2018年5月31日木曜日

地域福祉の理論と方法の攻略法

「地域福祉の理論と方法」は10問出題される科目です。

10問出題される科目の特徴は,細かい出題が多いということです。

時には,出題基準を超えるような出題さえもあります。

そのため,対策が難しいと思われるかもしれません。

実際に,苦手としている人も多いようです。

この科目の攻略法はズバリ

知らない問題でも慌てない

真面目に勉強をしてきた人は

こんなに勉強したのに・・・

という無力感が生まれるかもしれません。

しかし,この科目の特徴は,日常生活で得られた知識が役立つことは多いことです。

なぜなら,地域福祉は,身近なものだからです。

それでは今日の問題です。

第27回・問題38 地域で活動する組織に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 町内会は,収益事業を実施することはできない。
2 老人クラブは,教養講座やレクリエーション活動以外の活動も実施することができる。
3 社会福祉法人は,社会福祉事業以外の事業を実施することに制約はない。
4 消費生活協同組合は,地域福祉活動を実施することができない。
5 社会福祉法では,第二種社会福祉事業は,国,地方公共団体又は社会福祉法人が経営することを原則としている。

町内会,老人クラブ,消費生活協同組合などが出題されています。

活動内容は知らない

と思うと試験委員の思うつぼです。

まずは,試験の必勝法

言い切り表現に正解少なし

を思い出してみましょう。

言い切っているものは,

できない,制約はない,できない

これを軸にしてもう一度問題を読んでみてください。

それでは解説です。

1 町内会は,収益事業を実施することはできない。

「できない」の言い切り表現です。
身近な町内会を考えてみましょう。
パサーや廃品回収などを行っているのではないでしょうか。
よって間違いです。
町内会は,地域福祉の担い手として注目されています。


2 老人クラブは,教養講座やレクリエーション活動以外の活動も実施することができる。

老人クラブも地域福祉の担い手として注目されています。

地域の見守り,ヘルパー,健康体操などさまざまな活動を行っています。

よって正解です。


3 社会福祉法人は,社会福祉事業以外の事業を実施することに制約はない。

制約がない

という言い切り表現なので,制約があると想像がつくかもしれません。

せっかくですから,ここで社会福祉法人の事業をまとめてみます。

社会福祉事業 → 社会福祉法人は社会福祉事業以外に公益事業,収益事業を行うことができます。しかし,社会福祉事業が主たる事業であることが必要です。

公益事業 → 介護保険サービスや有料老人ホームなどの公益事業を行うことができます。しかし福祉に関係しないものは実施できません。

収益事業 → 駐車場,マンション,売店などの収益事業を行うことができます。基本的に制限はありませんが,法人の社会的信用を傷つけるもの(パチンコ店などの風俗営業など)などは不適切だとされています。

ということで,さまざまな制約があります。よって間違いです。


4 消費生活協同組合は,地域福祉活動を実施することができない。

消費生活協同組合は,いわゆる生協です。

実際には,共済,医療,介護など広い活動が認められています。よって間違いです。


5 社会福祉法では,第二種社会福祉事業は,国,地方公共団体又は社会福祉法人が経営することを原則としている。

国,地方公共団体又は社会福祉法人が経営することを原則としているのは,第一種社会福祉事業です。

第一種社会福祉事業は,入所系なので,人の目が届きにくいこともあり,経営主体が制限されています。

2018年5月30日水曜日

得点力を高める問題の解き方~一点でも多く得点する方法

国試に向けた勉強には,参考書をしっかり覚えていくのが基本です。

社会福祉士の国家試験は150問あります。

その中には,白書,報告書などの問題が出題されます。

これらの多くは,参考書には掲載されていません。

そのため,事前に対策を行うのは難しく,難易度はかなり高くなります。

学校の先生の中には「〇〇白書に目を通しておくと良い」とアドバイスする人もいます。
しかし白書や報告書を見ても,どこから出題されるか分からないので,覚えるのはとても難しいものです。

本当に適切なアドバイスをするなら「〇〇白書の〇〇を覚えておくと良い」が効果的です。しかしそれはほぼ不可能です。その白書から出題されることは分かっていたとしても,ポイントを絞り込むことは困難だからです。

このタイプの問題で得点するには,実は「勘」が決め手になることが多いものです。

国試勉強のもう一つの勉強法には,過去問を解いて実力をつけるというものがあります。

過去問を解くときは,その内容を覚えることも重要ですが,問題を解く勘どころを養うことが極めて重要です。

それを意識しないで過去問を解くことは,とてももったいないことです。

それでは今日の問題です。

第27回・問題37 地域福祉のネットワーク推進に関する各種報告書や白書の記述として,正しいものを1つ選びなさい。

1 「地域福祉のコーディネーター」は,専門家や事業者,ボランティア等との連携を図るため,自治体職員が務めるものである(「地域福祉のあり方研究会報告書」より)。
2 サービス拒否や引きこもり,多問題世帯に対しては,「寄り添い型支援」を行う人員配置が必要である(「社協・生活支援活動強化方針」より)。
3 地域包括ケアのコーディネート役は,住民の中から育成すべきである(「地域包括ケア研究会報告書」より)。
4 平成26年3月現在での認知症サポーターの数は,女性より男性が多い(「特定非営利活動法人地域ケア政策ネットワーク報告書」より)。
5 自殺予防における「ゲートキーパー」は,周りの人の異変に気づき,行動する人のことであり,弁護士,司法書士,薬剤師などの専門職に限られる(「平成25年版自殺対策白書」(内閣府)より)。


この国試問題を見たとき,受験生はとてもびっくりしたはずです。聞いたことも見たこともないものが出題されているからです。

こんな問題を見た受験生は「今年の国家試験は,傾向が変わったね」と言います。

国試は,

少しずつ同じで,少しずつ違う

が特徴です。

どんなに勉強しても知らないものが出題されます。

たくさん勉強したはずなのに,知らないものが出題されたときの無力感は相当なダメージを受けます。

国家試験の合格率は,30%程度という極めて低いものです。

このような問題で得点できるかどうかが合否を分けることもあるでしょう。

一番大切なことは,どんな問題にも動じない強い気持ちを持って国試に臨むことです。
そうすれば,正解を導く糸口は必ずつかめます。

それでは,解説です。


1 「地域福祉のコーディネーター」は,専門家や事業者,ボランティア等との連携を図るため,自治体職員が務めるものである(「地域福祉のあり方研究会報告書」より)。

地域福祉のあり方研究会報告書は,第222・23・24・27回に出題されています。

ポイントは,自助,共助,公助のうち,共助を確立するために,福祉圏域を重層化すること,地域福祉のコーディネーターの重要性が提言されていたことです。

これは,参考書にも書かれていたことでしょう。

しかし,地域福祉のコーディネーターは誰が務めるのかは学んでいなかったはずです。

足りないピースを知っている知識を総動員して埋めていく作業が必要です。

右田紀久恵先生が提唱した「自治型地域福祉」の知識が足りないピースを埋めるものの一つになります。自治型地域福祉は,行政と地域住民の協働です。

このような時代に,自治体職員が前面に出ることはなさそうだと思えるでしょう。

そうすれば×をつけることができます。

もちろん間違いです。

自治体職員も務めることもあるとは思いますが,地域の実情に合わせて,適切な人が務めます。

2 サービス拒否や引きこもり,多問題世帯に対しては,「寄り添い型支援」を行う人員配置が必要である(「社協・生活支援活動強化方針」より)。

「社協・生活支援活動強化方針」は,第26回に以下のように出題されています。

全国社会福祉協議会は,2012 年(平成24年)に「社協・生活支援活動強化方針」を策定し,主として,今後急増する在宅の認知症高齢者の生活支援を,より一層充実させていくことを目的とした。

これは間違いで,生活支援は,在宅の認知症高齢者だけを対象とするものではありません。

過去問を解くと,この問題に出会っていたはずですが,出題ポイントが変わって「寄り添い型支援」となっています。

これが国試を難しくする理由です。

少しずつ同じで,少しずつ違う

答えは分からないので,冷静に▲をつけておきます。

結果的に他が消去されてこれが残ります。


3 地域包括ケアのコーディネート役は,住民の中から育成すべきである(「地域包括ケア研究会報告書」より)。

域包括ケア研究会報告書は,第23回に出題されています。第27回よりも4年前なので,3年分の過去問の中では出題されていません。

これも難しいものです。

しかし,地域包括ケアシステムは専門性の高いものです。コーディネート役は住民も務めることもあるかもしれませんが,報告書で住民を育成すべきだとは絶対に言わないだろう,と思えるはずです。

実際には間違いで,同報告書では,地域包括支援センターが務めるとしています。


4 平成26年3月現在での認知症サポーターの数は,女性より男性が多い(「特定非営利活動法人地域ケア政策ネットワーク報告書」より)。

定非営利活動法人地域ケア政策ネットワーク報告書は,初めて出題されたものです。

しかし,認知症サポーターは女性の方が多いだろうと想像はつくはずです。

なぜなら,地域とのつながりは女性の方が多いので,認知症サポーター養成講座を受ける機会は多いと考えられるからです。

実際に女性の方が多いので間違いです。


5 自殺予防における「ゲートキーパー」は,周りの人の異変に気づき,行動する人のことであり,弁護士,司法書士,薬剤師などの専門職に限られる(「平成25年版自殺対策白書」(内閣府)より)。

自殺対策白書が出題されたのは,第21回の一度きりです。ゲートキーパーが出題されたのは,第27回の一度きりです。

「ゲートキーパー」は,周りの人の異変に気づき,行動する人であるならば,弁護士,司法書士,薬剤師などの専門職に限られることは絶対にないと思えるはずです。

なぜなら,弁護士,司法書士,薬剤師などの専門職は身近にはいないからです。

もちろん間違いです。専門職に限られるものではありません。

このように見ていくと,結果的に選択肢3が残ります。

今は,すべての内容が参考書に掲載されているはずです。そのようにして,毎年どんどん参考書は厚くなっていきます。

しかし,国試はその分厚い参考書を勉強しても知らないものが出題されます。

そのことを覚えておきましょう。

2018年5月29日火曜日

地域共生社会~地域福祉計画策定の努力義務化



地域包括ケアシステムをより具体的に進める地域共生社会の実現するものとして,「地域共生社会」が提唱されています。

地域共生社会とは(厚生労働省)

制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて,地域住民や地域の多様な主体が参画し,人と人,人と資源が世代や分野を超えつながることで,住民一人ひとりの暮らしと生きがい,地域をともに創っていく社会。

これに伴い,さまざまな改革が進んでいるところです。その一つとして,平成30年の社会福祉法の改正があります。

最新の法制度の改正は,出題されない傾向にありますが,地域包括ケアシステム構築は待ったなしの状況であることもあり,地域福祉に関連するものは,いくつかは出題されてくるはずです。

平成30年社会福祉法改正ポイント

(地域住民と関係機関との連携)
 地域住民等は,地域生活課題の解決に資する支援を行う関係機関との連携等によりその解決を図るよう特に留意するものとする。

(地域福祉計画策定の努力義務化)
 地域福祉計画の策定を努力義務化し,高齢者,障害者,児童等に共通する事項を盛り込む。

特に重要なのは,地域福祉計画の策定は,これまで任意とされてきたものが,努力義務化されたことです。
これだけでも社会福祉法が施行された2000年当時と今日では大きく状況が変化していることが想像つくことでしょう。

それでは,今日の問題です。

第27回・問題36 地域福祉の担い手や組織に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 民生委員は,担当区域内のすべての住民について,その生活状態を把握しておくこととされている。
2 「福祉サービス第三者評価基準ガイドライン」では評価対象の一つに「地域との交流,地域貢献」が挙げられており,地域住民や関係機関による評価委員会の設置が例示されている。
3 内閣府によると,特定非営利活動法人のうち,活動の種類として定款に「保健,医療又は福祉の増進を図る活動」を掲げるものは,全体の過半数を占める。
4 「「絆」と社会サービスに関する調査」では,満20歳から59歳までの人のうち,自治会や町内会に「参加したいと思わない」と答えた人の割合は,ボランティア・NPOに「参加したいと思わない」と答えた人の割合よりも多いという結果が示された。
5 社会福祉法には,都道府県地域福祉支援計画の策定について,住民の意見を反映させるための措置に関する規定は設けられていない。

勉強が進んでいる人なら,「答えはこれだ!」とすぐ分かる問題かもしれません。
それは,全体に難しい選択肢を配置していますが,正解選択肢は,スタンダードなものだからです。
こういった問題が,合格する人と不合格になる人の点数に差をつけていくことになります。

さて,解説です。


1 民生委員は,担当区域内のすべての住民について,その生活状態を把握しておくこととされている。

「すべての」ではなく,「必要に応じて」です。よって間違いです。


2 「福祉サービス第三者評価基準ガイドライン」では評価対象の一つに「地域との交流,地域貢献」が挙げられており,地域住民や関係機関による評価委員会の設置が例示されている。

第三者評価の受審に関する問題は比較的頻出です。

受審義務づけされている施設:社会的養護関係施設(乳児院、児童養護施設、児童自立支援施設、児童心理治療施設、母子生活支援施設)
※3年ごとに受審して,その結果の公表が義務づけられています。

ガイドラインの内容は複雑ですが,「地域との交流,地域貢献」に例示されているのは,利用者と地域のかかわり,ボランティアの受入れなどについての項目です。地域住民や関係機関による評価委員会の設置は例示されていません。よって間違いです。


3 内閣府によると,特定非営利活動法人のうち,活動の種類として定款に「保健,医療又は福祉の増進を図る活動」を掲げるものは,全体の過半数を占める。

これが正解です。ほかの科目でも何度も出題されています。しっかり覚えましょう。

NPO法人の活動分野は20分野ありますが,そのうち,「保健,医療又は福祉の増進を図る活動」は約6割です。


4 「「絆」と社会サービスに関する調査」では,満20歳から59歳までの人のうち,自治会や町内会に「参加したいと思わない」と答えた人の割合は,ボランティア・NPOに「参加したいと思わない」と答えた人の割合よりも多いという結果が示された。

これは間違いです。おそらくNPO法人の活動分野を選択できなかった人は,これを選択肢したのではないかと思います。
調査報告は,手の打ちようがありません。こんなところまで勉強しなければならないのか,と思うかもしれません。しかし,この選択肢は,間違い選択肢をつくるための出題です。
こういったところに正解は配置されないことが多いことを覚えておきましょう。

参加したいと思わないのが多かったのは,ボランティア・NPOだったそうです。

ボランティア・NPOは,自治会・町内会よりも敷居が高いみたいです。

5 社会福祉法には,都道府県地域福祉支援計画の策定について,住民の意見を反映させるための措置に関する規定は設けられていない。

さて,注目度が急上昇中の地域福祉計画についての出題です。

市町村地域福祉計画,都道府県地域福祉支援計画ともに策定が努力義務化されています。

地域福祉計画の作成,変更については,市町村,都道府県ともに,住民の意見を反映させるための措置に関する規定が設けられています。よって間違いです。

都道府県と市町村の違いは,都道府県には,「公聴会等」が規定されていることです。市町村にはそれがありません。



2018年5月28日月曜日

地域包括ケアシステムの構築は待ったなし

いわゆる団塊の世代が後期高齢者となる2025年に向けて,医療・介護の提供システムの改革が着々と進んでいます。今,行われている制度改正は,ほとんどがそこに向けたものだと言っても良いでしょう。

その中心テーマが「地域包括ケアシステム」の構築です。絶対に押さえておきたい法制度は「医療介護総合確保推進法」です。

地域包括ケアシステムとは・・・

重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるように,住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるものです。

