歴史の問題は多くはないですが,出題ポイントは決まっています。
苦手意識は持たず,取れる問題はしっかり取っていくことが大切です。
それでは,今日の問題です。
第24回・問題23 福祉の思想や原理に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,著書『大英社会主義社会の構成』(1920年)において初めて,ナショナルミニマムの政策を提案した。その提案は,最低賃金,生存と余暇,住宅,公衆衛生,教育水準,そして環境問題に及ぶ広範なものであった。
2 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,『社会保険および関連サービス』(1942年)において,国家が個人に生計維持の自発的努力を要求することは過度になりがちであるため,ナショナルミニマムは最低限ではなく最適水準に設定すべきだとした。
3 世界人権宣言では,すべて人は,社会保障を受ける権利を有し,各国の組織及び資源にかかわりなく自己の尊厳と自己の人格の発達のための経済的・社会的・文化的権利の実現に対する権利を有すると定められている。
4 バンク-ミケルセン(Bank-Mikkelsen,N.)はノーマライゼーションの原理を世界に広めるためには,各国の文化の違いを考慮して,「可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用すること」という要素をこの原理の定義に含める必要があると主張した。
5 障害者の自立生活運動は,カリフォルニア大学バークレー校に在学する重度障害をもつ学生によるキャンパス内での運動として始まり,やがて地域での自立生活センターの活動に発展し,保護から自立支援と福祉理念の変化を促した。
この問題はとても難しい問題です。ある程度の知識がなければ絶対に解けないと思います。
勉強不足の人は,絶対に解けないはずです。
それでは早速解説します。
1 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,著書『大英社会主義社会の構成』(1920年)において初めて,ナショナルミニマムの政策を提案した。その提案は,最低賃金,生存と余暇,住宅,公衆衛生,教育水準,そして環境問題に及ぶ広範なものであった。
これもものすごく難しいです。
ウェッブ夫妻=ナショナルミニマム
といった単純な知識では絶対に解けないです。
しかし,ある程度勉強した人は,『大英社会主義社会の構成』は見たことがないと思ったはずです。
それもそのはず。
ウェッブ夫妻がナショナルミニマムを提唱したのは,著書『産業民主制論』だからです。
よって間違いです。違和感があるものは間違いであることが多いです。
実は,そのあとも間違っています。同書で提案したのは,最低賃金など4つの政策です。広範囲の提案をしたのが,『大英社会主義社会の構成』です。
よって間違いです。
2 ベヴァリッジ(Beveridge,W.)は,『社会保険および関連サービス』(1942年)において,国家が個人に生計維持の自発的努力を要求することは過度になりがちであるため,ナショナルミニマムは最低限ではなく最適水準に設定すべきだとした。
ナショナルミニマムは,国家による最低限度の生活保障です。最適水準ではありません。
よって間違いです。
ナショナルミニマムは,日本では憲法第25条の生存権として規されています。
3 世界人権宣言では,すべて人は,社会保障を受ける権利を有し,各国の組織及び資源にかかわりなく自己の尊厳と自己の人格の発達のための経済的・社会的・文化的権利の実現に対する権利を有すると定められている。
世界人権宣言は,第二次世界大戦後に国際連合によって宣言されたものです。
「すべて人は・・・」という表現が使われているのが特徴です。
「各国の組織及び資源にかかわりなく」ではなく,「各国の組織及び資源に応じて」が正解です。よって間違いです。
4 バンク-ミケルセン(Bank-Mikkelsen,N.)はノーマライゼーションの原理を世界に広めるためには,各国の文化の違いを考慮して,「可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用すること」という要素をこの原理の定義に含める必要があると主張した。
バンク-ミケルセンは,デンマークでノーマライゼーションを提唱した人です。世界に目を向ける段階ではありません。
その後,スウェーデンのニィリエがノーマライゼーションの8つの原理を提唱しました。
その後,北米のヴォルフェンスベルガーが,世界に広げていきます。可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用することを主張したのは,このヴォルフェンスベルガーです。よって間違いです。
5 障害者の自立生活運動は,カリフォルニア大学バークレー校に在学する重度障害をもつ学生によるキャンパス内での運動として始まり,やがて地域での自立生活センターの活動に発展し,保護から自立支援と福祉理念の変化を促した。
これが正解です。
自立生活運動=IL運動は,ロバーツという重度障害の学生の運動が始まりです。
日本では,その当時は,大規模コロニーが広がっていました。そんな折,ロバーツは日本で講演活動を行い,国内でもIL運動が広がっていきました。