました。

2 学生や主婦で任意加入期間中に国民年金制度に加入していなかったために無年金になった障害者を対象に,障害基礎年金制度が創設された。

無年金者の救済のために創設されたのは,特別障害給付金です。

4 障害者の権利に関する条約を批准するため,同条約の医学モデルの考え方を踏まえて,障害者基本法等の障害者の定義が見直された。

医学モデルではなく。社会モデルです。この時に「社会的障壁」が加わりました。

5 「障害者総合支援法」の施行により,同法による障害者の範囲に発達障害者が新たに含まれた。

新たに加わったのは,制度のはざまになっていた難病等です。

2018年7月28日土曜日

障害者福祉の発展過程(その4)~身体障害者福祉の発展過程の整理



わが国の障害者福祉の特徴は,障害別に発展してきたことです。
その理由は,最初に成立した身体障害者福祉法が,身体障害者に対象を限定したためです。
障害別で理解するのではなく,3障害を並行して理解することが適切なのかもしれませんが,今日は,身体障害者に絞っていきたいと思います。


身体障害者福祉の発展過程

1947年・昭和22年 
 身体障害者授産施設が創設される。
1949年・昭和24年 
 身体障害者福祉法が成立する。国に身体障害者更生援護施設(現・身体障害者社会参加支援施設)の設置を義務づける。
1960年・昭和35年
 身体障害者雇用促進法(現・障害者雇用促進法)が成立する。
1963年・昭和38年
 重度身体障害者更生施設が創設される。
1964年・昭和39年
 重度身体障害者授産施設が創設される。
1970年・昭和45年
 心身障害者対策基本法が設立する。
1972年・昭和47年
 身体障害者療護施設が創設される。
1981年・昭和56年
 国際障害者年
1993年・平成5年
 心身障害者対策基本法を改正し,障害者基本法が成立する。
2006年・平成18年
 障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)が成立する。

それでは,今日の問題です。        


第28回・問題58 障害者福祉制度の発展過程に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 身体障害者福祉法(1949年(昭和24年))では,国に身体障害者更生援護施設の設置が義務づけられた。

2 東京パラリンピック(1964年(昭和39年))の開催を契機に,知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスが法制化された。

3 社会福祉基礎構造改革の理念に基づき,大規模コロニー計画が進められた。

4 障害者基本法の改正(2004年(平成16年))で,同法による障害者の範囲に難病等の者も含まれるようになった。

5 「障害者総合支援法」の施行により,重度訪問介護の対象者が障害児にも拡大された。


正解は,選択肢1です。

この時の身体障害者更生援護施設施設は,

①身体障害者更生指導施設
②中途失明者更生施設
③身体障害者収容授産施設
④義肢要具製作施設
⑤点字図書館
⑥点字出版施設

6つある施設のうち,3つが身体障害者,残りの3つが視覚障害者を対象としたものです。
身体障害者福祉法の法案づくりをしていた1948・昭和23年にヘレン・ケラーが来日したことで,視覚障害者の当事者団体が出来て,法の成立を後押ししました。

それでは,他の選択肢も見ていきたいと思います。

2 東京パラリンピック(1964年(昭和39年))の開催を契機に,知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスが法制化された。

障害者のスポーツ大会は,

パラリンピック(視覚障害者を含む身体障害者)
スペシャルオリンピックス(知的・発達障害者)
デフオリンピック(聴覚障害者)
があります。
東京パラリンピックは,東京パラリンピック競技大会特別措置法に規定されていますが,スペシャルオリンピックスもデフオリンピックも法制化されたものではありません。


3 社会福祉基礎構造改革の理念に基づき,大規模コロニー計画が進められた。

大型コロニーは,1960・昭和35年の精神薄弱者福祉法(現・知的障害者福祉法)により,精神薄弱者援護施設が法制化されたことを契機に,1960年代・70年代に多く設置されていきます。

施設中心の施策からの転換期は,1981・昭和56年の国際障害者年によって,ノーマライゼーション思想が広まったことです。

1990年代から,地域での生活支援が始まっていきます。

4 障害者基本法の改正(2004年(平成16年))で,同法による障害者の範囲に難病等の者も含まれるようになった。

2004年改正のポイントは,障害者差別の禁止が含まれたことです。

難病等が含まれたのは,2011年改正です。


5 「障害者総合支援法」の施行により,重度訪問介護の対象者が障害児にも拡大された。

重度の肢体不自由者を対象としていた重度訪問介護の対象が拡大されたのは,重度の知的障害者と精神障害です。障害児ではありません。

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