「住まい」が加わっているのが特徴と言えるでしょう。

今までは,護送船団方式と言える,国が方針や制度を決めて地域格差のない制度が実践されてきました。

ところが,地域包括ケアシステムは,市町村・都道府県がその地域の実情に合わせて,システムを作り上げていくことになります。

言葉は悪いですが,今後は地域の格差が生じてくることでしょう。

さて,今日の問題はその地域包括ケアシステムがテーマです。

地域包括ケアシステムの内容はともかく国家試験の問題のつくり方がよく分かる問題となっています。

そこを意識して問題を読んでみましょう。

それでは,問題です。

第27回・問題32 地域包括ケアシステムに関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 高齢者を対象としているため,障害者や子どもについては対象として想定されていない。
2 団塊の世代が75歳となる2025年を目途に,専ら認知症高齢者に対する在宅医療システムの充実を目指している。
3 地域包括ケアの概念は,「医療介護総合確保推進法」における介護保険法改正(平成27年4月施行)において,初めて法的根拠が与えられた。
4 自助,互助,共助,公助から構成されるが,公助を中心としたシステム構築が必要であるとされている。
5 住まい・医療・介護・予防・生活支援が地域の特性に応じて,一体的に提供されるシステムの構築を目指している。

問題のつくり方も意識しながら解説していきたいと思います。


1 高齢者を対象としているため,障害者や子どもについては対象として想定されていない。

〇〇は●●であるが,〇〇は●●ではない

という文章です。

これはほとんどが間違い選択肢となります。

地域包括ケアシステムは,高齢化に対応するものですが,障害者や子どもも対象とします。

こういったものを障害があってもなくてもみんなが包まれて地域で生活できる「ソーシャル・インクルージョン」と呼ばれるものです。


2 団塊の世代が75歳となる2025年を目途に,専ら認知症高齢者に対する在宅医療システムの充実を目指している。

この問題は「専ら」がキーです。

在宅医療も大切ですが,病院,施設なども重要です。もちろん間違いです。


3 地域包括ケアの概念は,「医療介護総合確保推進法」における介護保険法改正(平成27年4月施行)において,初めて法的根拠が与えられた。

地域包括ケアの概念は,平成20年の地域包括ケア研究会の報告書で打ち出され,平成23年の介護保険法の改正で法的根拠が与えられています。よって間違いです。

この選択肢のキーは,「初めて」です。この問題は平成27年1月に行われた第27回国試のものです。

ずっと昔の問題だと「初めて」があっても正解となりますが,この場合はリアルタイムの問題です。「初めて」は初めてではないと想像できます。


4 自助,互助,共助,公助から構成されるが,公助を中心としたシステム構築が必要であるとされている。

地域包括ケア研究会の報告書では,従来の「自助」「共助」「公助」に加えて「互助」という概念が示されています。

これらが機能することが重要ですが,その中でも「自助・互助」が重要となっています。よって間違いです。

公助が中心であれば,これまでの制度と変わらないものとなります。

5 住まい・医療・介護・予防・生活支援が地域の特性に応じて,一体的に提供されるシステムの構築を目指している。

これが正解です。

この問題の難易度は高くはないですが,目のつけどころを変えると,確実に得点できる可能性が上がります。

2018年5月27日日曜日

国家試験に合格する勉強法~福祉の歴史編~まとめ

20回にわたって歴史に福祉の歴史について,紹介してきました。

そのうち,社会保障制度の発展過程を深めていきたいと思います。

本当は,ここで続けていきたいところですが,そろそろ飽きてきた人が多いみたいなので,いったんここで修了しようと思います。

古典的な福祉ニーズは,貧困です。

歴史を概観すると,

貧困をどのようにとらえ,そしてどのように解決しようとしてきたのか。

ソーシャルワークはそれに対してどのようにコミットしてきたのか。

これらを整理することが大切です。

貧困に陥る原因は,長く個人の問題だとされてきました。

それは,イギリスも日本も一緒です。

アダム・スミスは,「需要」と「供給」の関係によって価格が決まるとする「神の見えざる手」と呼んだ経済原理を提唱し,それがレッセ・フェール(自由放任)と呼ばれる古典的自由主義の正当性に根拠づけとなりました。昔習った「公民」では,「夜警国家」という言葉で言い表されていたものです。

神の見えざる手は,それはあくまでも経済原理であり,何らかの恣意があった場合は崩れます。

しかし,それに気が付くのはもっと先の話です。

古典的自由主義の時代の貧困観は,貧困に陥る理由は,個人の問題だとされてきました。
貧困救済は,民間の慈善事業が中心です。

産業革命は,生産力を持つ資本者階級と生産力は持たず,労働力を商品に変える労働者階級という社会構造を生み出しました。資本主義が発展していくと,貧困が社会問題化し,労働問題として現れます。マルクスは,資本主義と共産主義があり,共産主義がより進化したものだと考えました。

イギリスでは,ブース,ラウントリーらが貧困調査を行い,労働者の貧困を明らかにします。その後,国家が最低限度の生活を保障するという考え方が生まれてきます。

日本では,1918年に起きた米騒動は,政府に貧困を社会問題として認識させることになります。

COSは,自由主義的な貧困観に基づき,活動を行い,ケースワークを発展させます。

セツルメントは,貧困を社会問題だととらえ,社会改良に取り組んでいきます。


マルクスが考えた共産主義は,ロシア革命を成し遂げたソビエト連邦として成立しました。資本主義は,福祉国家として生まれ変わって今に至ります。

2018年5月26日土曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その20

今,なぜ歴史をずっと続けているのかと言えば,その理由は簡単です。


歴史は,多くの人が苦手としている!!


去年までは,苦手でどうしても覚えられないものは捨てても良いと考えてきました。

今も基本的にはその考え方は変わっていませんが,第30回の合格基準点を考えると,取れる問題は確実に取ることの重要性を感じています。

しかも,上位30%しか合格できないのであれば,ほかの人が苦手とする部分で差をつけたほうが良いと思います。

ということで今日も歴史を続けます。

まずは,前回の復習です。

慈善組織協会 → 貧困の原因は個人の問題 → 友愛訪問(イギリスでは地区訪問と呼ばれた) → ケースワークの源流

セツルメント → 貧困の原因は社会の問題 → 社会改良 → グループワークの源流

アメリカCOSの指導者は,リッチモンドです。ケースワークに科学的方法を取り入れて「ケースワークの母」と呼ばれています。

一方,世界最大級のセツルメントとなったハルハウスを開設したJ.アダムスは,その後女性問題や平和運動を行い,ノーベル平和賞を受賞します。

この活動の違いは,貧困をどのようにとらえていたかに発していると考えられます。

さて,今日の問題です。

第29回・問題93 慈善組織協会(COS)に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。

1 COSは,労働者や子どもの教育文化活動,社会調査とそれに基づく社会改良を目的に設立された。
2 COSの救済は,共助の考えに基づき,社会資源を活用して人と人が支え合う支援を行った。
3 COSは,把握した全ての貧困者を救済の価値のある貧困者として救済活動を行った。
4 COSは,友愛訪問員の広い知識と社会的訓練によって友愛訪問活動の科学化を追求した。
5 COSの友愛訪問活動の実践を基に,コミュニティワーカーに共通する知識,方法が確立された。

COSを取り入れた問題です。COSとセツルメントの活動の違いを理解していると,解くのは簡単です。

さて,解説です。


1 COSは,労働者や子どもの教育文化活動,社会調査とそれに基づく社会改良を目的に設立された。

COSは,貧困の原因を個人の問題ととらえた

セツルメントは,貧困の原因を社会の問題ととらえた

社会改良を目的に設立したのは,セツルメントです。

COSは,救済の対象となる貧困者を登録して,救済の重複や不正受給の防ぐために設立されました。よって間違いです。


2 COSの救済は,共助の考えに基づき,社会資源を活用して人と人が支え合う支援を行った。

COSは,貧困の原因を個人の問題ととらえた

そのため,基本は自助です。道徳の問題だからです。

よって間違いです。

行った活動は,イギリスCOSでは地区訪問,アメリカCOSでは友愛訪問です。

どちらも名称は違いますが,活動内容は一緒の貧困者同士の相互扶助で,今流に言えば,「互助」です。


3 COSは,把握した全ての貧困者を救済の価値のある貧困者として救済活動を行った。
前回の繰り返しです。

COSは,貧困の理由を個人の問題だととらえていました。

つまり個人の道徳的な問題が貧困になると考えていました。そのため,救済の対象を「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に分けて,そのうち「救済に値する貧民」を救済の対象としました。よって間違いです。

救済に値しない貧民は,救貧法で救済しました。このようなボランタリーな活動と国の関係を「平行棒理論」と言います。

時代は大きく下がって,べヴァリッジ報告で知られるベヴァリッジは,1948に公刊した『ボランタリーアクション』では,社会が本当に豊かになるためには,国が国民の最低限度の生活を保障するだけではなく,ボランタリーな活動が欠かせないと述べています。このようなボランタリーな活動と国の協働関係は,「繰り出しばしご理論」と言います。


4 COSは,友愛訪問員の広い知識と社会的訓練によって友愛訪問活動の科学化を追求した。

これが正解です。

当初は,無給のボランティアが友愛訪問(イギリスCOSは地区訪問)を行っていましたが,そのうち有給の専門職が担っていきました。その後ケースワークを深めていきます。


5 COSの友愛訪問活動の実践を基に,コミュニティワーカーに共通する知識,方法が確立された。

COSは,ケースワークの源流です。よって間違いです。

リッチモンドは,1899年に,COSの手引書となる著書『貧しい人々への友愛訪問(Friendly Visiting Among the Poor - A Handbook for Charity Workers)』を発刊して,方法論を確立しました。

<今日の一言>

今日の問題で分かるように,

リッチモンド=ケースワークの母

バーネット夫妻=トインビーホール

J.アダムス=ハルハウス

といった知識では解けません。

「誰が何々を行った」ということよりも,それは何であるのか,の方が重要だと思います。

そういう面で,とてもよい出題がされるようになってきた印象があります。

しかし,試験委員が変わるとまた質の低い出題がされる可能性はあります。

一応,人名も覚えておきましょう。

2018年5月25日金曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その19

慈善組織協会(COS)とセツルメントはしっかり押さえておきたいです。

慈善組織協会 
貧困の原因は個人の問題 → 友愛訪問(イギリスでは地区訪問と呼ばれた) → ケースワークの源流

セツルメント
貧困の原因は社会の問題 → 社会改良 → グループワークの源流

このように,捉え方の違いから活動内容が変わります。

それでは今日の問題です。


第23回・問題84 イギリスの慈善組織協会の活動に関する次の記述のうち,適切なものを一つ選びなさい。

1 慈善組織協会は,「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に区別することなく,あらゆる貧民を対象とした援助活動を行った。

2 慈善組織協会は,個々の慈善団体が個別の業績を上げることを目的として,ロンドンの地区ごとに地区委員会を設立した。

3 慈善組織協会は,産業革命が生み出した貧困の予防対策として設立された。

4 慈善組織協会は,被救済者の登録を行って救済の重複や不正受給の抑制を行うことを意図して始まった。

5 慈善組織協会の貧困や社会問題に対する自由主義的な認識が,セツルメントや社会運動,労働運動の考えに継承されていった。


イギリスの慈善組織協会は,1869年,ロンドンで設立されています。

最新の研究によって,イギリスCOSではアルモナーと呼ばれる訪問ボランティアが地区訪問を行っていたことが分かってきています。いわゆる友愛訪問はアメリカCOSで使われた用語だったようです。

アルモナーも今までは,MSWの源流として,ロイヤル・フリー・ホスピタルに新しい職種として誕生したと言われていましたが,同じ研究によって,COSの活動を病院に取り入れたことが分かっています。

将来的には,このような出題も加わってくることもあるかもしれませんね。

しかし,今はまだ今までと同じ理解で大丈夫です。

さて,解説です。


1 慈善組織協会は,「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に区別することなく,あらゆる貧民を対象とした援助活動を行った。

COSは,貧困の理由を個人の問題だととらえていました。

つまり個人の道徳的な問題が貧困になると考えていました。そのため,救済の対象を「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に分けて,そのうち「救済に値する貧民」を救済の対象としました。よって間違いです。

救済に値しない貧民は,救貧法で救済しました。このようなボランタリーな活動と国の関係を「平行棒理論」と言います。

時代は大きく下がって,べヴァリッジ報告で知られるベヴァリッジは,1948に公刊した『ボランタリーアクション』では,社会が本当に豊かになるためには,国が国民の最低限度の生活を保障するだけではなく,ボランタリーな活動が欠かせないと述べています。

このようなボランタリーな活動と国の協働関係は,「繰り出しばしご理論」と言います。


2 慈善組織協会は,個々の慈善団体が個別の業績を上げることを目的として,ロンドンの地区ごとに地区委員会を設立した。

COSは,被救済者の登録を行って,救済の重複や不正受給の抑制を行うことを目的として設立されています。よって間違いです。


3 慈善組織協会は,産業革命が生み出した貧困の予防対策として設立された。

COSは,貧困の理由を個人の問題だととらえていました。社会問題だととらえたのはセツルメントです。


4 慈善組織協会は,被救済者の登録を行って救済の重複や不正受給の抑制を行うことを意図して始まった。

これが正解です。はじまりはこのような理由でしたが,COSが行った友愛訪問(イギリスでは地区訪問と呼ばれていた)がケースワークに発展していきます。


5 慈善組織協会の貧困や社会問題に対する自由主義的な認識が,セツルメントや社会運動,労働運動の考えに継承されていった。

COSは,貧困は個人の問題,セツルメントは,貧困は社会の問題だととらえていました。

認識も救済の方法論もまったく別なものです。よって間違いです。

イギリスで誕生したCOSとセツルメントは,アメリカにわたり,さらに発展していきます。

COSは,のちにケースワークの母と呼ばれたリッチモンドがケースワークに科学的な手法を持ち込み,発展していきました。

世界初のセツルメントであるトインビーホールのバーネット夫妻に教えを受けた,コイトはニューヨークでアメリカ初のセツルメントであるネイバーフッドギルドを開設します。

世界最大級のセツルメントとなったシカゴのハルハウスを設立したJ.アダムスもバーネット夫妻の教えを受けています。J.アダムスはその後女性問題や平和問題に取り組み,のちにノーベル平和賞を受賞しました。

リッチモンドとJ.アダムスの活動の違いも,もともとCOSは個人の問題,セツルメントは社会の問題ととらえていたところから生まれたものです。

2018年5月24日木曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その18

各社の国家試験対策の本が店頭に並び始めています。

数年前から見ると2か月くらい出版が早まってきています。

もっと前に目を向けると,過去問の発売は11月だった時期もあります。

3か月で合格できる

このようにアドバイスをする人が今もいますが,それはおそらくそのような時代に合格した人なのではないかと思います。

実際に3か月で合格できる人もいるとは思います。

しかしそんなに簡単に合格できるなら,3割しか合格できないというのは矛盾していると思いませんか。

第31回国試で確実に合格したいのなら,3か月神話は忘れて,今から集中していきましょう。

難しくなっているのかの理由はいくつかありますが,出題の方法が違うことがあります。
ここでは,詳しく述べませんが,3か月神話は過去のものであることを肝に銘じましょう。

さて,今日の問題です。

今日から,科目は「相談援助の基盤と専門職」に飛びます。

第22回・問題86 ソーシャルワークの形成過程に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 慈善組織協会は,慈善活動による救済の偏りを防止するために設立され,貧困の原因を社会の構造に求めて,貧困者に対する救済を社会の義務ととらえていた。
2 セツルメント運動は,大学生たちが貧困地区に住み込むことによって展開され,貧困からの脱出に向けて,勤勉と節制を重視する道徳主義を理念とした。
3 YMCAは,キリスト教の信仰を深める青年運動として始められ,個別面接を繰り返すことによって,心理的な側面を重視した面接技法の体系化を進めた。
4 リッチモンド(Richmond,M.)の提案に基づいて,ニューヨークで6週間に及ぶ博愛事業に関する講習会が初めて開催され,専門教育へと発展していった。
5 フレックスナー(Flexner,A.)によって「ソーシャルワークはすでに専門職である」と結論づけられ,専門性が社会的に認知されるきっかけとなった。

