2022年11月16日水曜日

福祉元年について

まずは戦後の社会保障制度の変遷を考えてみたいと思います。

 

昭和20年代は,国民全体が貧しく,救貧の時代です。救貧の中心的制度は,公的扶助です。

 

昭和30年代に入ると,高度経済成長の時代になり,防貧の時代になります。防貧の中心的制度は,社会保険です。

 

日本に限らず,世界の資本主義国家は,社会保障制度を整えて,福祉国家に変遷していきます。

もし,資本主義国家が福祉国家にならなかったとしたら,世界中が共産主義の国になっていたかもしれません。

 

昭和40年代に入っても,高度経済成長は続きます。

 

昭和48年(1973年)は,給付内容の拡大が図られ,「福祉元年」と呼ばれました。

 

この時に行われたもののうち,代表的なものは,以下の2つです。

 

70歳以上の医療費の自己負担分を支給する「老人医療費無料化」。

②物価に合わせて年金の給付額が変動する「物価スライド」。

 

①「老人医療費無料化」は,昭和57年(1982年)の老人保健法成立に伴い,老人医療費の一部負担が導入されて終わりました。

 

②「物価スライド」は,平成16年(2004年)に,給付額を緩やかに変動させる「マクロ経済スライド」という仕組みに変更されています。

 

昭和50年代は,社会保障制度の見直しの時期に入ります。その一つが老人保健法による「老人医療費の一部負担」の導入です。

 

平成時代以降は,少子高齢化に対応する施策が実施されていきます。

 

それでは,今日の問題です。

 

32回・問題26 1973年(昭和48年)の「福祉元年」に実施した福祉政策に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 年金の給付水準を調整するために物価スライド制を導入した。

2 標準報酬の再評価を行い,厚生年金では「9万円年金」を実現した。

3 被用者保険における家族療養費制度を導入した。

4 老人医療費支給制度を実施して,60歳以上の医療費を無料にした。

5 老人家庭奉仕員派遣事業が法制化された。

 

聞いたことがないものが含まれるこの問題は,正解がわからないと消去法では答えられないというかなり難易度が高い問題だと言えます。

 

それでは,解説です。

 

1 年金の給付水準を調整するために物価スライド制を導入した。

 

これが正解です。

 

前説の通り,福祉元年では,物価スライドが導入されています。

 

物価スライドは,平成16年から,給付額を緩やかに変動させる「マクロ経済スライド」に変わっています。

 

2 標準報酬の再評価を行い,厚生年金では「9万円年金」を実現した。

 

「9万円年金」がよくわからないものでした。

 

当時の厚生省は,被用者の標準的なモデルの年金額(月額)を想定していました。

 

推移は以下のようになります。

 

モデル年金の月額

昭和40年(1965年)

1万円(1万円年金と呼ばれる)

昭和44年(1969年)

2万円(2万円年金と呼ばれる)

昭和48年(1973年)

5万円(5万円年金と呼ばれる)

昭和51年(1976年)

9万円

昭和55年(1980年)

13万円

平成元年(1989年)

20万円

 

福祉元年に実現したのは5万円年金,9万円(9万円年金と呼ばれたかは不明)になったのは,昭和51年(1976年)のことです。

 

3 被用者保険における家族療養費制度を導入した。

 

家族療養費は,家族に対する療養の給付(医療の現物支給のこと)です。

導入されたのは,昭和17年(1942年)の健康保険法の改正によるものです。

 

4 老人医療費支給制度を実施して,60歳以上の医療費を無料にした。

 

老人医療費支給制度を実施したのは適切ですが,年齢は70歳以上です。

 

5 老人家庭奉仕員派遣事業が法制化された。

 

老人家庭奉仕員派遣事業とは,現在のホームヘルプサービスです。

 

昭和30年代から先進的な自治体が実施していた事業を昭和38年(1963年)に老人福祉法で法制化しました。

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