2024年6月30日日曜日

日本の救貧制度の歴史に関する問題

日本の救貧制度に歴史問題は,出るポイントが限られています。


恤救規則

救護法

旧・生活保護法

現・生活保護法



たった4つしか問われません。


過去には以下のような問題が出題されています。


我が国の現行生活保護法が成立する経過に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。 (第22回・問題58)

1 生活困窮者緊急生活援護要綱(昭和20年)は,生活援護を要する者のうち失業者は除外した。

2 旧生活保護法(昭和21年)は制定時,民生委員を市町村が行う保護事務の協力機関と定めていた。

3 旧生活保護法(昭和21年)は,その目的を生活の保護を要する状態にある者の生活を国が差別的又は優先的な取扱をなすことなく平等に保護して,社会の福祉を増進するとしていた。

4 連合国軍総司令部(GHQ)は,覚書「社会救済」(昭和21年)によって,日本政府に生活保護の算定基準に関するガイドラインを示した。

5 社会保障制度審議会の「生活保護制度の改善強化に関する件」(昭和24年)では,生活保護制度を社会保険制度へ転換すべきであると提言した。


我が国の公的扶助制度の沿革に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。(第23回・問題56)

1 恤救規則(明治7年)では,生活に困窮する「無告の窮民」に対し米の現物給付を行った。

2 救護法(昭和4年)では,救護を受ける者は施設に収容することを原則とした。

3 救護法(昭和4年)では,救護の対象となる者について,扶養義務者が扶養できる場合には,急迫した場合を除き救護しないとされた。

4 旧生活保護法(昭和21年)では,能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は,急迫した場合を除き保護の対象から除外された。

5 旧生活保護法(昭和21年)では,日本国憲法に基づく健康で文化的な最低生活保障の考え方を導入した。


旧生活保護法(昭和21年)の内容に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。 (第24回・問題56)

1 第1条の保護の目的は,最低生活の保障と無差別平等であった。

2 保護を行う責任は,都道府県知事によることとされていた。

3 教育及び住宅に関する保護は,生活扶助に含まれていた。

4 国家責任を明確にする目的から,保護費のすべてを国が負担していた。

5 数次の基準改訂を行い,エンゲル方式による最低生活費の算定方式の導入を行った。


我が国における戦前の低所得・貧困者救済の内容に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。 (第25回・問題64)

1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。

2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。

3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。

4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。

5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。


現在の生活保護法成立前の公的扶助制度に関する記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。 (第28回・問題63)

1 恤救規則(1874年(明治7年))は,高齢者については65歳以上の就労できない者を救済の対象とした。

2 救護法(1929年(昭和4年))は,救護を目的とする施設への収容を原則とした。

3 救護法(1929年(昭和4年))における扶助の種類は,生活扶助,生業扶助,助産の3種類であった。

4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))は,勤労を怠る者は保護の対象としなかった。

5 旧生活保護法(1946年(昭和21年))は,不服申立ての制度を規定していた。


何度も同じことが問われているのがよく分かることでしょう。


それでは,今日の問題は,上記のうちの第25回の問題です。



第25回・問題64

我が国における戦前の低所得・貧困者救済の内容に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。

1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。

2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。

3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。

4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。

5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。


この科目の歴史問題はいつも簡単ですが,さすがは魔の第25回国試と呼ばれる年の問題です。

見たことのないものが並んでいます。


このような問題は,問題の中に手掛かりを見つけて消去する慎重さが求められます。

それでは,詳しく見て行きましょう。


1 恤救規則では,生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。


江戸時代ならともかく恤救規則は明治時代の法律です。

食料の現物給付は考えられません。


米代の金銭給付が正しいです。


よって×。



<余談>


江戸時代,年貢は物納でした。

明治政府になって,1873年に地租改正を行います。

これによって物納から金納に変わりました。


地租改正は明治政府にとっては大事業です。

恤救規則は地租改正の次年の1874年に成立しています。


地租改正は農民の大反発を受けながらも断行しました。

そんな時代背景にあって,食料の現物給付は絶対に行わないはずです。


2 方面委員制度は,救護法を実施するために創設されたものであり,これを契機にして全国に方面委員が配置された。


方面委員制度は1918年にできています。


救護法は,世界大恐慌が起きた年,1929年(にくい年と覚えます)に成立しました。

第29回国試では,


戦前の方面委員による救護法制定・実施の運動は,ソーシャルアクションの事例とされる。(第29回・問題35・選択肢2)


これは正解です。


これから分かるように,方面委員の活動が救護法制定につながっていきます。


救護法の生みの親は方面委員であり,救護法を実施するために創設されたものでは決してありません。


よって×。


3 防貧的な経済保護事業においては,公設市場,公益質屋,公営浴場などの施設が設置され,更に,職業紹介などの失業保護事業が展開された。


これはよく分かりません。こんな時は冷静に▲をつけます。


答えを言うと,これが正解です。



4 救護法の成立に伴い,法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。


厚生省設置までの歴史を確認しましょう。


1917(大正6)年 内務省に救護課設置。

1919(大正8)年救護課を社会課に改称。

1920(大正9)年に社会課を社会局に昇格させる。

1938(昭和13)年に内務省から独立して,厚生省を設置する。


初代内務卿は,大久保利通です。


以来ずっと内務省はエリート官庁です。

内務省から独立して厚生省になってもエリート官庁であるのは今も変わりません。


国家予算の30%も預かる官庁です。

当然ですね。



さて,問題に戻ります。


内務省救護課設置は,1917年。


救護法制定は,にくい年の1929年です。


救護法の運営を行うために,内務省に救護課を設置したわけではありません。

軍事救護法(1917年)の事務を行うために,救護課がつくられました。

よって×。


その直後に米騒動が起き,国民の生活が困窮することで国が転覆しかねないことに気づいた政府は,社会事業(現在の社会福祉事業)に関与するようになっていきます。

その事務を行うために,救護課を改変して社会課になります。


5 軍事救護法は,戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。


軍事救護法は1917年に制定されています。


軍事救護法は,その名の通り,傷ついた兵士,兵士の遺族のうち,貧困に陥った者を対象としていました。


よって×。


一般の生活困窮者は明治初期に制定された恤救規則がその対象としていた時代です。


軍事救護法が一般の生活困窮者を対象とするなら,その後に出来た救護法は必要ないでしょう。


この選択肢は難しいものだと思いますが,軍事救護法が一般の生活困窮者を対象とするなら,救護法の存在価値は何? といった疑問が持てたなら消去できます。


選択肢5を消去出来た人だけが,おそらくこの問題で正解できたのではないでしょうか。


法制度は,適用範囲が重ならないように作られていくことを覚えておきたいです。


<今日の一言>


 知らないものが出題されても,ヒントは必ずどこかにある!!

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