ソーシャルワークには,個別援助技術であるケースワーク,集団援助技術であるグループワーク,地域援助技術であるコミュニティワークがあります。

それらがどのように発展してきたのかを理解していきましょう。

それでは解説です。

1 慈善組織協会は,慈善活動による救済の偏りを防止するために設立され,貧困の原因を社会の構造に求めて,貧困者に対する救済を社会の義務ととらえていた。

慈善組織協会(COS)は,ケースワークの源流です。

COSは,貧困の原因は,社会の構造ではなく,個人の問題だと考えていました。

そのため,基本は自助だとしています。よって間違いです。

貧困の原因が,社会の構造であることが分かってくるのは,もう少し先の話です。

2 セツルメント運動は,大学生たちが貧困地区に住み込むことによって展開され,貧困からの脱出に向けて,勤勉と節制を重視する道徳主義を理念とした。

COSは,貧困の原因は,個人の問題だととらえていたのに対し,セツルメントは社会問題だととらえ,社会改良に取り組んでいきました。道徳主義を理念としたのは,COSです。よって間違いです。

セツルメントは,グループワークの源流です。

3 YMCAは,キリスト教の信仰を深める青年運動として始められ,個別面接を繰り返すことによって,心理的な側面を重視した面接技法の体系化を進めた。

YMCAもグループワークの源流です。面接技法の体系化を進めたのはケースワークの源流であるCOSです。よって間違いです。


4 リッチモンド(Richmond,M.)の提案に基づいて,ニューヨークで6週間に及ぶ博愛事業に関する講習会が初めて開催され,専門教育へと発展していった。

リッチモンドは,アメリカCOSの指導者です。ケースワークに科学的手法を持ち込み,「ケースワークの母」と呼ばれています。

1897年の全米慈善矯正会議でリッチモンドは,応用博愛事業学校の必要性を提案しました。その翌年にニューヨークで6週間にわたる夏期講座が開催されました。よって正解です。

5 フレックスナー(Flexner,A.)によって「ソーシャルワークはすでに専門職である」と結論づけられ,専門性が社会的に認知されるきっかけとなった。

フレックスナーが述べたのは「ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない」です。

それから約40年後に,グリーンウッドが「ソーシャルワークは専門職である」であると述べました。



2018年5月23日水曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その17

今年,2018年は,現在の民生委員の源流の一つである方面委員が大阪で誕生してから100年という節目の年です。

また,日本の福祉行政の転換点となった富山県の主婦を発端とした米騒動から100年です。

歴史は苦手だと思われると思う人も多いと思います。しかし決して遠い昔のことを学んでいるわけではありません。

わずか100年です。50歳の人の人生を2人分をつなげたものと同じ長さです。30歳の人の場合だと3人分です。

昨年,2017年は,民生委員のもう一つの源流の一つである済生顧問制度が岡山で誕生してから100年でした。

アメリカに目を向けると,ケースワークの母と呼ばれるリッチモンドが『社会診断』を刊行し,ハルハウスの開設者のJ.アダムスが反戦活動を始めた年です。

ロシアに目を向けると,帝政ロシアが崩壊し,世界初の共産主義国家となったソビエト連邦が誕生しています。

さて,今日の問題は方面委員制度に関する問題です。

第30回・問題31 民生委員制度に収斂(しゅうれん)されることになる戦前の方面委員等の仕組み(以下,「方面委員制度」という。)に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 「方面委員制度」は,イギリスの慈善組織協会(COS)よりも早く始まっていた。
2 「方面委員制度」は,方面委員令によって創設された。
3 「方面委員制度」は,恤救規則を実施するための補助機関とされた。
4 岡山県済世願問制度に続き,大阪府で方面委員制度が設置された。
5 大阪府の方面委員制度は,河上肇を中心に立案された。

外国も分かるし,済生顧問制度,方面委員制度を組み合わせた良い作りの問題だと思います。

しかし,

国試の「少しずつ違う」の要素がないので,勉強してきた人は得点できたのではないかと思います。

このタイプの問題が多かったことが第30回国試の合格基準点を押し上げたことは,想像に難くありません。

それでは解説です。


1 「方面委員制度」は,イギリスの慈善組織協会(COS)よりも早く始まっていた。

「〇〇年に何があった」という勉強法は,ほとんど意味がありません。

その知識がなければ正解できない問題は皆無だからです。

それよりも流れをつかむことが必要です。

イギリスのロンドンでCOSが設立されたのは19世紀。方面委員制度は20世紀です。

よって間違いです。

COSは,救済を受ける人を登録して,不正受給を防止することを目的に設立されたものです。

年を詳しく言うなら,ロンドンのCOSの設立は1869年です。

その時の名称は「慈善救済組織化と乞食抑制のための協会」で,1870年に慈善組織協会と変更しています。


2 「方面委員制度」は,方面委員令によって創設された。

方面委員制度は,大阪で小河滋次郎の協力のもと,林市蔵知事が創設したものです。

方面委員令は,昭和11年のもので,方面委員制度を制度化したものです。よって間違いです。


3 「方面委員制度」は,恤救規則を実施するための補助機関とされた。

方面委員が補助機関とされたのは,救護法です。よって間違いです。


4 岡山県済世願問制度に続き,大阪府で方面委員制度が設置された。

これが正解ですね。


5 大阪府の方面委員制度は,河上肇を中心に立案された。

河上肇は,前回も出てきました。実はこれも100年の年。こんなところに出題してきたのがとてもうまいと思います。

河上肇の著書『貧乏物語』(1917)は,当時のベストセラーとなりました。

金持ちがぜいたくをやめると貧富の差をなくすことができると述べています。

2018年5月22日火曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その16

社会福祉士の国家試験は,どんなに勉強しても知らないものが出題されます。

第30回国試では,多くの人が高い得点になったために合格基準点が過去最高になりました。

得点できる問題になった要素はいくつかありますが,そのうち,大きな影響を与えたのは,

第30回国試には今までのような

国試は

少しずつ同じで少しずつ違う

という出題が少なかったことです。

そのため,勉強をしっかり積み重ねてきた人は,得点しやすくなりました。

だからといって,勉強が足りない人まで点数が取れる試験ではありません。

もう一つの要素である

国試の文字数が年々少なくなっている

言い回しの不自然さで,消去することができなくなっているからです。

第31回国試がどのスタイルをとるのかは分かりません。しかし歴史問題は,勉強した人と勉強していない人の差が大きくなることが多いだけに,取れるものなら取っておきたいです。

さて,今日の問題です。

第28回・問題34 セツルメントに関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 日本におけるセツルメント運動は,アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
2 中央慈善協会は,全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
3 留岡幸助は,大崎無産者診療所を開設しセツルメント運動に取り組んだ。
4 大原孫三郎は,セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
5 賀川豊彦は,神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を『貧乏物語』にまとめた。

この中で,初めて出題されているものは,A.アダムス,大崎無産者診療所と大原孫三郎の2つです。

それでは解説です。

1 日本におけるセツルメント運動は,アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。

これが正解です。宣教師のアダムス(アリス・ペティ・アリス)は,1891年に岡山博愛会を設立し,宣教事業としてセツルメントを実施しました。

A.アダムスは,参考書にも書かれているので,この時初めて出題されたというのはびっくりでしょう。

同じアダムスでも,アメリカでハルハウスを設立したJ.アダムスは頻出であるのとは取扱いに大きな違いがあります。


2 中央慈善協会は,全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。

中央慈善協会は,前回も取り上げましたが,現在の全国社会福祉協議会の源流であり,感化救済事業講習会の第1回講習会の最終日に設立されています。感化救済事業講習会とは,慈善事業に従事する者を教育するものです。

中央慈善協会の活動の中には,セツルメント運動にとどまらず,慈善事業を推進するための全国組織です。よって間違いです。初代会長は,日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一が就任し,監事の中には,家庭学校の留岡幸助が名前を連ねています。

3 留岡幸助は,大崎無産者診療所を開設しセツルメント運動に取り組んだ。

留岡幸助は,旧カリ時代から数えると16回も出題されている超頻出です。

現在の児童自立支援施設にあたる感化院の家庭学校を東京巣鴨に設立した人です。よって間違いです。

大崎無産者診療所は医師の大栗清実が開設していますが,覚えることはないです。


4 大原孫三郎は,セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。

キングスレー・ホール(キングスレー館)は,片山潜(かたやま・せん)が1897年,東京の神田三崎町に設立したものです。よって間違いです。

片山潜は,A.アダムスと同様に日本のセツルメントの源流とされていますが,A.アダムスと違って超頻出で,7回も出題されています。キングスレー館は「基督教社会事業の本営」として事業を始めましたが,片山の関心は宗教から労働問題に移ったことから慈善事業が社会事業に変化する先鞭をつけたことが評価されているのはないかと思います。

大原孫三郎は,倉敷紡績の社長です。岡山孤児院を設立した石井十次に影響を受け,同院のよきスポンサーとなりました。

大原は,経営者として労働問題に興味をもち,国内外の社会問題を調査するために大原社会問題研究所を設立しました。同研究所は,現在は法政大学の中に受け継がれています。


5 賀川豊彦は,神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を『貧乏物語』にまとめた。

賀川豊彦は,2日連続での登場です。著書は『死線を超えて』でしたね。よって間違いです。

貧乏物語は河上肇の著書です。

2018年5月21日月曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その15

今回は,地域福祉における日本の歴史を取り上げたいと思います。

地域福祉の歴史は,人名問題になっているものがほとんどです。

嫌いな人にとっては,無味乾燥に思うかもしれません。

出題の目的は,地域福祉は地道な活動の積み重ねによって作り上げられていることを知ってもらいたいのではないでしょうか。

さて,問題です。

第22回・問題34 地域福祉の源流をつくった人物に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 賀川豊彦は,生活協同組合の父と呼ばれたが,アメリカへ渡り牧師として生涯を送った。
2 小河滋次郎は,済世顧問制度を創設し,民生委員の父と呼ばれた。
3 渋沢栄一は,晩年,実業界を退き中央慈善協会の初代会長の職務に専念した。
4 石井十次は,イギリスのトインビーホールの影響を受け,岡山で日本最初のセツルメントを開設した。
5 牧賢一は,社会福祉協議会の創設期から指導者として貢献し,『社会福祉協議会読本』(1953年)を著した。


各人の出題頻度(旧カリ時代も含む)

賀川豊彦 5回
小河滋次郎 8回
渋沢栄一 5回
石井十次 10回
牧賢一 2回

石井十次と小河滋次郎の出題回数は突出していることが分かります。

今日の問題は,現行カリキュラムの1回目のものです。
牧賢一以外,出題されているのは常連さんたちですが,内容が少し難しいです。

それでは解説です。

1 賀川豊彦は,生活協同組合の父と呼ばれたが,アメリカへ渡り牧師として生涯を送った。

賀川豊彦(かがわ・とよひこ)は,神戸の新川のスラムに住み込み,布教活動を行います。その後アメリカにわたって学び,帰国後に労働者や農民運動を行いました。生涯を送ったのは日本です。よって間違いです。賀川の自伝的小説「死線を超えて」は出版当時ベストセラーとなりました。


2 小河滋次郎は,済世顧問制度を創設し,民生委員の父と呼ばれた。

小河滋次郎(おがわ・しげじろう)が創設したのは,大阪府の方面委員制度です。
2018年は,方面委員ができて100年の節目の年です。


3 渋沢栄一は,晩年,実業界を退き中央慈善協会の初代会長の職務に専念した。

渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)は,日本資本主義の父と呼ばれる人物です。生涯,実業界に身を置き,一生のうち,設立した会社は500社を超えると言われています。しかし自分の名前を会社名につけることを好まなかったために,知らない人にとってはなじみがない人かもしれません。

中央慈善協会は,現在の全国社会福祉協議会の源流,渋沢は初代会長に就任しました。中央慈善協会は,全国の慈善事業を推進するために感化救済事業講習会の第1回講習会の終了日に設立されました。


4 石井十次は,イギリスのトインビーホールの影響を受け,岡山で日本最初のセツルメントを開設した。

石井十次は,イギリスのバーナードホームの影響を受けて岡山孤児院を開設しました。
岡山のセツルメントは,A.アダムスが開設した岡山博愛会です。


5 牧賢一は,社会福祉協議会の創設期から指導者として貢献し,『社会福祉協議会読本』(1953年)を著した。

これが正解です。

牧賢一は,全国社会福祉協議会の事務局長を務めた人物です。


<今日の一言>

普通の感覚から言えば,牧賢一だけ時代が大きく違うので違和感があります。

この問題を作成したのは,全社協にかなり思い入れの強い人だったのではないでしょうか。



2018年5月20日日曜日

国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その14

福祉の歴史で出題される諸外国の中で最も多いのはイギリスです。

そのため,その他の国よりも覚えるポイントも多いのがちょっと厄介です。

しかし,現行カリキュラムで出題されたものを整理すると,かなり絞り込むことができます。

イギリスの歴史のまとめ

エリザベス救貧法と改正救貧法(新救貧法)の違いと特色
貧困調査の内容
救貧法廃止に向けて
慈善組織協会(COS)とセツルメント
ベヴァリッジ報告
シーボーム報告~グリフィス報告
サッチャー首相とブレア首相の政策の違いと特色

社会福祉士の国試の特徴は・・・

どれだけ勉強しても,勉強したことがないものが出題されることです。

①5つの選択肢の中に1つでも2つでも混ぜて出題すると,極端に問題の難易度が上がります。

逆に
②第30回国試のようにそれがないと難易度は下がります。

第31回国試は,どちらの道を進むかは分かりませんが,ポイントをしっかり押さえておけば,①の出題形式に戻ったとしても,必ず得点できます。

国試で避けたいのは,あいまいな知識をたくさん持つことです。
勉強し始めは,難しくて理解が進まないかもしれません。

苦しくても辛くとも繰り返していくと,その先に「合格」が待っています。

2018年5月19日土曜日

国家試験に合格する勉強法~福祉の歴史編~その13

福祉に関連するイギリスの報告書の出題回数です。※旧カリ時代も含む

報告名
出題回数
シーボーム報告
15
ベヴァリッジ報告
11
バークレイ報告
11
グリフィス報告
8
ウォルフェンデン報告
8
ウォルフェンデン報告
3
ヤングハズバンド報告
2
ワグナー報告
2
エイブス報告
1

かつては,こんな出題がありました。

第10回・問題52 我が国の公的扶助の歴史に関する次の記述を年代順に並べなさい。
A 費用負担に関して国の補助を明文化した。
B 失業者を生活援護の対象に含めた。 
C 民生委員を協力機関として位置づけた。
D 保護基準の算定に格差縮小方式を導入した。

しかし今はこのような問題はありません。

〇〇報告は〇〇年といったことを覚えるのは意味がないのでやめましょう。

出された年を知らなければ解けない出題はありません。

さて,今日の問題です。

第29回・問題33 イギリスの各種の報告書における地域福祉に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。

1 シーボーム報告(1968年)は,社会サービスにおけるボランティアの役割は,専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。

2 エイブス報告(1969年)は,地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。

3 ウォルフェンデン報告(1978年)は,地方自治体の役割について,サービス供給を重視した。

4 バークレイ報告(1982年)は,コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。

5 グリフィス報告(1988年)は,コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。

このように,報告書が発表された年は,問題を解くのに必要とされません。これが「〇〇報告は〇〇年といったことを覚えるのは意味がない」という根拠です。

エイブス報告が出題されたのは,この時の1回のみです。

そのせいで,覚えておかなければならない報告書が一つ増えてしまいました。

さて,解説です。


1 シーボーム報告(1968年)は,社会サービスにおけるボランティアの役割は,専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。

シーボーム報告は,超頻出です。

前回もありましたね。

シーボーム報告で覚えておきたいのは,次の2点です。

①3部局に分かれていたものを一元化。
②それに伴い,ソーシャルワーカーには,ジェネリックな能力を求めた。

この選択は,何を指しているかというと,次の選択肢であるエイブス報告です。
よって間違いです。


2 エイブス報告(1969年)は,地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。

これはシーボーム報告です。よって間違いです。


3 ウォルフェンデン報告(1978年)は,地方自治体の役割について,サービス供給を重視した。

ウォルフェンデン報告は,サービスは多くのセクターが供給する「福祉多元主義」を提唱しています。よって間違いです。


4 バークレイ報告(1982年)は,コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。

これが正解です。それまでの伝統的なケースワーク,グループワーク,コミュニティワークを統合した,コミュニティソーシャルワークを提言しています。

コミュニティソーシャルワークを実践するのはコミュニティソーシャルワーカー(CSW)です。CSWは,深田恭子さん主演ドラマ「サイレントプア」で取り上げられました。深田さんのモデルになったのは,大阪の豊中市社協の勝部麗子さんです。

