国家試験は難しい
そんなイメージがあります。
実際に簡単ではない試験であることは確かです。
しかししかし・・・
イメージは幻想です。
人は,一度「すごいなぁ」「かなわないなぁ」とイメージすると,それが強く印象に残ります。
社会福祉振興・試験センターのイメージ戦略はすごいなぁ,と感じます。
社会福祉士の国家試験は,難しそう・・・
このイメージが,受験生に残すことができれば成功です。
野球のピッチャーは,すごい球を一球見せることができたら,その打席はピッチャーが優勢になります。
そのあとは,バッターが勝手にそのイメージにとらわれて,甘い球でも凡打してくれます。
すごいピッチャーなら,最後に「伝家の宝刀」といった決め球で打ち取ることができることでしょう。
しかしそのような球を持たないピッチャーは,先述のような頭脳的な技術を用います。
社会福祉士の国家試験も同じです。
とても難しい問題と一つ二つ出題しておけば,国家試験問題がとても難しいイメージが受験生の脳裏に強烈に焼き付きます。
その結果,「どうせ勉強しても簡単に合格できない」という気持ちを持つ人も出てきます。
自滅の状態です。
しっかり勉強していても,難しいイメージが強いと比較的難易度が低い問題であってもしっかりボールをとらえることがてきなくなってしまいます。
こうなれば,試験センターの思うつぼです。
そうして合格率25%,合格基準点90点をキープしているのです。
今日の問題は,問題がとても難しかった第25回の国家試験の中でも指折りの難易度の高い問題です。
いわゆる「③誰も解けない問題」です。
そう思って問題を見てください。
そうしないと,試験センターの思うつぼです。
第25回・問題23
福祉の原理をめぐる哲学,とりわけ自由と平等に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。
1 リバタリアニズム,とりわけ右派の思想は,他者からの束縛,強制から解放されることが最も重要であるという積極的自由の概念を中核にしているため,福祉制度の拡充には否定的である。
2 古典的自由主義が自由放任を重んじるのに対して,新自由主義は自由を実現できる機会が個人に付与されるべきであり,その限りにおいて国家の福祉的介入が必要であるとする新しい観点を掲げている。
3 パターナリズムは,個々人の自由よりも類としてのまとまりを重視しているため,類別に類型化された一律の福祉的介入を推奨し,その範囲内で限定的に個人の自由を認めている。
4 レスポンシプ・コミュニタリアニズムは,社会善をなすためにコミュニティ全体の秩序と個々人の権利の尊重との間の調和が必要であるとの立場で,福祉制度の推進において市民社会の役割を重視している。
5 フェミニズム運動は,第一波では,家庭をはじめとする私的領域での男性との平等を求めたが,20世紀中期以降の第二波では,女性の解放のためのさらなる手段として,公的領域,特に教育,雇用,福祉,政治における男性との平等な機会を求めるようになった。
今は,どれも参考書に書かれているので,勉強が進んでいる人の中には,これらの意味が分かる人もいることでしょう。
しかし,第25回の国家試験の時点では,分からない用語が多く,もうお手上げ状態だった人も多かったと思います。
こんな問題を見せられたら,「今までの勉強は何だったのだろうか」といった無力感・自責感が襲ってきた人が多かったのではないでしょうか。
現在の国家試験では,完全なお手上げ問題に見えても,ある程度勉強が進んでいる人なら,正解率は33.3%程度は確保できる問題に収まることが多いです。
こんなことを考えると今日の問題のタイプは,もう出題されないかもしれません。
それでは詳しく見ていきましょう。
今日は,設問文から確認します。
「福祉の原理をめぐる哲学」と記述されています。
福祉の原理と言われるとものすごく難しい言葉のように思われるでしょう。深く考えていくと本当に難しいものではあると思います。
国家試験で問われることはないと思いますが,ここでちょっと確認です。
福祉≠社会福祉
福祉は,人の幸せのことです。
福祉=生活保障
という解釈が成り立ちです。
社会保障制度審議会の50年勧告でも「生活保障」は国の責任である,ということを明記しています。
構図を簡単に言うと
福祉 > 社会政策 > 社会保障 > 社会福祉
という図式になります。
福祉は,極めて広い概念であることが分かることでしょう。
そのため,自由・平等に関するものが出題されても不思議はないです。
それでは,詳しく見ていきましょう。
1 リバタリアニズム,とりわけ右派の思想は,他者からの束縛,強制から解放されることが最も重要であるという積極的自由の概念を中核にしているため,福祉制度の拡充には否定的である。
