行旅病人及行旅死亡人取扱法は,1899年・明治32年にできた法律ですが,なんとなんと今も現役です。
この法律は,行旅病人と行旅死亡人の取り扱いを市町村が行うことを定めたものです。
行旅とは,本来は旅人を意味しますが,この法律では,住所や氏名がよく分からない人を指し,対象は旅人に限りません。
住所や氏名がよく分からない病人がいた場合は,市町村が救護します。
住所や氏名がよく分からない死亡人がいた場合は,市町村が火葬します。
現在だと,身元不明の遺体が発見された場合に適用されます。
それでは,今日の問題です。
第30回・問題24 次のうち,日本の社会福祉制度に関する歴史の記述として,正しいものを1つ選びなさい。
1 恤救規則(1874年(明治7年))は,政府の救済義務を優先した。
2 行旅病人及行旅死亡人取扱法(1899年(明治32年))は,救護法の制定によって廃止された。
3 感化法の制定(1900年(明治33年))を機に,内務省に社会局が新設された。
4 救護法(1929年(昭和4年))における救護施設には,孤児院,養老院が含まれる。
5 児童虐待防止法(1933年(昭和8年))は,母子保護法の制定を受けて制定された。
歴史が苦手な人は,年号を覚えるのが苦手なように思います。
以前は,以下のような出題がありました。
第21回・問題101 児童福祉分野の法律等の制定に関する次の記述のうち,年代の古い順に並べたときに第3番目に位置するものとして,正しいものを一つ選びなさい。
1 「児童手当法」が制定される。
2 「児童扶養手当法」が制定される。
3 「児童虐待の防止等に関する法律」が制定される。
4 「次世代育成支援対策推進法」が制定される。
5 「児童憲章」が制定される。
年号を覚えなければならないと指導する先生は,こういった問題が出題されていた頃に資格を取った人ではないかと思います。
しかし,近年の社会福祉士の国家試験では,年号を覚えておかなければ解けない問題はほとんどありません。
必要以上に恐れることはありません。覚えておきたいのは,おおよその時代です。それで十分です。
この問題の正解は「1 「児童手当法」が制定される」です。昭和40年代にできました。
それでは,今日の問題の解説です。
1 恤救規則(1874年(明治7年))は,政府の救済義務を優先した。
恤救規則は,相扶と地縁や血縁による相互扶助(隣保いう)が優先され,誰にも頼ることができない「無告の窮民」を救済しました。
政府が救済義務を負うことになったのは,日本国憲法で生存権を規定してからです。つまり,現行生活保護法だということになります。
2 行旅病人及行旅死亡人取扱法(1899年(明治32年))は,救護法の制定によって廃止された。
今日のテーマが登場しました。この法律は前説の通りに現役です。
この選択肢には,実は元ネタが存在しています。
第24回・問題59・選択肢1
死亡した被保護者が単身世帯の場合には,行旅死亡に準じて取り扱われ葬祭扶助は行われない。
行旅死亡というのが,行旅死亡人です。行旅病人及行旅死亡人取扱法が現役である理由は,身元不明者の死亡を取り扱っているからです。
3 感化法の制定(1900年(明治33年))を機に,内務省に社会局が新設された。
感化法は,感化院(現在の児童自立支援施設)を規定したものです。
内務省社会局は,その後分離独立して厚生省となったものですが,歴史を紐解くと,軍事救護法(1917年)の事務を取り扱うために内務省に救護課が置かれたのが始まりです。
その後,取り扱い事務を増やすために社会課となり,社会局に格上げされ,1938年に厚生省になりました。
4 救護法(1929年(昭和4年))における救護施設には,孤児院,養老院が含まれる。
これが正解です。
救護法は自宅救護が基本ですが,救護施設(現在の保護施設のこと)が規定されたことが重要です。
この時に,孤児院(現在の児童養護施設),養老院(現在の養護老人ホーム)などが規定されました。
5 児童虐待防止法(1933年(昭和8年))は,母子保護法の制定を受けて制定された。
戦前の児童虐待防止法は,世界大恐慌で疲弊した農村などで起きた子どもの身売りなどの問題に対応するためのものです。
一方,母子保護法は,1937年(昭和12年)に制定されたものです。この時期に日中戦争が起こり,母性には丈夫な赤ちゃんを産んでもらうために制定されたものです。
母子保護法は,女性活動家などが制定を求めて運動しましたが,制定のきっかけは,母性の保護というよりは,戦争がらみで丈夫な兵士を必要とされたことです。
戦争は良いことではありませんが,日本の社会保障制度の発展を考えたとき,戦争がらみで制定されたものがあり,現在でもそれが残っているものがあります。
たとえば,国民健康保険,厚生年金がその例です。