バークレイ報告の「レイ」と勝部麗子さんの「麗」を結び付けて,バークレイ報告は,コミュニティソーシャルワークを提唱したということを覚えます。

勝部さんの名前が「レイコさん」で本当によかったです。ありがとうございます。

コミュニティワークとコミュニティソーシャルワークの違いは,コミュニティワークは間接援助であるのに対し,コミュニティソーシャルワークは直接援助である点です。


5 グリフィス報告(1988年)は,コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。

ナショナルミニマムと言えば,提唱者はウェッブ夫妻,それを福祉国家構想の中に取り入れたのはベヴァリッジ報告です。よって間違いです。

グリフィス報告は,市場原理を取り入れることで,福祉多元主義を具現化したものです。


<今日の一言>


〇〇報告は〇〇年といったことを覚えるのは意味がない


もちろん覚えておけば,その背景とともに理解しやすくなるのかもしれません。しかし,優先して覚えることが必要なのは,その内容です。

何年ということを正確に覚えておかなくても,おおよそいつ頃の時代なのか,ということを押さえるだけで十分です。

2018年5月18日金曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その12

今日もイギリスの歴史問題を続けます。

今日の問題は,出題当時はかなり難しかったと思われます。

なぜなら,頻出のものが並んでいますが,内容はそれまでのものとは違うからです。

こういう問題が解けるかどうかが,全体の点数に大きくかかわります。

それでは問題を見ていきましょう。


第23回・問題33 イギリスのコミュニティケア,公私関係に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,「ベヴァリッジ報告」の後,「ボランタリーアクション」を公刊し,ボランタリーセクターに対する福祉国家の優位性を強調した。
2 「シーボーム報告」を受けて,「地方自治体社会サービス法」が成立し,地方自治体において利用者ごとの分野別部局体制が強化された。
3 「バークレイ報告」を受けて,「社会サービス法」が成立し,より包括的なノーマライゼーションなどの理念に基づくコミュニティケアが推進された。
4 「グリフィス報告」を受けて,福祉施設を公的に整備するための「国民保健サービス及びコミュニティケア法」が成立した。
5 ブレア政権は,ボランタリーセクターやコミュニティの役割を重視し,政府セクターとボランタリーセクターが「コンパクト」と呼ばれる協約を結ぶ政策を展開した。

出題当時だけではなく,今見ても難しい問題です。

それでは解説です。


1 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,「ベヴァリッジ報告」の後,「ボランタリーアクション」を公刊し,ボランタリーセクターに対する福祉国家の優位性を強調した。

べヴァリッジと言えば,福祉国家の基礎となったべヴァリッジ報告は有名ですが,ボランタリーアクションは,あまり知られていないと思います。

そのべヴァリッジとボランタリズムは相容れないように感じるかもしれません。その違和感からこの問題が考えられたのだと思います。

べヴァリッジは,世界初のセツルメントであるトインビーホールの運営にもかかわったことがあると言われています。そのため,ボランタリーな活動には関心があったのだと思います。

ボランタリーアクションでは,国家による保障とともに国民のボランタリーな活動が必要であることを述べています。よって間違いです。


2 「シーボーム報告」を受けて,「地方自治体社会サービス法」が成立し,地方自治体において利用者ごとの分野別部局体制が強化された。

イギリスでは,分野ごとに福祉制度が発展し,縦割りとなっていきます。そこで一元化することを提唱したのが,シーボーム報告です。よって間違いです。


3 「バークレイ報告」を受けて,「社会サービス法」が成立し,より包括的なノーマライゼーションなどの理念に基づくコミュニティケアが推進された。

社会サービス法は,イギリスの法律ではなく,1982年に施行されたスウェーデンのものです。
よって間違いです。社会サービス法は1990年代に実施されたエーデル改革の根拠法となっています。

イギリスの法律は,1970年にシーボーム報告を受けて成立した地方自治体社会サービス法です。


4 「グリフィス報告」を受けて,福祉施設を公的に整備するための「国民保健サービス及びコミュニティケア法」が成立した。

国試会場の独特の雰囲気に負けると,この選択肢を正解にしてしまいそうです。

しかし,国民保健サービス及びコミュニティケア法は,保守党のサッチャー首相の時代にできたものです。福祉施設は公的に整備することは考えられません。

同法では,福祉サービスはさまざまな主体が供給する福祉多元主義を具現化したものです。そのためにケアマネジメントが必要となっていきます。

よって間違いです。


5 ブレア政権は,ボランタリーセクターやコミュニティの役割を重視し,政府セクターとボランタリーセクターが「コンパクト」と呼ばれる協約を結ぶ政策を展開した。

これが正解です。

ブレアと言えば,「第三の道」しか出題されたことがありませんでした。結果的にこれが正解です。

コンパクトは,この前にもそのあとにも出題されたことがない一見さんです。

これを正解とするには,ほかの選択肢が消去できなければなりません。

この手の問題を正解するのは,とてつもなく難しいものです。

知っている知識だけを頼りにしていては絶対に解けないと思います。

こういった難しい問題にチャレンジすることは,得点力を上げるには欠かせないのです。

2018年5月17日木曜日

第31回国試に合格する勉強法~歴史問題は得点を稼ぐことができる!!

法制度に関する問題は,法制度というカチッとしたものから出題されるので,いろいろな出題ができます。

変わったものは出題されるよ

という人がいますが,多くの人が思っているほど,最新のものは出題されていません。

法制度の科目の多くは,7問の科目なので,重要なものを出題すると,最新のものを出題するほどの余裕がないのかもしれません。

理論系の科目を苦手にしている人は多いです。

しかし,国家試験で出題されるのは,説が定まったものです。

そのため,出題ポイントはどうしても同じようなものになります。


「他人と過去は変えられない」とよく言われます。

過去が変わったらびっくりします。

しかし,新しい研究によって,今まで定説だと思われていたものが変わることがあります。

それが,前回の問題で取り上げた

第27回・問題33・選択肢2

2 ロンドンで設立された慈善組織協会(1869年)は,慈善活動を組織化するとともに友愛訪問を実施し,ソーシャルワークの形成に大きな影響を与えた。

です。これは現在のところ,正解だとされているものです。

日本社会福祉学会第62回秋季大会で富樫八郎先生が,

ロンドンC.O.S「友愛訪問員」及び病院「アルモナー」記述に関する検討

という興味深い研究を発表しています。

富樫先生の研究によると,イギリスのCOSでは,友愛訪問(Friendly Visiting)という用語は使われていなかったいうものです。

イギリスのCOSの代表的な人物だったロックは,COSの訪問ボランティアを「アルモナー」と呼んでいたという記述をしている著書を残しています。

これによると,イギリスのCOSでは,友愛訪問を「地区訪問(District Visiting)」と呼んでいたとされます。

多くの教科書類は,イギリスのCOSでは友愛訪問が行われたと記述されていますが,それは間違いで,友愛訪問という用語が使われたのは,アメリカのCOSだったようなのです。

さて,もう一つ興味深いことがあります。

ホーザンキッドという人が1914年の著書で,COSのアルモナーを外来に配置することを提案したことを記述しています。

多くの教科書類では,医療ソーシャルワーカーの源流は,イギリスのロイヤル・フリー・ホスピタルに新しい職種としてアルモナーが配置されたことだとされています。

最初に配置されたのは,スチュアートという女性ですが,彼女はCOSでアルモナーを務めていることが分かっています。

MSWの源流であるアルモナー制度は,新しくできたものではなく,イギリスCOSのアルモナーを病院に配置したもののようです。

富樫先生の研究によると,イギリスCOSの訪問ボランティアは「アルモナー」と呼ばれ,行っていた活動は「地区訪問」であること,病院のアルモナー制度(現在のMSW)は,新しく作られたものではなく,COSのアルモナーを病院に配置した,ということになります。

おそらく,これから出版される本は,このように変わっていくはずです。

そうすると,

ロンドンで設立された慈善組織協会(1869年)は,慈善活動を組織化するとともに友愛訪問を実施し,ソーシャルワークの形成に大きな影響を与えた。

は,現在のところでは正解となっていますが,やがて「友愛訪問」ではなく「地区訪問」と覚えていくことが必要になる時代がやってくることでしょう。


〈今日のまとめ〉

過去は変わりませんが,新しい発見によって,歴史は変わっていきます。

だからこそ・・・

定まった説があるものしか出題されません。

出題ポイントも決まってくるのです。

つまり・・・

歴史や理論は,繰り返し同じように出題されることになります。

歴史が苦手な人は多いですが,それを乗り越えたら得点しやすい領域になることは間違いないです。



2018年5月16日水曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その11

今回から,科目は「地域福祉の理論と方法」に移ります。

この科目も歴史が出題されます。

しかし,出題ポイントは決まっています。

しっかり押さえれば必ず得点できます。

第27回・問題33 地域福祉にかかわるイギリスの歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 チャルマーズ(Chalmers,T.)による隣友運動(1819年)では,貧困家庭への訪問活動が行われ,救貧法の改正に大きな影響を与えた。
2 ロンドンで設立された慈善組織協会(1869年)は,慈善活動を組織化するとともに友愛訪問を実施し,ソーシャルワークの形成に大きな影響を与えた。
3 ロンドンの富裕地域に設立されたトインビーホール(1884年)は,セツルメントの拠点として,富裕層による慈善活動を喚起する役割を担った。
4 「ベヴァリッジ報告」(1942年)は,社会保障制度の基礎となるとともに,地方自治体におけるパーソナル・ソーシャルサービスを中心とした組織改革をもたらした。
5 イギリス政府の病院計画(1962年)では,10年間で知的障害者の入所施設の利用者数をほぼ半数に減らし,コミュニティケアを推進する政策を打ち出した。

この中で,見たことのないものは「イギリス政府の病院計画」でしょう。
しかし多くの場合,このような選択肢に答えはないものです。

それでは解説です。


1 チャルマーズ(Chalmers,T.)による隣友運動(1819年)では,貧困家庭への訪問活動が行われ,救貧法の改正に大きな影響を与えた。

チャルマーズの隣友運動は,相互扶助です。それが慈善組織協会の活動につながっていきます。救貧法の改正には影響は与えていません。よって間違いです。


2 ロンドンで設立された慈善組織協会(1869年)は,慈善活動を組織化するとともに友愛訪問を実施し,ソーシャルワークの形成に大きな影響を与えた。

これが正解です。COSは不正受給を防止するために設立されたものです。

友愛訪問が専門化し,それがケースワークの源流となりました。


3 ロンドンの富裕地域に設立されたトインビーホール(1884年)は,セツルメントの拠点として,富裕層による慈善活動を喚起する役割を担った。

セツルメントは,知識階級が貧困地区に移住し,社会改良を目指したものです。よって間違いです。


4 「ベヴァリッジ報告」(1942年)は,社会保障制度の基礎となるとともに,地方自治体におけるパーソナル・ソーシャルサービスを中心とした組織改革をもたらした。

組織改革をもたらしたのは,シーボーム報告です。3部門を一元化しました。よって間違いです。


5 イギリス政府の病院計画(1962年)では,10年間で知的障害者の入所施設の利用者数をほぼ半数に減らし,コミュニティケアを推進する政策を打ち出した。

イギリス政府の病院計画は,大規模な精神病院を廃止する計画です。よって間違いです。


〈今日のまとめ〉

この問題で分かるのは,覚えておきたいのは,慈善組織協会,セツルメント,各種報告書です。

5つそろえることができなかったので,「イギリス政府の病院計画」を数合わせで出題したものと思われます。

2018年5月15日火曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その10

社会福祉士の国家試験は,150問です。

そのうち,必ず数問は歴史に関する出題があります。
全体に占める割合は,決して大きくはありません。

しかし,出題されるポイントは,いつもほとんど同じです。
苦手にしてしまうのは,あまりにもったいないです。

福祉の歴史は,それほど長くはありません。

19世紀後半から大きく動き出します。

わずか150年です。

150年でも長いと思うかもしれません。

しかし50年のわずか3倍です。50歳の人の人生を3人つなげるだけで150年となります。

そう考えると,決して古い時代のことを学んでいるわけではないように思えるような気がします。

第二次世界大戦後の施策は,今の法制度に直結しています。

歴史の勉強でいやになるのは,人の名前を覚えなければならないことでしょう。

しかし,社会福祉士の歴史で覚えるべき人は,ほとんどが写真があります。
ネットで調べるとその人物はどんな人だったのかも分かります。

面倒なことかもしれませんが,ネットで調べる学習効果は絶大です。

これは,法制度でも同じです。

法が変わるときは,国が資料を作っています。概要のようなもの以上に詳しく出題されることはないので,それだけ押さえれば十分です。

〈今日のまとめ〉

国試では,凡ミスは命取りとなります。

しっかり一つずつ覚えていくには,ひと手間かけることも必要かもしれません。
理解しにくい,と思うときは,ぜひネットを使って調べてみましょう。

2018年5月14日月曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その9

今日も歴史問題を続けます。

第27回・問題25 救貧制度の対象者として,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則(1874年(明治7年))では,身寄りのある障害者も含まれた。
2 軍事救護法(1917年(大正6年))では,戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。
3 救護法(1929年(昭和4年))では,労働能力のある失業者も含まれた。
4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))では,素行不良な者も含まれた。
5 現行生活保護法(1950年(昭和25年))では,扶養義務者のいる者も含まれる。

日本の救貧制度は,

恤救規則
救護法
旧・生活保護法
現・生活保護法

の4つが中心です。

これでは,5択にするには,1つ足りません。

この問題では,そのために「軍事救護法」が加えられています。

それでは,解説です。


1 恤救規則(1874年(明治7年))では,身寄りのある障害者も含まれた。

恤救規則は,誰にも頼ることができない「無告の窮民」を救済しました。

よって間違いです。


2 軍事救護法(1917年(大正6年))では,戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。

またまた軍事救護法かと思う人もいるでしょう。

軍事救護法の対象は,傷痍軍人とその家族,戦死軍人とその遺族です。内縁の妻は含まれません。よって間違いです。


3 救護法(1929年(昭和4年))では,労働能力のある失業者も含まれた。

救護法は,恤救規則よりも救済の対象は広がり,65歳以上の老衰者,障害等により仕事に支障がある者などです。しかし,労働能力のある失業者は含まれません。よって間違いです。


4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))では,素行不良な者も含まれた。

旧・生活保護法は,GHQの指令によって成立したものです。

無差別平等の原則が打ち出されていますが,実際には,素行不良な者などは,救護法に引き続き保護の対象外とされています。よって間違いです。

5 現行生活保護法(1950年(昭和25年))では,扶養義務者のいる者も含まれる。

これが正解です。

前にも書きましたが,歴史問題に見えながら,結局現代の問題となっています。

2018年5月13日日曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その8

今日も日本の歴史編です。

第23回・問題24 我が国における第二次世界大戦終了以前の福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 中央社会事業協会は,明治41年に設立され,国内外の救済事業の調査,慈善団体や慈善家の連絡調整・指導奨励事業のほか,救済事業の専門誌『社会事業』を発刊した。
2 ドイツのエルバーフェルト制度などを参考に大正6年に岡山県で始まり,翌年大阪府に設置された済世顧問制度は,次第に全国に普及していった。
3 救済行政の全国統一を目指して,大正6年に厚生省に救護課が設置され,大正8年にはその名称が社会課と改称され,大正9年には社会局へと発展した。
4 昭和4年に救護法が施行され,居宅における救護のほか,養老院,孤児院等の救護施設での救護を行うとともに,市町村長を民生委員が補助する体制を整えた。
5 昭和12年に母子保護法及び軍事扶助法,昭和13年に国民健康保険法,昭和16年に医療保護法が相次いで制定され,この時期,社会事業と並んで戦時厚生事業の呼称が用いられるようになった。

