2018年9月4日火曜日

日本の救貧制度のあゆみ~その3

今回も我が国の救貧制度の発展過程を紹介します。

今日取り上げる問題は,合格基準点が72点,合格率が18.8%を記録した第25回のものです。

第30回国試は,合格基準点が99点となり,いろいろな問題を醸し出しましたが,この第25回国試は,現在の国試のスタイルに変化していく出発点となったものです。

今日は前説なしで問題を見ていただきます。


第25回・問題64 我が国における戦前の低所得・貧困者救済の内容に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。

2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。

3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。

4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。

5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。


次回も我が国の救貧制度の発展過程を取り上げますが,現行カリキュラムで出題された同様の問題の中ではこの問題が飛び切り難しいです。

なぜなら,それまでに出題されたことがないものが正解選択肢になったからです。

それでも選択肢を一つひとつ丁寧に読めば,それなりにヒントはあるので,正解にたどり着くことができます。

しかし,この第25回は,現在の国試問題よりも多くの文字数を使って作成されていたので,読む時間はかなりかかっていました,

今日の問題は,それでもまだ短い方の問題ではありますが,その分内容が難しくなっています。

第30回国試で,合格基準点が99点になったことで,どんな勉強をすればよいのか,方向が見えなくなっている人もいるみたいです。

しかし,勉強すべき内容はまったく変わるものではありません。

多くの人が取れる問題で取りこぼしをしないように,基礎力をとにかくつけていくことです。

それは国試問題がどう変わろうとも変わることのない真実です。


第31回国試の試験委員は,前回からほとんど変わっていません。ということは,急に問題が長くなるということはないでしょう。

それではどのようにすると,正解率を下げることができるのでしょうか。

それには,もっともらしい間違い選択肢を一つ混ぜることです。

それによって,受験生は混乱し,正しい判断ができなくなります。

この試験委員が仕掛けるトラップをうまく避けるためには,基礎力をつけることしかないのです。

各選択肢の文字数を極力そろえたり,表現をそろえたり,「のみ」や「すべて」などは使わないなど,日本の表現上による破たんをきたさないように,丁寧に問題が作られています。

勘の良さで解ける問題ではないので,勉強不足は命取りとなります。

それを肝に銘じて,確実に合格への階段を上っていきましょう。

それでは解説です。


1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。

これは間違いです。恤救規則による救済の方法は米代の現金給付です。

2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。

これも間違いです。

方面委員制度は,2018年,つまり今年で創設100年です。

1918年に発生した米騒動は,民衆の力を政府に知らせるきっかけとなりました。

それによって政府による福祉行政が展開されていくことになります。

一方地方では,大阪府で方面委員制度ができます。

前年に創設された岡山県の済世顧問制度と同様に,現在の民生委員の源流です。

その後方面委員は全国に広まり,救護法によって,救護の補助機関となりました。

現在の保護の実施機関は,福祉事務所,補助機関は社会福祉主事,協力機関は民生委員です。


3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。

これが正解です。

この問題を難しくする理由は,さまざまな事業が列挙されていることです。

普通なら,これだけ列挙されていれば,その中の一つ,特に最後の一つは間違いのものを含むことが多いです。

しかし,これは正解です。

4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。

これは間違いです。

内務省に救護課ができたのは,1917年に成立した軍事救護法の事務を取り扱うためです。

先述のように,1918年に米騒動が起きたことで,1919救護課を社会課,1920年社会課を社会局に昇格。1938厚生省となります。

米騒動はとても重要な出来事です。


5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。

これは間違いです。軍事救護法は,一般の生活困窮者は対象としません。

1937年に軍事救護法は軍事扶助法に改正されて,第二次世界大戦に備えていくことになります。

<今日の一言>

2018年は,米騒動,方面委員制度創設から100年の節目の年です。

必ずどこかの科目で出題されるでしょう。

特に米騒動は,福祉行政の転換点となっています。

米騒動後には,初の平民宰相となった原敬内閣が設立し,さまざまな防貧政策が打ち出されていきます。

これらが,選択肢3で出題された,公設市場,公益質屋,公営浴場,職業紹介などです。

米騒動は,それまでの救貧政策から防貧政策へと切り替わるきっかけを作ったのです。

そして,1922年には,日本初の社会保険である「健康保険法」が出来ます。

米騒動の周辺には,軍事救護法も含めて,重要な施策が多く生まれています。

しっかり押さえておきたいです。




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