今回は,社会的排除と社会的包摂について学びましょう。
社会的排除 |
社会的包摂 |
何かの理由があって社会から締め出される過程に着目した概念です。 1970年代から80年代にかけて,ヨーロッパで起きた失業から生じた貧困問題によって生じてきました。 |
社会的排除とは逆の概念で,誰もが社会から排除されない社会の実現を目指すものです。 |
それでは,今日の問題です。
第26回・問題22 社会的排除と社会的包摂に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 社会的排除は,社会関係や活動に参加できない状態を意味するもので,排除に至るプロセスを問うものではない。
2 貧困は,生活資源の欠乏から生ずる生活困難を意味するものであって,社会関係上における人々の不利といった社会的排除とは無関係である。
3 社会環境のあり方が,人々のケイパビリティを制約したり,社会的排除による社会参加の機会のはく奪を生むことがある。
4 発達した福祉国家においては,人々は,生活保障のための諸制度から排除されることはない。
5 社会的包摂政策は,労働への参加など,社会参加の機会を促進するためのもので,所得の保障は含まない。
問われている内容は,なかなかの難問です。
しかし,正解するのはそれほど難しくありません。
正解は,選択肢3です。
3 社会環境のあり方が,人々のケイパビリティを制約したり,社会的排除による社会参加の機会のはく奪を生むことがある。
内容がわからずとも,ほかの選択肢は消去できますし,この選択肢は選びやすいからです。
今後は,試験委員に対して支援を行うので,作問技術が低い問題に出会うことはあまりなくなることでしょう。
それでは改めて解説です。
1 社会的排除は,社会関係や活動に参加できない状態を意味するもので,排除に至るプロセスを問うものではない。
社会的排除は,社会関係や活動に参加できない状態を意味するものというのは適切ですが,排除に至るプロセスに着目しているところが特徴です。
2 貧困は,生活資源の欠乏から生ずる生活困難を意味するものであって,社会関係上における人々の不利といった社会的排除とは無関係である。
ブースやラウントリーらが貧困調査を実施した当時は,絶対的貧困の時代でした。
1960年代頃に貧困の再発見をしたティトマスは,相対的剥奪と概念を用いて,貧困を論じました。
この概念に基づくと,自分が生活している社会で一般的な社会生活を送ることができないと貧困となります。
そこから社会的排除に至ることは容易に想像できます。
3 社会環境のあり方が,人々のケイパビリティを制約したり,社会的排除による社会参加の機会のはく奪を生むことがある。
ケイパビリティとは,潜在能力を意味します。環境によって教育を受けられなければ,潜在能力が一つ欠けます。
女性や黒人の社会進出を認めない社会であれば,自由に仕事を選ぶこともできません。
このようにケイパビリティに制約を受けることになります。
それでも社会進出しようとすると,強制的に排除する力も発生するかもしれません。
4 発達した福祉国家においては,人々は,生活保障のための諸制度から排除されることはない。
これまで述べてきたように,社会的排除は,制度が高度に発達した福祉国家でも発生します。
5 社会的包摂政策は,労働への参加など,社会参加の機会を促進するためのもので,所得の保障は含まない。
稼働できる人ばかりだと労働の機会を促進することで社会的包摂は実現するかもしれません。
しかし,疾病,障害,老齢などで稼働できない人は,所得補償が必要です。