今日から,数回に分けて,福祉の歴史を解説していきたいと思います。
それでは早速ですが,今日の問題です。
第22回・問題23 イギリスの救貧法等の福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 エリザベス救貧法(1601年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。
2 救貧法改正(1834年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は関与しないことになった。
3 チャールズ・ブース(Booth,C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。
4 「救貧法に関する王立委員会報告」(1909年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。
5 20世紀初頭のイギリスでは,公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な社会改革が進められた。
歴史といっても,福祉の歴史はとても短く,イギリスでは,さかのぼっても1601年のエリザベス救貧法以降,本格的なものは19世紀からです。
歴史はいやだ,と思う人も多いと思います。しかし出題されるのは多くはないので,苦手でもなんとか攻略できることでしょう。
それでは解説です。
1 エリザベス救貧法(1601年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。
エリザベス救貧法は,「みせしめのためにワークハウスで労働させた」という文脈で語られることが多いように思います。
しかし,救済の対象は,労働能力のあるなしにかかわらず救済したところに特徴があります。
よって間違いです。
慈善組織協会(COS)は,救済の価値のある貧民と救済の価値のない貧民に分けて,救済の価値のある貧民だけを救済したこととは対照的です。
2 救貧法改正(1834年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は関与しないことになった。
国家試験では,エリザベス救貧法(1601年)と救貧法改正(1834年)の違いについて,いつも聞かれます。
救貧法改正は,中央政府による中央集権化,自活する貧民よりも低いレベルで救済する「劣等処遇の原則」がポイントです。
よって間違いです。
3 チャールズ・ブース(Booth,C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。
ブース,ラウントリーの貧困調査は,それまでは貧困に陥るのは本人の問題によるものだと思われてきたものを大きく変換させるきっかけとなりました。
ブースのロンドン市民を対象とした調査では,実に3割が貧困に陥っていること,貧困の原因は,最も多かったものは雇用の問題,そして2番目は環境の問題であることが明らかとなりました。よって正解です。
4 「救貧法に関する王立委員会報告」(1909年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。
救貧法に関する王立委員会による報告書には,多数派報告と少数派報告の2つがあります。
多数派報告は,救貧法を修正して残すべきだとするもの,少数派報告は,救貧法を解体すべきだとするものです。よって間違いです。
救貧法に関する王立委員会の初期のメンバーには,実はブースも関わっていました。
ブースはロンドン市民を対象とした貧困調査で貧困に陥る理由を明らかにしましたが,基本的に,救済は救貧法が行うものだという発想から抜け出すことはできませんでした。
ブースは健康上の理由で委員を辞職したので報告書のメンバーには入っていませんが,委員会メンバー及び国民も救済は救貧法が基本であるという発想だったのでしょう。
少数派報告のメンバーには,のちにナショナルミニマム(国家による最低限の生活保障)を提言するウェッブ夫妻の妻のベアトリス・ウェッブが入っています。
ベアトリスたちは,国民に働きかける活動を行うことで国民の信任を得ていきます。そして歴史ある救貧法が廃止されるきっかけとなっていきます。
5 20世紀初頭のイギリスでは,公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な社会改革が進められた。
1911年の国民保険法は,医療保険と失業保険から構成されています。よって間違いです。この国民保険法は,のちにイギリスの福祉国家構想のもととなるべヴァリッジ報告(1942年)をまとめたべヴァリッジがかかわってつくられたものです。
べヴァリッジ報告では,ウェッブ夫妻が提唱したナショナルミニマムを取り入れて作成されました。
べヴァリッジ報告は発売され,国民に多くの支持を得ていきます。そこに目をつけたのが,チャーチル首相です。「ゆりかごから墓場まで」を旗頭にして,ドイツのファシズム(全体主義)に対抗しようとしました。
エリザベス救貧法は,救済されるものにスティグマを与えました。べヴァリッジはどのようにしたら,スティグマを与えることなく,救済することができるかに果敢にチャレンジしていきます。
今日の問題は,現行カリキュラムによる国試の第1回の問題です。
とてもバランスがよく作られていると思います。
この1問を解説するだけで,イギリスの歴史のつながりを理解することができます。
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