歴史が苦手な人でもこのくらいは覚えておきたいものが並んでいます。

前回と重なっているのは,

内務省
居宅救護(居宅保護)
戦時厚生事業

の3つです。

重なっていないのは,

中央社会事業協会
済生顧問制度

です。

国試は,少しずつ重なっていて,少しずつ違うのが分かることでしょう。

少しずつ違うのが,3年間の過去問では対応できない理由です。

それでは解説していきましょう。


1 中央社会事業協会は,明治41年に設立され,国内外の救済事業の調査,慈善団体や慈善家の連絡調整・指導奨励事業のほか,救済事業の専門誌『社会事業』を発刊した。

中央社会事業協会は,現在の全国社会福祉協議会の源流です。
中央慈善協会 → 中央社会事業協会 → 日本社会事業協会 → 中央社会福祉協議会 → 全国社会福祉協議会(全社協)

と流れていきます。

明治41年に設立されたのは,中央慈善協会です。よって間違いです。


2 ドイツのエルバーフェルト制度などを参考に大正6年に岡山県で始まり,翌年大阪府に設置された済世顧問制度は,次第に全国に普及していった。

済生顧問制度は,大正6(1917)年に岡山県で始まりました。

その翌年,大正7(1918)年に大阪では方面委員制度が始まりました。

その後方面委員制度は,全国に広がっていきます。よって間違いです。


3 救済行政の全国統一を目指して,大正6年に厚生省に救護課が設置され,大正8年にはその名称が社会課と改称され,大正9年には社会局へと発展した。

大正6(1917)年に,軍事救護法の事務を行うために,内務省救護課ができました。よって間違いです。

その翌年に米騒動が起きて,内務省救護課が社会課になり,その後局に格上げされていきます。そして昭和13(1938)年に内務省から独立して厚生省となります。


4 昭和4年に救護法が施行され,居宅における救護のほか,養老院,孤児院等の救護施設での救護を行うとともに,市町村長を民生委員が補助する体制を整えた。

明治初期にできた恤救規則は,救護法ができるまで存続します。

同法によって,養老院(現・児童養護施設),孤児院(現・養護老人ホーム)などができます。ここまでは正解です。

市町村長が救護の実施機関で,その事務を補助したのは,方面委員です。ここが間違いです。

方面委員は,戦後に民生委員に改称されて,旧・生活保護法でも,市町村長の補助機関となります。

現・生活保護法は保護の実施期間は,福祉事務所となりました。補助機関は社会福祉主事となり,民生委員は協力機関となりました。


5 昭和12年に母子保護法及び軍事扶助法,昭和13年に国民健康保険法,昭和16年に医療保護法が相次いで制定され,この時期,社会事業と並んで戦時厚生事業の呼称が用いられるようになった。

これが正解です。

軍事扶助法は,大正6(1917)年の軍事救護法を改正して成立したものです。

母子保護法,軍事扶助法,医療保護法,ここには出題されていませんが,戦時災害保護法は,救護法を補足するために成立していきます。

さまざまに分かれていたものを戦後になって,まとめて成立したのが戦後の旧・生活保護法です。

2018年5月12日土曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その7

歴史シリーズを続けます。

今回は,いよいよ日本編です。

外国に比べると出題が細かくなっています。

しかし,ポイントを押さえれば,何とかなります。

ポイントとは,大きな流れをつかむことです。

さて,それでは今日の問題です。

第21回・問題1 我が国の社会福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 明治維新の直後に制定された恤救規則は,イギリスの救貧法をモデルに制定され,救恤場を設置し,院内救済を原則とした。
2 日清戦争の前後には,労働者の貧困や都市下層社会の問題が発生し,政府は,救貧行政の強化を図るために,窮民救助法を制定した。
3 日露戦争後には,政府は,地方行政による救貧行政の進展を図るために,感化救済事業講習会を開催し,防貧だけでなく救貧の必要性を強調した。
4 第一次世界大戦末期には,物価高騰による生活苦を背景に勃発した米騒動が,社会連帯責任を強調した社会事業行政を発展させる一因となった。
5 日中戦争が全面化した時期には,政府は,軍人の保護を目的として,戦時厚生事業を行い,傷病軍人対策として廃兵院法を制定した。

歴史が苦手人は,まったく手が出ないように思うでしょう。

しかし,手がかりはあります。

それでは,解説です。

1 明治維新の直後に制定された恤救規則は,イギリスの救貧法をモデルに制定され,救恤場を設置し,院内救済を原則とした。

日本の救民保護の法制度は4つです。

恤救規則
救護法
旧・生活保護法
現・生活保護法

救護法では,孤児院(現・児童養護施設),養老院(現・養護老人ホーム)などが規定されていますが,恤救規則から現・生活保護法まで一貫して,原則は居宅保護です。

よって間違いです。

恤救規則は,米代の現金給付が救済方法です。一度だけ米の現物給付という出題がされましたが,江戸時代なら分かりますが,明治時代に米の現物給付はないだろうと思えるのではないでしょうか。


2 日清戦争の前後には,労働者の貧困や都市下層社会の問題が発生し,政府は,救貧行政の強化を図るために,窮民救助法を制定した。

第1回帝国議会は,1890年に開催されました。その政府による法案第1号が,窮民救助法案です。

先に述べたように,恤救規則は,救護法まで存続します。なぜならこの間に出された法案はすべて廃案になっているからです。よって間違いです。

廃案になった理由は,基本は民間の慈善事業であったからです。

イギリスでさえ,ブースの貧困調査が行われている時代,ナショナルミニマム(国家による最低限度の生活保障)という考えがウェッブ夫妻によって提唱されるのはもう少し先の時代です。こんな時代において,窮民救助法案が第1号だったというのは,政府のやる気をみるような気がします。

この当時の選挙は,一定以上の税金を納めた人だけができる制限選挙でした。国会議員は,すべての国民を代表したものではありません。救貧の必要性があってもその人たちには届かなかったことで廃案になったのかもしれませんね。


3 日露戦争後には,政府は,地方行政による救貧行政の進展を図るために,感化救済事業講習会を開催し,防貧だけでなく救貧の必要性を強調した。

日清戦争は,中国から多額の賠償金を受け取ることができて,好景気になります。その一方で貧富の差が広がっいきます。

日露戦争では,日本は大国ロシアを破ったものの賠償金は受け取ることができず,不景気になります。

感化救済事業は,天皇の影響力を使って,国民(この当時の呼び名は臣民)を良民にするというものです。

感化救済事業は,国が道府県に対して,どのように感化救済事業を行うかといった講習会です。感化救済事業が活発に行われたのは,明治の末期から大正年間にかけてです。昭和に入るともう既に感化はなされて必要なくなっていっということでしょう。

さて,この当時の基本は,慈善事業です。イギリスの歴史を見ても,救貧法,そして慈善組織協会(COS)にしても,窮民の救済,つまり救済が中心です。救済に陥らないようにする防貧の考え方が出てくるのは,の後からです。社会保険は防貧のための制度です。

さて,問題に戻ります。

感化救済事業講習会を開催し,防貧だけでなく救貧の必要性を強調した。

さらっと読むと正解っぽいですが,救貧ならこれまでと変わりません。国はお金に困っていた時代。救貧に割けるお金はありません。防貧が重要だったのです。よって間違いです。

今の時代も「福祉から就労へ」です。基本的には就労に結び付けたいのです。税金を払ってもらうことが国にとっては最も良いのですが,そこまで至らなくても,自活できるくらいにはしたいのがいつの時代の本音なのかもしれません。


4 第一次世界大戦末期には,物価高騰による生活苦を背景に勃発した米騒動が,社会連帯責任を強調した社会事業行政を発展させる一因となった。

今日の問題を選択肢した理由は,実はこの選択肢にあります。
1918年,富山の主婦から始まった米騒動は全国に広がりました。鎮圧するのに国は苦労して軍隊まで繰り出します。
米騒動が日本の福祉行政の転換期となっていきます。この翌年に内務省救護課が社会課になり,その後局に格上げされていきます。よって正解です。

2018年は,米騒動から100年です。どこかの科目に必ず出題されるはずです。しっかり覚えておきたいです。

因みに内務省救護課は,1917年に軍事救護法の事務を行うために設置したものです。


5 日中戦争が全面化した時期には,政府は,軍人の保護を目的として,戦時厚生事業を行い,傷病軍人対策として廃兵院法を制定した。

これももっともらしい問題に見えるはずです。しかし軍人の保護を充実させたのは,明治から大正にかけての時期です。

なぜなら,この時代の軍人は職業軍人だからです。

傷病軍人対策の廃兵院法は1906年。
傷病軍人や遺族対策の軍事救護法は1917年。

戦時厚生事業は日中戦争の時期だということは正しいですが,その時期に作られたのは,母子保護法,国民健康保険法です。よって間違いです。

厚生というのは,体を丈夫にするという意味合いです。1938年には内務省から独立して厚生省ができます。

国民の体を健康にする意味は,国民を屈強な兵士に育て上げ,戦地に送り込むためです。
母子保護法は,戦争が始まる以前から女性団体から法の整備の要請が出ていましたが,法が成立したのは戦争がらみという悲しい結果となってしまいました。

日中戦争は,民間人を徴兵していくために,普段から丈夫な体にすることが必要だったのです。


〈今日のまとめ〉
・いつの時代も保護の基本は居宅保護。

・いつの時代も国がお金に困ると福祉から就労へ

・軍人保護に関する主な法は日中戦争の時期に成立したものではない。

・戦時厚生事業は,屈強な兵士にするため。

2018年5月11日金曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その6

先日から歴史を徹底的に解説しています。

歴史の問題は多くはないですが,出題ポイントは決まっています。

苦手意識は持たず,取れる問題はしっかり取っていくことが大切です。

それでは,今日の問題です。

24回・問題23 福祉の思想や原理に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,著書『大英社会主義社会の構成』(1920年)において初めて,ナショナルミニマムの政策を提案した。その提案は,最低賃金,生存と余暇,住宅,公衆衛生,教育水準,そして環境問題に及ぶ広範なものであった。
2 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,『社会保険および関連サービス』(1942年)において,国家が個人に生計維持の自発的努力を要求することは過度になりがちであるため,ナショナルミニマムは最低限ではなく最適水準に設定すべきだとした。
3 世界人権宣言では,すべて人は,社会保障を受ける権利を有し,各国の組織及び資源にかかわりなく自己の尊厳と自己の人格の発達のための経済的・社会的・文化的権利の実現に対する権利を有すると定められている。
4 バンク-ミケルセン(Bank-Mikkelsen,N.)はノーマライゼーションの原理を世界に広めるためには,各国の文化の違いを考慮して,「可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用すること」という要素をこの原理の定義に含める必要があると主張した。
5 障害者の自立生活運動は,カリフォルニア大学バークレー校に在学する重度障害をもつ学生によるキャンパス内での運動として始まり,やがて地域での自立生活センターの活動に発展し,保護から自立支援と福祉理念の変化を促した。

この問題はとても難しい問題です。ある程度の知識がなければ絶対に解けないと思います。
勉強不足の人は,絶対に解けないはずです。

それでは早速解説します。

1 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,著書『大英社会主義社会の構成』(1920年)において初めて,ナショナルミニマムの政策を提案した。その提案は,最低賃金,生存と余暇,住宅,公衆衛生,教育水準,そして環境問題に及ぶ広範なものであった。

これもものすごく難しいです。

ウェッブ夫妻=ナショナルミニマム

といった単純な知識では絶対に解けないです。

しかし,ある程度勉強した人は,『大英社会主義社会の構成』は見たことがないと思ったはずです。

それもそのはず。

ウェッブ夫妻がナショナルミニマムを提唱したのは,著書『産業民主制論』だからです。

よって間違いです。違和感があるものは間違いであることが多いです。

実は,そのあとも間違っています。同書で提案したのは,最低賃金など4つの政策です。広範囲の提案をしたのが,『大英社会主義社会の構成』です。

よって間違いです。


2 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,『社会保険および関連サービス』(1942年)において,国家が個人に生計維持の自発的努力を要求することは過度になりがちであるため,ナショナルミニマムは最低限ではなく最適水準に設定すべきだとした。

ナショナルミニマムは,国家による最低限度の生活保障です。最適水準ではありません。

よって間違いです。

ナショナルミニマムは,日本では憲法第25条の生存権として規されています。


3 世界人権宣言では,すべて人は,社会保障を受ける権利を有し,各国の組織及び資源にかかわりなく自己の尊厳と自己の人格の発達のための経済的・社会的・文化的権利の実現に対する権利を有すると定められている。

世界人権宣言は,第二次世界大戦後に国際連合によって宣言されたものです。

「すべて人は・・・」という表現が使われているのが特徴です。

「各国の組織及び資源にかかわりなく」ではなく,「各国の組織及び資源に応じて」が正解です。よって間違いです。


4 バンク-ミケルセン(Bank-Mikkelsen,N.)はノーマライゼーションの原理を世界に広めるためには,各国の文化の違いを考慮して,「可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用すること」という要素をこの原理の定義に含める必要があると主張した。

バンク-ミケルセンは,デンマークでノーマライゼーションを提唱した人です。世界に目を向ける段階ではありません。

その後,スウェーデンのニィリエがノーマライゼーションの8つの原理を提唱しました。

その後,北米のヴォルフェンスベルガーが,世界に広げていきます。可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用することを主張したのは,このヴォルフェンスベルガーです。よって間違いです。


5 障害者の自立生活運動は,カリフォルニア大学バークレー校に在学する重度障害をもつ学生によるキャンパス内での運動として始まり,やがて地域での自立生活センターの活動に発展し,保護から自立支援と福祉理念の変化を促した。

これが正解です。

自立生活運動=IL運動は,ロバーツという重度障害の学生の運動が始まりです。

日本では,その当時は,大規模コロニーが広がっていました。そんな折,ロバーツは日本で講演活動を行い,国内でもIL運動が広がっていきました。



2018年5月10日木曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その5

「歴史が苦手」という方が多くいらっしゃいます。

歴史が苦手という方は,学校時代には日本史や世界史が苦手だったのではないでしょうか。

確かに歴史の勉強は,想像もできない昔の出来事を「何年に何があった」と無味乾燥に感じるような勉強だったのでしょう。しかし,福祉の歴史は1601年のエリザベス救貧法から始まって,1834年の改正救貧法。1909年の救貧法改正に関する王立委員会報告。1942年のベヴァリッジ報告。ものすごく範囲が狭いです。そして出てくる項目はとても限られ,しかも頻出です。

日本では,1874年の恤救規則に始まって,1929年の救護法,1946年の旧生活保護法,1950年の現行生活保護法。そして現在につながる戦後施策です。

しかもこれらは,現代社会,地域福祉,低所得者と数科目にわたって出題される超頻出事項です。社会理論のように,3回以上出題されている項目がものすごく少ない科目とは違って,歴史は範囲が狭い中で出題されるので覚えることができたら得点源にすぐできるものです。

ここでは,一応「〇〇年」を記載しましたが,年号が分からないければ解けない問題はほとんどありません。

そんなことで,今日も歴史を学んでいきます。

第25回・問題24 福祉社会の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 スウェーデンでは,1960年代初頭に福祉サービスを体系化した社会サービス法が制定され,それに基づき高齢者福祉や児童福祉のサービスが急速に発展した。 
2 日本では,1960年代のいわゆる国民皆年金の成立を踏まえて,それを補完する形で企業による退職一時金制度の整備が行われ始めた。
3 アメリカでは,1960年代に,貧困層への対策として,食糧補助のためのフード・スタンプ制度や就学前教育としてのヘッド・スタート計画などが導入された。 
4 イギリスでは,1970年代まで母子世帯の母親は自らが稼ぎ手役割を果たすことが自立であるとする政策理念のもとに,就労促進策力が展開された。 
5 ドイツでは,1980年代の失業長期化への対応として,失業保険での失業手当の請求権を有しない者に対してミーンズ・テスト付きでの給付を行う失業扶助制度が導入された。 