最初に難しいものを「バーン」と出すのは,出題パターンとしては,そこには正解はないことが多いです。
なぜなら,びっくりさせるための選択肢だからです。
リバタリアリズムは,自由至上主義と訳されるそうです。
後述の自由主義と違うのは,積極的に自由を求めるものではなく,「自分を放っておいて」という消極的自由を求めるところです。
よって×。
細かく言うと,リバタリアリズムの右派は,自由を拡大することを目指すもの,左派はそれに加えて公正を求めるものだそうです。
2 古典的自由主義が自由放任を重んじるのに対して,新自由主義は自由を実現できる機会が個人に付与されるべきであり,その限りにおいて国家の福祉的介入が必要であるとする新しい観点を掲げている。
古典的自由主義とは,自由放任(レッセフェール)を重視し,国家は何かあるときだけ関与する「夜警国家」のことです。
新自由主義は,福祉への関与をなるべく小さくして市場原理を取り入れていくものです。
よって×。
3 パターナリズムは,個々人の自由よりも類としてのまとまりを重視しているため,類別に類型化された一律の福祉的介入を推奨し,その範囲内で限定的に個人の自由を認めている。
パターナリズムは,父権主義と訳されるもので,自己決定に任せるのではなく,上から半ば支配的に決定するものです。
文章が難解なので引っ掛けられそうになりますが,個人の自由を認めるものではなさそうであることは何となく分かるかもしれませんね。
正しくは,やっぱり個人の自由を認めるものではなく,個人には自由にさせないものです。
よって×。
4 レスポンシプ・コミュニタリアニズムは,社会善をなすためにコミュニティ全体の秩序と個々人の権利の尊重との間の調和が必要であるとの立場で,福祉制度の推進において市民社会の役割を重視している。
コミュニタリアニズムは,サンデルが提唱するもので,コミュニティを重視するものです。
しかしかつてのファシズム(全体主義)と違うのは,ファシズムは,全体が良ければ個人の犠牲も良しとするのに対して,コミュニタリアニズムは,個人とコミュニティのバランスを重視するものです。
レスポンシプ・コミュニタリアニズムは,個人の尊重とコミュニティ全体の秩序の調和が必要であるとする考え方です。
よって正解です。
5 フェミニズム運動は,第一波では,家庭をはじめとする私的領域での男性との平等を求めたが,20世紀中期以降の第二波では,女性の解放のためのさらなる手段として,公的領域,特に教育,雇用,福祉,政治における男性との平等な機会を求めるようになった。
フェミニズム運動の第一波と第二派というのもなんのこっちゃ,という感じですね。
最後の最後まで,答えはこれだ,とできないもので終始した問題です。
本当によく分かりません。
調べてみたら,第一波は女性の参政権などを求めたもの,第二波は性差の是正を求めたものとのことです。
消去できそうなのは,新自由主義の選択肢2とパターナリズムの選択肢3だけです。
選択肢1,4,5は,〇も▲も×もつけられません。
こんな問題は誰もが解けないです。つまり解けなくても大丈夫です。
この当時は,ロールズの出題が続いていたので,ハーバード大学のサンデルも出題されることが予測されていました。
模擬試験もそれを予測して,いろいろな会社がサンデルを出題して対策を取っていました。
サンデルが出題されたものの,予測していたものとは,内容がまったく違っていました。
それでも,模擬試験でサンデルが出ることを予測して作問した人は,とても満足感が高かったでしょう。
ポイントがずれていたので,受験者にとってはまったく意味のなさないものです。
試験対策セミナーでは
この辺りが出そうなのでしっかり押さえておいてください
という講師がいます。
そこが出たらその講師の満足感は高いものでしょう。
しかしそれでは受験生は対応できないのです。
どこがどう出る,といったように具体的なものなら役に立ちます。
そうでないとしたら,そういうあいまいな言い方はやめてほしいです。
受験生にとって悪です。
過去問を分析すると,どのように出題されてくるかは分かりますが,初めて出題される場合は,どこをどのように攻めてくるか,予測することはとても難しいです。
どのように出題されるか分からないものに時間をかけるのなら,どのような出題されるか分かっているものにその時間をかけたほうが良いです。
どのように出題されるか分からないものに時間をかける意味を見出すとしたら,これだけやった,という充足感かもしれません。
因みに,コミュニタリズムは,今後も出題されることがあると思います。第28回に早速出題されていました。