覚えられないと・・・
不安
焦る
といった気持ちになります。
リフレーミングすると・・・
これはとても良いことです。なぜなら,勉強をしているからこそ,焦りや不安を感じます。
覚えられない
リフレーミングすると・・・
これもとても良いことです。
なぜなら,覚えようとしているから,覚えられないと感じます。
見方,考え方を変えることを「リフレーミング」と言います。
自分でリフレーミングができれば良いですが,これからマイナス言葉はできるだけ封印しましょう。
辛い,苦しい,勉強時間が取れない,覚えられない,などの言葉は国家試験まで発しないように心がけましょう。
それよりも,楽しいことを考えましょう。
今日の問題です。
第25回・問題25
人間のニードをめぐる諸理論に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 スミス(Smith,A.)は,『諸国民の富』(1776年)において,人間にとっての必需品は,どのような社会においても変わらない内容をもつものであると論じ,そのような共通性が自由競争市場の基盤であると主張した。
2 マルクス(Marx,K.)は,「ゴータ網領批判」(1875年)において,人間のニード充足における資本主義の特性を論ずるなかで,人間のニードは個々人の能力に応じて充足されるべきであると主張した。
3 マズロー(Maslow,A.)は,「人間の動機の理論」(1943年)において,人間の基本的ニードが5種類の要素に分類され,それらは相互に関連しあっているために人間は総合的な発達を遂げると論じた。
4 セン(Sen,A.)は,「財と潜在能力」(1985年)において,人間のニード充足を財の消費からもたらされる効用によって定義する学説を批判して,達成できる機能の集合である潜在能力(capabilities)によって評価すべき,とする理論を提唱した。
5 ドイアル(Doyal,L.)とゴフ(Gough,I.)は,「ヒューマンニードの理論」(1991年)において,基本的ニードは人間が自己善を追求する上で妨げとなる重大な侵害を避けるために必要とするものであるため,本質的に主観的かつ相対的であると論じた。
すべてが人名になっている問題です。
外国人の名前を覚えるのが苦手だと思っている人には,最悪に思える問題でしょう。
これらも現在はすべて参考書に載っていると思うので,勉強が進んだ人なら,何となくでも意味は分かるかもしれません。
しかしほとんどは,初めて出題された内容です。
この中でなじみがあるものは,マズローとセンくらいでしょう。
このタイプの問題は,人名を入れ替えることはあまりありません。
つまり
AはBを提唱した
CはDを提唱した
の主語を入れ替えて
CはBを提唱した
AはDを提唱した
とはしないということです。
何度も出題さているものなら,入れ替え問題はありますが,初めて出題されるものは,入れ替えをしてしまうと,それでなくても難しいのに更に難しくなってしまうからです。
問題を成立させるためには,文章を間違ったものに作り替えなければなりません。
そのために,慎重に文章を見てみると不自然さが感じられることは多々あります。
口の悪い人は「国語力」が試される試験である,と言ったりします。
ここが医学などの自然科学系の学問領域とは違うところだと思います。
それではどんなところに違和感があるのかを,それぞれ詳しく見て行きましょう。
1 スミス(Smith,A.)は,『諸国民の富』(1776年)において,人間にとっての必需品は,どのような社会においても変わらない内容をもつものであると論じ,そのような共通性が自由競争市場の基盤であると主張した。
スミスが言ったかどうかは分かりません。
しかし,必需品がどの社会でも同じというのは違和感があります。
社会によって違いがあるから交換が行われて,市場が成立します。
もしみんなが同じものしか必要としなければ,交換は行われることはないでしょう。
よって×。
2 マルクス(Marx,K.)は,「ゴータ網領批判」(1875年)において,人間のニード充足における資本主義の特性を論ずるなかで,人間のニードは個々人の能力に応じて充足されるべきであると主張した。
マルクスの「資本論」は聞いたことがあっても,「ゴータ綱領批判」は聞いたことはないでしょう。
資本論は,日本の若者が熱くエネルギッシュだった1960年代,学生運動に身を投じた学生は,資本論を読んで理論武装したものです。
資本論を読まない学生は,プチブル扱いされて批判を受けたものです。
資本論は,共産主義国家を誕生させたものです。
そのマルクスが書いた本が違ったとしても,「人間のニードは個々人の能力に応じて充足されるべきである」とは言わないです。
ニードが個々人の能力に応じて充足される考え方であれば,共産主義につながっていかないでしょう。
共産主義は,私有財産を排除して,国のみんなで共有し,資本家に搾取されることのない社会を目指したものです。
調べてみると,マルクスは,ゴータ綱領批判で,「能力に応じて働き,必要に応じて受け取るべきである,と述べているようです。
これは納得です。
よって×。
3 マズロー(Maslow,A.)は,「人間の動機の理論」(1943年)において,人間の基本的ニードが5種類の要素に分類され,それらは相互に関連しあっているために人間は総合的な発達を遂げると論じた。
共産主義は労働者にとって理想の国家を目指したものでしたが,現在では一部の国を除き,崩壊してしまいました。
それは,マズローが示した人は「自己実現欲求をもった存在である」ということを排除したからです。
自由競争の行き過ぎは敗者を生み出すので,ある程度のバランスは必要ですが,頑張ったらそれが報われる社会,そしてその上には,なりたい自分になりたい,という欲求が認められることはモチベーションにつながります。
共産主義では頑張っても頑張らなくても,必要なものは得られるので,社会の発展が見込めません。
マズローの欲求段階説では,低次のニードが充足されることでより高次のニードを充足しようとする欲求が生まれるとされます。
相互に関連しあっているわけではありません。
よって×。
4 セン(Sen,A.)は,「財と潜在能力」(1985年)において,人間のニード充足を財の消費からもたらされる効用によって定義する学説を批判して,達成できる機能の集合である潜在能力(capabilities)によって評価すべき,とする理論を提唱した。
センの提唱する「ケイパビリティ・アプローチ」は,それまでは物があるかないかが重要であったものを,物があるかないかではなく,物があってもそれを使うことができるかどうかが重要であるとしています。
よって正解です。
5 ドイアル(Doyal,L.)とゴフ(Gough,I.)は,「ヒューマンニードの理論」(1991年)において,基本的ニードは人間が自己善を追求する上で妨げとなる重大な侵害を避けるために必要とするものであるため,本質的に主観的かつ相対的であると論じた。
ドイアルとゴフも聞いたことがないかもしれません。
しかし,これも恐れることはありません。
この年の国試は,「社会善」と「自己善」という対になるものが出題されました。
このように書かれると難しいですが,「〇〇善」は,「〇〇にとって善いこと」の意味です。
全体の意味は,分からなくても,間違い選択肢にするための常とう手段がこの文章に含まれているのが分かりますか。
「主観的」と「相対的」の部分です。これらはそれぞれ反対の意味の言葉として「客観的と「絶対的」があります。
右を左に,左を右に,などと同じです。分かりやすいのは「主観的かつ相対的」と並列で出題してくれていることです。ボーナスと言っても良いです。