歴史問題の中でも,この問題は最も難しい問題でしょう。
なぜなら,先述のような内容のものではないからです。

この時点では解けても解けなくても良かった問題だと思いますが,一度出題されると再び出題されることもあるので,一応見ていきたいと思います。


1 スウェーデンでは,1960年代初頭に福祉サービスを体系化した社会サービス法が制定され,それに基づき高齢者福祉や児童福祉のサービスが急速に発展した。

スウェーデンは,高福祉の国ということはよく知られていますが,その内容はあまり知られていないのではないでしょうか。

まず社会サービス法が知られていないと思います。しかし,先日も紹介したように,1930年代からスウェーデンは福祉国家を形作って発展してきています。

そこに気がつけば,社会サービス法が分からなくても,1960年代に急速に発展したということはなさそうだと見当がつけられそうです。

スウェーデンの社会サービス法は,それまであった法制度を統合する形で1980年に制定されたものです。

よって間違いです。
 

2 日本では,1960年代のいわゆる国民皆年金の成立を踏まえて,それを補完する形で企業による退職一時金制度の整備が行われ始めた。

日本の国民皆保険・皆年金は1960年代に成立したのは正しいです。しかし,退職一時金制度(いわゆる退職金)は,戦前から始まっています。


3 アメリカでは,1960年代に,貧困層への対策として,食糧補助のためのフード・スタンプ制度や就学前教育としてのヘッド・スタート計画などが導入された。

アメリカは,1935年に世界で初めて社会保障という名称をつけた法律をつけたことで知られます。

そのアメリカの転換点になったのは,1950年代から明らかになっていく社会問題です。
アメリカは,第二次世界大戦後大きく発展し「豊かなアメリカ」となりますが,その一方で,移民問題,それに関連する貧困問題が進行していきます。

1960年代には,暗殺されたケネディ大統領の次の大統領となったジョンソンが「貧困戦争」と名付けて,それに対抗する施策を打ち出していきます。

それが,フード・スタンプ制度やヘッド・スタート制度です。よって正解です。

同時期に導入されたものには,このほかにも,メディケア,メディケイドがあります。


4 イギリスでは,1970年代まで母子世帯の母親は自らが稼ぎ手役割を果たすことが自立であるとする政策理念のもとに,就労促進策力が展開された。

難しい問題のオンパレードです。

イギリスの母子世帯に対する施策がどうだったのか,これを知って受験に臨んだ人は少なかったことでしょう。

しかし,ヒントはあります。イギリスは1979年に首相になったサッチャーは,手厚い福祉が依存性を高め,それが国を疲弊させていると考えて,さまざまな改革を実施していきます。

1970年代はサッチャーが登場する前です。ということは,手厚い福祉が実施されていた時代です。母子世帯に対する施策も手厚いものであっただろうと想像できます。この当時は,まだ就労よりも福祉が中心の施策です。よって間違いです。

「福祉から就労へ」の施策を掲げたのは,1990年代のブレア首相です。

5 ドイツでは,1980年代の失業長期化への対応として,失業保険での失業手当の請求権を有しない者に対してミーンズ・テスト付きでの給付を行う失業扶助制度が導入された。


世界は,1970年代に二度の石油危機を経験し,経済が疲弊していきます。日本も大きな打撃を受けましたが,比較的早くに持ち直し,1980年代後半には,バブル景気を迎えます。

しかし,1980年代の欧米各国は,不況にあえいでいました。

ドイツ(当時は西ドイツ)も同様です。

1970年代には,失業扶助制度を導入しましたが,1980年代には失業者が増えたことで,就労支援策に転換していきます。


<今日の一言>

福祉国家は,資本主義で得られた利益を福祉の財源にして成り立っています。

今日の問題で見た通り,経済と福祉は関連しているがよく分かると思います。

知らない問題が出題されても,今までの人生の中で見聞きして知っている知識を総動員することで見えてくることもあります。

2018年5月9日水曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その4

エスピン-アンデルセンは,脱商品化と階層化という指標を用いて,福祉国家を類型化しました。

社会民主主義レジーム → スウェーデン,デンマークなど
保守主義レジーム → フランス,ドイツなど
自由主義レジーム → イギリス,アメリカなど

それぞれは,それぞれの発展の中で制度を作り上げてきたものであり,どれが劣っていて,どれが優れた福祉レジーム(体制)だということではありません。

どのように発展してきたことを知ることは,過去を学ぶのではなく,現在の福祉レジームを理解するうえで重要です。歴史を過去のものとしかとらえられないとすると,福祉政策の理解は薄っぺらいものになってしまうことでしょう。

さて,それでは今日の問題です。

第24回・問題24 福祉レジームの生成に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 アメリカにおいては,「生活上のリスクの処理は市場に委ねる」という考え方が根強く,公的老齢年金制度も第二次世界大戦後になって法制化された。
2 イギリスにおいては,労働者の健康を保全するため,19世紀の前半に工場法によって成人男性の労働時間の上限が定められることになったが,年少者や女性の労働時間は規制の対象にはならなかった。
3 スウェーデンやデンマークでは,労働組合の発達の遅れという歴史的事情があり,その結果として中央政府が個人の生活支援のために積極的に介入する福祉レジームが生まれることになった。
4 我が国では,日清戦争後に官民の大企業を中心として,共済組合ないし経営側自らの手によって生活上の事故に対する扶助の実施,あるいは日用品の供給施設を設置するものが現れた。
5 フランスの家族手当制度は,1930年代に個々の先進企業での企業内措置として発達し,第二次世界大戦後に法制化され社会保障体系に組み入れられた。

今日の問題では,前回にはなかったフランスが加わっています。

それでは,解説していきます。

1 アメリカにおいては,「生活上のリスクの処理は市場に委ねる」という考え方が根強く,公的老齢年金制度も第二次世界大戦後になって法制化された。

アメリカは,自由主義レジームの国です。福祉サービスの供給は市場が担い,それでニーズを充足できない場合,公的に供給します。

アメリカは,1929年に始まった世界大恐慌に対応するために,完全雇用を目指したニューディール政策を実施しました。昔学校でも習ったことがあるでしょう。

それでも救済できなかった者に対して,1935年の社会保障法を成立させています。連邦政府が老齢保険(OASDI),州政府が失業保険と公的扶助を運営しました。第二次世界大戦が終わったのは,1945年です。つまり,老齢保険は第二次世界大戦の前には法制化されています。よって間違いです。


2 イギリスにおいては,労働者の健康を保全するため,19世紀の前半に工場法によって成人男性の労働時間の上限が定められることになったが,年少者や女性の労働時間は規制の対象にはならなかった。

前回は,日本の工場法が出てきましたが,今回はイギリスの工場法(1833年)です。
規制の対象は,最初は児童,次は女性,そして成人男性と広げていきました。
よって間違いです。


3 スウェーデンやデンマークでは,労働組合の発達の遅れという歴史的事情があり,その結果として中央政府が個人の生活支援のために積極的に介入する福祉レジームが生まれることになった。

スウェーデンやデンマークは,社会民主主義レジームに分類されます。

前回は,スウェーデンが出題されました。自由民主党という政党が存在していたかどうかは分かりませんが,福祉国家を発展させたのは,社会民主党です。政党名は,政党のイデオロギーを示すので,支持母体は労働者団体であることが想像できます。

つまり早い段階から労働組合が発達したことが分かります。よって間違いです。


4 我が国では,日清戦争後に官民の大企業を中心として,共済組合ないし経営側自らの手によって生活上の事故に対する扶助の実施,あるいは日用品の供給施設を設置するものが現れた。

日清戦争は,日本の産業革命が進んだ中で起きました。戦争に勝利したことで,日本は多額の賠償金を受け取ることができて,祝賀ムードとともに好景気になりました。

その中で発生したのは,労働者の貧困問題です。それに対応するために,さまざまな対策を行う大企業が現れてくるようになります。よって正解です。

その後の日露戦争では,賠償金はなかったために,日本は不況になります。そこで国は,感化救済事業を実施して,防貧対策を図っていきました。


5 フランスの家族手当制度は,1930年代に個々の先進企業での企業内措置として発達し,第二次世界大戦後に法制化され社会保障体系に組み入れられた。

フランスは,実は社会支出は社会民主主義レジームの国々よりも多く,実は高福祉を実施しています。

特徴は,家庭福祉に大きく支出していることです。

家族手当の歴史はとても古く,1932年に法制化されています。よって間違いです。


福祉国家が形成されるのは,第二次世界大戦後だというイメージは強いかもしれません。

しかし,そこに至る過程で,さまざまな取り組みがなされてきたことが分かることでしょう。

2018年5月8日火曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その3

歴史に関する出題があるのは・・・

現代社会と福祉
地域福祉の理論と方法
低所得者に対する支援と生活保護制度
相談援助の基盤と専門職
高齢者に対する支援と介護保険制度

この辺りの科目が中心です。

国試全体に占める割合は,本当に一部です。

各領域の法制度を確実に得点できれば,歴史を覚えなくても何とかなる問題数と言えます。
しかし,そこまで割り切るのは怖いです。

決して深追いする必要はありませんが,最低限のものは覚えていきたいです。

それでは,今日の問題です。

第22回・問題24 20世紀前半における福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 スウェーデンでは自由民主党政権が誕生(1920年)し,同政権によって同国の自由主義的福祉政策の基本的な枠組みが形成されて福祉国家の基礎となった。
2 アメリカではニューディールの一環として,公的扶助,失業保険,医療保険,福祉サービスの4本柱を内容とする社会保障法(1935年)が制定された。
3 ドイツでは第二次世界大戦後の基本法において,ようやくすべての国民に「人間としての尊厳を有する生活」を保障する生存権が確定した。
4 日本では工場労働者の最低就業年齢や最長労働時間など労働者の保護を定めた工場法が,第一次世界大戦後に初めて制定された。
5 日本では1938年に厚生省が設置され,また,私設社会事業への届出義務,改善命令,監督・指示,寄付金募集,補助等を定めた社会事業法が制定されている。

スウェーデン,アメリカ,ドイツ,日本が出題されています。

難易度の高い問題です。いやだなぁ,と思う人もいるでしょう。

それでは解説です。

1 スウェーデンでは自由民主党政権が誕生(1920年)し,同政権によって同国の自由主義的福祉政策の基本的な枠組みが形成されて福祉国家の基礎となった。

スウェーデンは,エスピン-アンデルセンの分類によると,社会民主主義レジームの国にあたります。

社会民主主義レジームの特徴は,普遍主義によって供給されることが多いことです。

スウェーデンは現在でも高福祉の国としてのイメージが強いと思います。

1913年には,世界で初めてとなるすべての国民を対象とした国民年金法を成立させています。

自由民主党という政党がかつてあったかどうか分かりませんが,本格的に福祉国家の道を歩み出すのは,1920年代で,1930年代に政権を担当した社会民主党がさらに推進していきました。自由民主党ではないので間違いです。

国際的にも政党名は,政党のイデオロギーを表します。自由民主党という政党では,自由主義レジームを形成すると考えられます。


2 アメリカではニューディールの一環として,公的扶助,失業保険,医療保険,福祉サービスの4本柱を内容とする社会保障法(1935年)が制定された。

アメリカは,エスピン-アンデルセンの分類によると,自由主義レジームの国にあたります。供給は選別主義によって実施されることが多いです。

アメリカが歴史の中で登場するのは,世界で初めて社会保障法という名称をつけた法律を成立させたことです。

内容は,公的扶助,失業保険,福祉サービスの3つです。医療保険は含まれません。よって間違いです。


3 ドイツでは第二次世界大戦後の基本法において,ようやくすべての国民に「人間としての尊厳を有する生活」を保障する生存権が確定した。


ドイツは,エスピン-アンデルセンの分類によると,保守主義レジームの国にあたります。供給は貢献原則によって実施されることが多いです。

ドイツは,世界で初めて社会保険を成立させた国です。もう一つ世界で初めてなのは,1919年のワイマール憲法で生存権を規定したことです。よって間違いです。

ドイツの生存権は,日本国憲法の第25条に影響を与えたと言われています。

4 日本では工場労働者の最低就業年齢や最長労働時間など労働者の保護を定めた工場法が,第一次世界大戦後に初めて制定された。

日本は,エスピン-アンデルセンの分類では,どこにも分類されません。

日本の工場法は,日本で初めての労働者保護の法律です。意外と古くて1911年で第一次世界大戦前です。

よって間違いです。

同法は,第二次世界大戦後の労働基準法制定まで存続しました。


5 日本では1938年に厚生省が設置され,また,私設社会事業への届出義務,改善命令,監督・指示,寄付金募集,補助等を定めた社会事業法が制定されている。

これが正解です。1938年に内務省から独立して,厚生省が設置されました。

2018年5月7日月曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その2

前回から歴史問題に取り組んでいます。

しばらく続けていきたいと思います。

それでは,今日の問題です。

第28回・問題24 イギリスにおける貧困対策の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 新救貧法(1834年制定)は,劣等処遇の原則を否定した。
2 慈善組織協会(COS,1869年設立)は,救済に値する貧民に対する立法による救済を主張した。
3 ブース(Booth,C.)は,ロンドン貧困調査から「貧困線」という概念を示した。
4 老齢年金法(1908年成立)は,貧困高齢者に,資力調査なしで年金を支給した。
5 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,「社会保障計画」を提唱した。

福祉の歴史の中心は,イギリスです。

イギリスは,世界で初めて産業革命を経験し,さまざまな資本主義の弊害を潜り抜けてきました。

その歴史は,貧困との闘いだと言えるでしょう。

それでは,詳しく見ていきましょう。


1 新救貧法(1834年制定)は,劣等処遇の原則を否定した。

前回も紹介しましたが,救貧法は,エリザベス救貧法と改正救貧法の違いを押さえる必要があります。

改正救貧法は,中央政府による中央集権化,自活する貧民よりも低いレベルで救済する「劣等処遇の原則」がポイントです。

よって間違いです。

2 慈善組織協会(COS,1869年設立)は,救済に値する貧民に対する立法による救済を主張した。

慈善組織協会(COS)は,救済の価値のある貧民と救済の価値のない貧民に分けて,救済の価値のある貧民だけを救済しました。

立法による救済は主張していません。よって間違いです。


3 ブース(Booth,C.)は,ロンドン貧困調査から「貧困線」という概念を示した。

これが正解です。ブースは貧困線を設けて,実に3割が貧困に陥っていること,貧困の原因は,最も多かったものは雇用の問題,そして2番目は環境の問題であることが明らかとなりました。

ブースの貧困調査を一歩進めたものが,ラウントリーによる調査です。

ラウントリーは,最低生活費から貧困線を設けるマーケットバスケット方式という科学的な方法を用いました。


4 老齢年金法(1908年成立)は,貧困高齢者に,資力調査なしで年金を支給した。

イギリスの老齢年金法は,全額公費負担方式でした。

社会保険方式ではないので,資力調査を実施して年金が支給されています。よって間違いです。


5 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,「社会保障計画」を提唱した。

ウェッブ夫妻が提唱したのは,ナショナルミニマム(国家による最低生活保障)です。よって間違いです。

ウェッブ夫妻が提唱したナショナルミニマムを取り入れた社会保障計画を提唱したのは,べヴァリッジです。



〈今日の一言〉

歴史は,勘では解けないので,勉強不足の人は太刀打ちでないものとなります。

しかし,決して深い知識は問われず,しかも出題されるのはいつも同じです。

つまり勉強すれば点数が取れるものになります。

2018年5月6日日曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉の歴史編~その1

今日から,数回に分けて,福祉の歴史を解説していきたいと思います。

それでは早速ですが,今日の問題です。

第22回・問題23 イギリスの救貧法等の福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 エリザベス救貧法(1601年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。
2 救貧法改正(1834年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は関与しないことになった。
3 チャールズ・ブース(Booth,C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。
4 「救貧法に関する王立委員会報告」(1909年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。
5 20世紀初頭のイギリスでは,公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な社会改革が進められた。

歴史といっても,福祉の歴史はとても短く,イギリスでは,さかのぼっても1601年のエリザベス救貧法以降,本格的なものは19世紀からです。

歴史はいやだ,と思う人も多いと思います。しかし出題されるのは多くはないので,苦手でもなんとか攻略できることでしょう。

それでは解説です。


1 エリザベス救貧法(1601年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。

エリザベス救貧法は,「みせしめのためにワークハウスで労働させた」という文脈で語られることが多いように思います。

しかし,救済の対象は,労働能力のあるなしにかかわらず救済したところに特徴があります。

よって間違いです。

慈善組織協会(COS)は,救済の価値のある貧民と救済の価値のない貧民に分けて,救済の価値のある貧民だけを救済したこととは対照的です。


2 救貧法改正(1834年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は関与しないことになった。

国家試験では,エリザベス救貧法(1601年)と救貧法改正(1834年)の違いについて,いつも聞かれます。

救貧法改正は,中央政府による中央集権化,自活する貧民よりも低いレベルで救済する「劣等処遇の原則」がポイントです。

よって間違いです。


3 チャールズ・ブース(Booth,C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。

ブース,ラウントリーの貧困調査は,それまでは貧困に陥るのは本人の問題によるものだと思われてきたものを大きく変換させるきっかけとなりました。

ブースのロンドン市民を対象とした調査では,実に3割が貧困に陥っていること,貧困の原因は,最も多かったものは雇用の問題,そして2番目は環境の問題であることが明らかとなりました。よって正解です。


4 「救貧法に関する王立委員会報告」(1909年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。

救貧法に関する王立委員会による報告書には,多数派報告と少数派報告の2つがあります。

多数派報告は,救貧法を修正して残すべきだとするもの,少数派報告は,救貧法を解体すべきだとするものです。よって間違いです。

救貧法に関する王立委員会の初期のメンバーには,実はブースも関わっていました。

ブースはロンドン市民を対象とした貧困調査で貧困に陥る理由を明らかにしましたが,基本的に,救済は救貧法が行うものだという発想から抜け出すことはできませんでした。

ブースは健康上の理由で委員を辞職したので報告書のメンバーには入っていませんが,委員会メンバー及び国民も救済は救貧法が基本であるという発想だったのでしょう。

少数派報告のメンバーには,のちにナショナルミニマム(国家による最低限の生活保障)を提言するウェッブ夫妻の妻のベアトリス・ウェッブが入っています。

ベアトリスたちは,国民に働きかける活動を行うことで国民の信任を得ていきます。そして歴史ある救貧法が廃止されるきっかけとなっていきます。

5 20世紀初頭のイギリスでは,公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な社会改革が進められた。

1911年の国民保険法は,医療保険と失業保険から構成されています。よって間違いです。この国民保険法は,のちにイギリスの福祉国家構想のもととなるべヴァリッジ報告(1942年)をまとめたべヴァリッジがかかわってつくられたものです。

べヴァリッジ報告では,ウェッブ夫妻が提唱したナショナルミニマムを取り入れて作成されました。

べヴァリッジ報告は発売され,国民に多くの支持を得ていきます。そこに目をつけたのが,チャーチル首相です。「ゆりかごから墓場まで」を旗頭にして,ドイツのファシズム(全体主義)に対抗しようとしました。

エリザベス救貧法は,救済されるものにスティグマを与えました。べヴァリッジはどのようにしたら,スティグマを与えることなく,救済することができるかに果敢にチャレンジしていきます。

今日の問題は,現行カリキュラムによる国試の第1回の問題です。

とてもバランスがよく作られていると思います。

この1問を解説するだけで,イギリスの歴史のつながりを理解することができます。

2018年5月5日土曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉政策の徹底分析~その4

福祉政策は「現代社会と福祉」の中心的テーマです。

難しく感じる人は多いかもしれませんが,それでも苦手意識をなくせば,何とか答えは見えてくる問題もあります。

過去問を解くのは,そういった勘を養う意味が大きいです。

今日の問題は,知識がなかった場合を想定して問題を解いた場合の例です。

そういった視点で問題を見てみてください。

第28回・問題29 福祉サービスにおける準市場(疑似市場)に関する次の記述のうち,適切なものを1つ選びなさい。

1 利用者のサービス選択を支援する仕組みが必要である。
2 サービスの質のモニタリングは不要である。
3 同一地域におけるサービスの供給者は1つに限定される。
4 営利事業者やNPOが参入できないよう,規制される。
5 自治体が,福祉サービスの購入者となることが前提である。

準市場が分からないという前提です。

その言葉から,

完全な市場ではないけれど,市場の要素は持っている市場であるというイメージはつかめることでしょう。

まずは,各選択肢をみると・・・

1 支援する仕組みが必要である。
2 モニタリングは不要である。
3 供給者は1つに限定される。
4 規制される。
5 前提である。

2と3と4は,何となく間違いっぽく感じる語尾です。

1と5が正解っぽく感じてくれれば,この問題の半分は解けたことになります。

2と3と4は,市場っぽくないため。

1と5は,準市場は完全な市場ではないので,準市場の要素につながりそうであるため。

別な見方をすると,以下の点に気がつくことでしょう。

1は,利用者の支援を述べている文章。

5は,2と3と4と同じタイプで,市場の仕組みを述べている文章。
つまり1だけ別の視点で述べられた文章です。

答えは1です。
こういったところに気がつくかどうかがとても重要なのです。

準市場は,資源の供給に市場の要素を一部取り入れたものです。

日本では,介護保険サービスが準市場となります。
ある程度の規制はされていますが,新規参入は規制されていないため。
そして,競争はあっても価格は決まっているため。

因みに5は,措置制度の仕組みです。

2018年5月4日金曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉政策の徹底分析~その3

先日から,福祉政策を解説しています。

少しは,慣れたことでしょうか。

その中で,何度も「普遍主義」と「選別主義」が出てきています。

過去30回の中での出題回数をみると・・・

普遍主義 8回
選別主義 6回

普遍主義の方が若干多いですが,どちらも出題頻度が高いことが分かります。

今日は,普遍主義&選別主義を深めていきたいと思います。

第23回・問題28 普遍主義と選別主義に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 普遍主義とは,福祉サービスを真に必要とする人々を選び出して,それらの人々にサービスを重点的に提供する方法である。
2 福祉サービスを選別主義的に提供すると,サービスは真に必要な人々に行き渡るので,利用者がスティグマを感じることが少なくなる。
3 自由主義レジームの福祉国家では,福祉サービスが普遍主義的に提供されることが多い。
4 ティトマス(Titmuss,R.)は,選別的サービスが社会権として与えられるためには,その土台に普遍主義的サービスが必要であると主張した。
5 日本の生活保護制度は,資力調査なしに給付される典型的な普遍主義給付ということができる。

普遍主義,選別主義の本質をしっかり押さえておかなければ答えられない問題だと思います。

1942年に出されたイギリスのべヴァリッジ報告は,いかにスティグマを与えないようにするかを追求しました。それらも考慮しながら解説していきたいと思います。

1 普遍主義とは,福祉サービスを真に必要とする人々を選び出して,それらの人々にサービスを重点的に提供する方法である。

普遍主義は,ニーズがある場合,所得を調査しないで,資源を配分します。

選別主義は,ニーズがある場合,所得を調査して,条件にあった場合,資源を配分します。

選び出すのは,選別主義です。よって間違いです。

普遍主義の方が優れた福祉政策のように思う人もいるかもしれません。

べヴァリッジ報告のべヴァリッジもそのように考えました。

しかし,普遍主義では,ニーズの強弱にかかわらず,ニーズがあれば資源を供給することになるので,どうしてもニーズがそれほど強くない方に合わせて資源を供給することになりがちです。

2 福祉サービスを選別主義的に提供すると,サービスは真に必要な人々に行き渡るので,利用者がスティグマを感じることが少なくなる。

スティグマとはらく印のことです。選別主義は,真にニーズがある人に資源を供給することができますが,それと同時にスティグマを感じさせてしまうことになります。よって間違いです。

べヴァリッジは,スティグマをいかに感じさせないで資源を供給するかを追求して,普遍主義を目指しました。

しかし,普遍主義では,選別主義よりも多くの資源を必要とします。そのため,イギリスでは財源不足を来たし,制度発足からすぐに政策変更を余儀なくされました。


3 自由主義レジームの福祉国家では,福祉サービスが普遍主義的に提供されることが多い。

この問題を難しくしている理由は,自由主義レジームの理解が必要だからです。

エスピン-アンデルセンという人は,福祉国家を福祉レジームという言葉を使って3つに類型化しました。

その一つが自由主義レジームです。

自由主義レジームの特徴は,福祉ニードの充足は,基本的には市場によって供給され,市場で充足できないものを国家が供給します。

そのため選別主義がとられます。よって間違いです。

保守主義レジームの特徴は,貢献原則がとられることです。貢献原則とは,多く拠出した人により多くの資源を供給するものです。

社会民主主義レジームの特徴は,多くの場合にニーズがある人に資源を供給する普遍主義をとることです。


4 ティトマス(Titmuss,R.)は,選別的サービスが社会権として与えられるためには,その土台に普遍主義的サービスが必要であると主張した。

べヴァリッジは,べヴァリッジは,スティグマを与えないために,普遍主義をとりました。しかし財源不足から選別主義をとらざるを得なくなってしまいました。

そのあと,イギリスでは,普遍主義と選別主義をめぐる論争が展開されます。

その時に登場しきたのが,ティトマスという人です。

ティトマスは,どのようにするとスティグマを与えないで,真に必要としている人に資源を供給するかを考えました。

それが,普遍主義が土台にあって,その上に選別主義的にサービスを供給するという方法です。よって正解です。

普遍主義と選別主義はどちらが優れている福祉政策なのか,という視点を変換させて,その関係性を論じたのです。


5 日本の生活保護制度は,資力調査なしに給付される典型的な普遍主義給付ということができる。

日本の生活保護制度は,資力調査(ミーンズテスト)を行う典型的な選別主義です。
よって間違いです。


〈今日の一言〉

選別主義が出てきたら,日本の生活保護制度を思い浮かべると良いでしょう。



2018年5月3日木曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉政策の徹底分析~その2

前回に引き続き,利用過程について深掘りしていきたいと思います。

福祉政策で言えば,利用過程は出口の部分に当たります。入口にはニーズですね。

それでは,早速今日の問題です。

第22回・問題31 福祉制度の利用に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。

1 T.H.マーシャル(Marshall,T.H.)はシティズンシップの三要素のうち,「社会の標準的な水準に照らして文明市民としての生活を送る権利」を含む諸権利を市民的権利と呼んだ。
2 真に福祉サービスを必要としている人々を選別する仕組みを導入することによって,福祉制度の利用に伴うスティグマ付与の要因を排除することができる。
3 医療や福祉サービスのような専門的サービスで生じやすい情報の非対称性を是正するためには,利用者に関する個人情報をサービス提供者に開示し,エンパワメントする必要がある。
4 日本では1990年の社会福祉事業法等の改正により行われた社会福祉基礎構造改革に基づき,福祉サービスの利用関係が契約による利用制度から行政が関与する支援費制度に変更された。
5 社会福祉法では社会福祉事業の経営者に対して,自らその提供する福祉サービスの質を評価することなどによって,良質で適切な福祉サービスを提供するよう努めるべきことを定めている。

この科目が嫌いになる理由がよく分かるような問題ですね。

しかし,今まで紹介してきたものも少しずつ重なって出題されているので,分かる選択肢もあるでしょう。

それでは,詳しく解説していきます。

1 T.H.マーシャル(Marshall,T.H.)はシティズンシップの三要素のうち,「社会の標準的な水準に照らして文明市民としての生活を送る権利」を含む諸権利を市民的権利と呼んだ。

この国試を受験した人は,まずマーシャルという名前で,びっくりしたことでしょう。それまでシティズンシップ(市民権)について出題されたことがありませんでした。
シティズンシップ(市民権)は,別の言い方をすると基本的人権とも言えるものです。
日本国憲法が定める基本的人権を古典的に分類すると
自由権
社会権
参政権
国務追求権
となります。
古典的というのは,かつてはこのように分類することが多かったのですが,近年はさまざまな分類が出てきているようです。詳しくはよく分かりません。
さて,マーシャルは,シティズンシップを3つに分類しました。
市民的権利
社会的権利
政治的権利
です。
自由権は,市民的権利
社会権は,社会的権利
政治的権利は,参政権・国試追求権に相当します。

「社会の標準的な水準に照らして文明市民としての生活を送る権利」は,分かりにくい表現になっていますが,生存権などの社会的権利です。
自由権を市民的権利と表現しているのは,自由権は,市民革命などによって市民が手にした権利だからです。国家から干渉されない権利です。
それに比べると社会的権利は,国家によって積極的に保障されなければなりません。

2 真に福祉サービスを必要としている人々を選別する仕組みを導入することによって,福祉制度の利用に伴うスティグマ付与の要因を排除することができる。

普遍主義,選別主義がまた出て来ました。スティグマを感じさせないのは,普遍主義です。

3 医療や福祉サービスのような専門的サービスで生じやすい情報の非対称性を是正するためには,利用者に関する個人情報をサービス提供者に開示し,エンパワメントする必要がある。

情報の非対称性と,サービス提供者と利用者の情報量の差を言います。持っている情報が少ないのは利用者です。利用者に対して多くの情報が開示されなければなりません。


4 日本では1990年の社会福祉事業法等の改正により行われた社会福祉基礎構造改革に基づき,福祉サービスの利用関係が契約による利用制度から行政が関与する支援費制度に変更された。

2000年に変更されたのは,従来の措置制度から契約制度です。

支援費制度は,障害福祉サービスの契約制度で,2003~2005年までの3年間に実施された制度です。支援費制度で注意なのは,精神障害者は対象外だったことです。精神障害者が含まれるようになったのは,2006年の障害者自立支援法からです。


5 社会福祉法では社会福祉事業の経営者に対して,自らその提供する福祉サービスの質を評価することなどによって,良質で適切な福祉サービスを提供するよう努めるべきことを定めている。

社会福祉法第78条では「第七十八条 社会福祉事業の経営者は、自らその提供する福祉サービスの質の評価を行うことその他の措置を講ずることにより、常に福祉サービスを受ける者の立場に立つて良質かつ適切な福祉サービスを提供するよう努めなければならない。」と定めています。よって正解です。

2018年5月2日水曜日

第31回国試に合格する勉強法~福祉政策の徹底分析~その1

「現代社会と福祉」は,10問出題される科目です。10問科目の特徴は,出題範囲が広いことです。

その中でも,この科目が苦手だと思う人は,つかみどころがないように感じるのではないでしょうか。

勉強しても点数が伸びにくい科目であることは事実ですが,まったくつかみどころがないわけではありません。

つかみどころはズバリ

福祉政策の本質を理解すること

これに尽きます。

今回から数回にわたり,解説していきたいと思います。

まず1回目は,サービス利用についてです。

第27回・問題27 受益と負担に関する次の記述のうち,適切なものを1つ選びなさい。

1 福祉サービスの利用者負担には,利用者と非利用者との公平を確保する機能がある。
2 財務省は,社会保障負担額と財政赤字額の合計が国民所得に占める割合を国民負担率として公表している。
3 社会福祉基礎構造改革以前は,福祉サービスを利用した者からの費用徴収額はサービスの利用量に応じて決められていた。
4 所得控除は,所得税の税対象から最低生活費を除く方法であり,実際の税負担軽減効果は低所得者に有利に働く。
5 公費負担(税)方式は,受益と負担の対応関係が社会保険方式より明確である。


何を書いてあるのか,さっぱり分からないという人もいるかもしれません。

国試直前であればそれは困りものですが,まだ国試戦線の火ぶたは切られたばかりの今は分からなくて当然です。

焦ることは決してありません。

日本語の特徴は・・・

漢字を混ぜて使用していることです。

漢字は漢字そのものに意味があります。

つまり,その用語を知らなくても推測できます。英語だとその言葉自体が分からなければお手上げです。

その視点を合わせて,この科目に取り掛かれば多くの場合,理解の促進を図ることができます。

かなりいけますよ。

それでは解説していきます。

1 福祉サービスの利用者負担には,利用者と非利用者との公平を確保する機能がある。

日本の社会保障制度の仕組み

社会保険制度
社会福祉制度
生活保護制度

の3種類があります。

そのうち,利用者負担があるのは,社会保険制度と社会福祉制度です。

それぞれは,それぞれのニーズを充足するために利用されます。

しかしニーズがない人は利用することはありません。

社会保険制度の場合を考えます。

社会保険制度は日本では税負担もありますが,基本的には社会保険料によって成り立ちます。

サービス利用に利用者負担がない場合を考えると

サービス利用をしない人は,保険料拠出だけを行います。
サービス利用をする人も,保険料拠出だけを行います。

不公平な感じがすると思います。そのため,利用者負担で調整しているのです。

これは税負担によって運営される社会福祉制度も同様です。よって正解です。


2 財務省は,社会保障負担額と財政赤字額の合計が国民所得に占める割合を国民負担率として公表している。

国民負担率は,しっかり押さえておきたいです。

国民負担率は,国民所得に占める税金+社会保障負担額の合計の割合です。国際比較に使われます。

財政赤字額を加えた率は,潜在的国民負担率というそうです。

しかし,国試で押さえておきたいのは,潜在的国民負担率ではなく,国民負担率です。


3 社会福祉基礎構造改革以前は,福祉サービスを利用した者からの費用徴収額はサービスの利用量に応じて決められていた。

福祉サービスの利用料の徴収方法には,「応能負担」「応益負担」の2種類があります。

応能は「能力に応じて」
応益は「受益に応じて」

という意味です。日本語はありがたいです。

社会福祉基礎構造改革以前は,応益負担が基本でした。よって間違いです。


4 所得控除は,所得税の税対象から最低生活費を除く方法であり,実際の税負担軽減効果は低所得者に有利に働く。

所得控除は,所得税の税負担を軽くするので,税負担が多い人の方が有利に働く方式です。つまり低所得者には有利に働きません。よって間違いです。


5 公費負担(税)方式は,受益と負担の対応関係が社会保険方式より明確である。

公費負担方式は,社会福祉制度と生活保護制度です。

そのうち,分かりやすいのは生活保護制度です。

生活保護制度は,事前に税負担をしていなくても生活保護を受けることができます。つまり負担はしません。よって間違いです。

受益と負担の対応関係が明確なのは,社会保険制度です。社会保険制度の基本は,事前に社会保険料を拠出することで,保険事故が発生した場合,制度利用が可能となります。


〈今日の一言〉

福祉制度を勉強する時は,身近な制度に置き換え覚えるのがコツです。

丸暗記は,あいまいな知識につながりますので注意が必要です。

2018年5月1日火曜日

国試に合格する勉強法~ニーズのとらえ方④

「現代社会と福祉」は,10問出題される科目です。10問科目は,他に「地域福祉の理論と方法」「高齢者に対する支援と介護保険制度」があります。

7問科目に比べると,若干つっこんだ出題や出題基準のどこに相当するのか不明確な出題があるのが特徴とも言えます。

さて,今回は,ニーズのとらえ方の上級編です。

若干つっこんだタイプの問題だと言えるでしょう。

古典的な福祉ニーズは,窮乏(貧困)です。貧困は,古くから存在していました。

その時代は,宗教や篤志家による救済が行われて来ました。

貧困が社会問題化するのは,世界史的に言えば,イギリスの領主が羊を飼うために,小作人を領地から追い出した「エンクロージャー」です。

土地をなくした小作農は,仕事を求めてロンドンなどに集まります。しかし十分な賃金が得られず,スラム化していきます。

その後,産業革命がおこり多くの労働者を必要となりました。地方から都会に仕事を求めて多くの労働者が集まってきますが,今の時代と違って,労働者を保護するような法制度はありません。

アダムスは,「神の見えざる手」という言葉で,価格は,需要と供給のバランスによって決まると考えましたが,実際には,神の見えざる手は,資本家のあざとい企みによって,機能しませんでした。

本来なら,労働力が不足すると,賃金は上がるはずです。しかしそれは自由競争が行われている場合です。資本家が結託してしまえば,神の見えざる手は働くなります。

この場合の「資本家の結託」とは,労働者の賃金を資本家たちの合意で決めてしまうことです。労働力の闇カルテルと言えるでしょう。

古典的な自由主義は,資本家と労働者という2つの層を大きくしていくことになります。
資本家はただ搾取していたわけではなく,慈善事業を行いますが,構造は変化するものではありません。

国家が国民の最低限度の生活を保障するという考え方が出てくるのは,20世紀に入ってからです。

その間に,資本家と労働者の対立が激しくなっていき,共産主義思想が誕生します。

そこでマルクスは,国家体制を資本主義と共産主義に分類したうえで,共産主義の方が高い次元のものであると考えました。

ロシア革命が起きて,世界初の共産主義国家が誕生します。

資本主義国家も変貌し,社会保険が誕生していきます。

現代では,先述のように,国家が国民の最低限度の生活を保障するナショナルミニマムによって多くの国は運営されるようになってきました。

所得保障は,古典的な窮乏(貧困)のニーズを充足するためのものです。

現代は,最低限度の生活保障がなされてもまだ充足できないニーズがたくさん出てきています。

そのために,どのようにニーズを判定するのかは,かつてないほど複雑かつ高度なものとなってきているのです。


さて,前説はこのくらいにして,今日の問題です。

第25回・問題25 人間のニードをめぐる諸理論に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 スミス(Smith,A.)は,『諸国民の富』(1776年)において,人間にとっての必需品は,どのような社会においても変わらない内容をもつものであると論じ,そのような共通性が自由競争市場の基盤であると主張した。
2 マルクス(Marx,K.)は,「ゴータ綱領批判」(1875年)において,人間のニード充足における資本主義の特性を論ずるなかで,人間のニードは個々人の能力に応じて充足されるべきであると主張した。
3 マズロー(Maslow,A.)は,「人間の動機の理論」(1943年)において,人間の基本的ニードが5種類の要素に分類され,それらは相互に関連しあっているために人間は総合的な発達を遂げると論じた。
4 セン(Sen,A.)は,「財と潜在能力」(1985年)において,人間のニード充足を財の消費からもたらされる効用によって定義する学説を批判して,達成できる機能の集合である潜在能力(capabilities)によって評価すべき,とする理論を提唱した。
5 ドイアル(Doyal,L.)とゴフ(Gough,I.)は,「ヒューマンニードの理論」(1991年)において,基本的ニードは人間が自己善を追求する上で妨げとなる重大な侵害を避けるために必要とするものであるため,本質的に主観的かつ相対的であると論じた。


上級編というだけあって,ものすごく難しいと思うでしょう。

それでも,丁寧に考えると答えは出てきます。

解説します。

1 スミス(Smith,A.)は,『諸国民の富』(1776年)において,人間にとっての必需品は,どのような社会においても変わらない内容をもつものであると論じ,そのような共通性が自由競争市場の基盤であると主張した。

アダムスは,公民で習ったことがあると思います。今日の問題は上級編ですから,アダムス=国富論=神の見えざる手,といった覚え方では答えを引き出すことはできません。
アダムスが論じた「神の見えざる手」は,価格は需要と供給によって決まる,という考え方です。

必需品は,季節によっても変わります。必需品は変わります。よって間違いです。

資本家が必要なのは労働力,労働者が必要なのは賃金です。労働者は労働を商品として賃金を得ます。本来なら需要が多ければ,商品の価格は上がるはずです。理論では自由競争社会ではそうなるはずですが,実際には理論通りにならないことが多いのが世の常です。


2 マルクス(Marx,K.)は,「ゴータ綱領批判」(1875年)において,人間のニード充足における資本主義の特性を論ずるなかで,人間のニードは個々人の能力に応じて充足されるべきであると主張した。

マルクスは「能力に応じて労働し,ニーズに応じて受け取ること」という理念である共産主義を提唱しました。


3 マズロー(Maslow,A.)は,「人間の動機の理論」(1943年)において,人間の基本的ニードが5種類の要素に分類され,それらは相互に関連しあっているために人間は総合的な発達を遂げると論じた。

マルクスが提唱した共産主義は,多くの労働者に受け入れられ,1917年にはロシア革命が起きます。その後の多くの共産主義国家が誕生しました。

労働者にとって理想的だった共産主義は,現在では多くの国が放棄しています。

なぜそうなってしまったのでしょうか。

その疑問を解くカギは,マズローの欲求段階説にあります。

マズローは,人間の欲求には5段階あり,低次の欲求が満たされると高度の欲求が生じると考えました。

この問題は「発達」と書かれていますが,発達理論ではないので間違いです。

マズローによると,最上階の欲求は「自己実現欲求」です。自分の目指す自分になりたいという欲求です。

自尊・承認欲求は,ある程度の競争があった方がより満たされます。テストで良い点数を取った,国試に合格した,などによってニーズは充足します。

共産主義で満たされるは,せいぜい3段階目である「所属と愛の欲求」ではないでしょうか。その上には自尊・承認の欲求があります。つまり人に認められたい,そのことによって自分の存在価値を見いだす,というものです。

共産主義は競争がない社会です。働いても働かなくても,認められなくても認められなくても同じ報酬が得られます。

そこで起きるのは「寡頭制の鉄則」です。集団が大きくなると少数派が多数派を支配するようになるという法則です。少数派である資本主義とは違った新しい支配層に認められることで自尊・承認欲求を満たそうとする人も出てくるでしょう。

しかし,働いても働かなくても同じ報酬が得られることは,経済発展にはつながりにくくなってしまいます。

一方,資本主義の国は,自由競争の中に規制を設け,そして所得の再分配という仕組みを作り出し,福祉国家に変貌を遂げていきました。

マズローの欲求段階説の最上位の欲求は,「自己実現欲求」です。現代の資本主義国家は自己実現欲求を満たしやすい国家体制だと言えるでしょう。

19世紀には労働者にとって理想的だった共産主義は,窮乏(貧困)を充足させるためには有効です。しかし人のニーズは経済的に豊かであるということにとどまりません。


4 セン(Sen,A.)は,「財と潜在能力」(1985年)において,人間のニード充足を財の消費からもたらされる効用によって定義する学説を批判して,達成できる機能の集合である潜在能力(capabilities)によって評価すべき,とする理論を提唱した。

アマルティア・センは,ケイパビリティ・アプローチを提唱した人です。センのケイパビリティ・アプローチは,財があるかないかという古典的貧困観とは違い,福祉的な自由を選択することができることが重要だと考えました。よって正解です。

例えば,愛する人のそばにいることが福祉的自由です。逆に愛する人のそばにいられないことが,貧困状態です。


5 ドイアル(Doyal,L.)とゴフ(Gough,I.)は,「ヒューマンニードの理論」(1991年)において,基本的ニードは人間が自己善を追求する上で妨げとなる重大な侵害を避けるために必要とするものであるため,本質的に主観的かつ相対的であると論じた。

最も難しいものは,この選択肢だと思います。4を正解にできなかった人は,本当に混乱したことでしょう。

ドイアルとゴフは,基本的ニードは客観的で絶対的なものだと提唱したそうです。

国試に合格するニーズの覚え方~番外編

前回まで4回にわたって,ニーズのとらえ方を解説してきました。

固定的なニーズは,窮乏(貧困)です。

そのため,窮乏をどのようにとらえたらよいのか,多くの人が試みてきました。

今回は,人はニーズをどのようにとらえてきたのかを切り口として解説していきたいと思います。


第27回・問題22 貧困及びニードのとらえ方に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 タウンゼント(Townsend,P)は貧困者には共通した「貧困の文化(culture of poverty)」があることを明らかにした。

2 リスター(Lister,R)は,「ノーマティブ・ニード」に加えて,「フェルト・ニード」を提案した。

3 ルイス(Lewis,O.)は,「相対的剥奪」の概念を精緻化することで,相対的貧困を論じた。
4 ブラッドショー(Bradshaw,J)は,絶対的貧困・相対的貧困の二分法による論争に終止符を打つことを目指した。

5 スピッカー(Spicker,P)は,「貧困」の多様な意味を,「物質的状態」,「経済的境遇」及び「社会的地位」の三つの群に整理した。

この問題は,

国試における「貧困」の出現数の年次推移~社会福祉士国試は時代を映す鏡です!!

http://fukufuku21.blogspot.jp/2018/02/blog-post_22.html

で紹介したので,覚えている方もいるいるでしょう。

それでは解説です。

1 タウンゼント(Townsend,P)は貧困者には共通した「貧困の文化(culture of poverty)」があることを明らかにした。

19世紀後半から20世紀の前半,イギリスではブース,ラウントリーによって貧困調査が行われました。

特徴は,生きるためのぎりぎりラインである貧困線を定めたことです。

それ以下の生活を送る人の貧困状態をあぶり出しました。これを絶対的貧困と言います。

それに対して,タウンゼントは,周囲の人が普通に行っていることができないことを相対的剥奪と呼び,その状態を相対的貧困だと定義づけました。

相対的貧困は,時代や社会によって変化していくことが特徴です。

ルイスという人は,5つのメキシコ人の家族を分析して,貧困者には,共通の「貧困の文化」があると考えました。

貧困の文化とは,貧困者は貧困状態を受け入れて,そこから抜け出そうとしない文化があり,その文化は親から子に受け継がれるというものです。

しかし,たった5つの家族の共通点を調べただけでは,それを普遍化する考察は深まらないでしょう。

2 リスター(Lister,R)は,「ノーマティブ・ニード」に加えて,「フェルト・ニード」を提案した。

リスターは,スピッカーとセットで覚えたいです。5でまとめて紹介します。

「ノーマティブ・ニード」「フェルト・ニード」は,ブラッドショーのニーズの分類です。
これは絶対に覚えておきたいです。

3 ルイス(Lewis,O.)は,「相対的剥奪」の概念を精緻化することで,相対的貧困を論じた。

相対的貧困を論じたのは,先述のようにタウンゼントです。

絶対的貧困と相対的貧困の違いをしっかり押さえておきたいです。

4 ブラッドショー(Bradshaw,J)は,絶対的貧困・相対的貧困の二分法による論争に終止符を打つことを目指した。

ブラッドショーは,先述のように,ニードを分類した人です。

絶対的貧困・相対的貧困の二分法による論争に終止符を打つことを目指したのかどうかは分かりませんが,絶対的貧困,相対的貧困とは違った貧困をとらえた新しい流れを作ったのは,アマルティ・センです。

センは,福祉的自由を行使できる機能の集合体である潜在能力(ケイパビリティ)に着目しました。潜在能力が欠如している状態を貧困だととらえたことに特徴があります。

このように貧困をとらえる方法をケイパビリティ・アプローチと言います。

貧困のとらえ方の流れは,

古典的な貧困である「絶対的貧困」,周囲と比べる「相対的貧困」,潜在能力に着目した「ケイパビリティ・アプローチ」

しっかり覚えておきたいです。

5 スピッカー(Spicker,P)は,「貧困」の多様な意味を,「物質的状態」,「経済的境遇」及び「社会的地位」の三つの群に整理した。

最後は,リスターとスピッカーです。

まずは,スピッカーです。貧困の「貧困の家族的類似」を提唱しました。

貧困に関する概念を分析すると,

「物質的状態」「社会的地位」「経済的境遇」に分類できて,共通するものとして「容認できない困難」があると述べました。

よって正解です。

リスターは,スピッカーの考え方を車輪に置き換えた「車輪モデル」を提唱しました。

車輪は丸いです。

車輪の中心部(ハブ部)に「物質的欠乏」を配置して,車輪部分に「非物質的欠乏」を配置して,その関係性を説明しました。

(2018/11/16追記)

リスターとスピッカーの貧困論を重ねてみます。

中心にあるのは,「容認できない困難」(スピッカー),「物質的欠乏」(リスター)。

周りにあるのは,「物質的状態・社会的地位・経済的境遇」(スピッカー),「非物質的欠乏」(リスター)

つまり,スピッカーのいう「容認できない困難」とは,物質的欠乏のことを言っているのだと思います。古典的な貧困です。

古い言葉で表現すると「絶対的貧困」でしょう。

そして,「物質的状態・社会的地位・経済的境遇」は,非物質的な欠乏のことと重なるでしょう。これらは新しい貧困と言えます。

スピッカーは物質も含めていますが,リスターが示した車輪部分は,絶対的貧困でもなく,相対的貧困でもない,新しい貧困です。

サスペンスドラマでは,周りの人が理解できない殺人事件の原因になりそうなテーマなのではないでしょうか。

これらを出題した理由は,複合的な福祉ニーズを理解するためのものと言えるでしょう。

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