2018年4月26日木曜日

歴史問題の攻略法~歴史は歴史ではなく今である

歴史が苦手な人は多いことでしょう。

歴史は過去のものだと考えるとそうなるのかもしれません。

しかし,過去があって今があります。

国家試験でも,試験委員はそれを意識した出題があります。

第27回・問題25
救貧制度の対象者として,正しいものを1つ選びなさい。
1 恤救規則(1874年(明治7年))では,身寄りのある障害者も含まれた。
2 軍事救護法(1917年(大正6年))では,戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。
3 救護法(1929年(昭和4年))では,労働能力のある失業者も含まれた。
4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))では,素行不良な者も含まれた。
5 現行生活保護法(1950年(昭和25年))では,扶養義務者のいる者も含まれる。

日本の救貧制度を覚えるのは,4つです。

①恤救規則
②救護法
③旧・生活保護法
④現・生活保護法です。

国試は五者択一(あるいは択二)なので,4つでは足りないので,この問題では,もう一つ「軍事救護法」を加えてあります。


①恤救規則
 基本的には人の情けによってお互いを支えあって,誰も支えてくれない人を救済しました。高齢者は70歳以上,児童は13歳以下です。 救済の方法は,米代の現金給付です。


②救護法
 救済の対象は,65歳以上に引き下げました。
 救護の基本は,居宅救護ですが,救護施設として,孤児院(現・児童養護施設),養老院(現・養護老人ホーム)が規定されました。
 救護法では,性行著しく不良又は著しく怠惰な場合は救護しなくてもよい,扶養義務者が扶養できる者は,急迫な事情がある場合を除いて保護しない,と規定されています。


③旧・生活保護法
 GHQの覚書を受けて成立したものです。現・生活保護法にも続く「無差別平等」が規定されています。しかし,実際には,労働意欲がない,素行不良者,扶養可能な扶養義務者がいる,また,救護法に引き続き,扶養義務者が扶養できる者は,急迫な事情がある場合を除いて保護しないとされています。


④現・生活保護法
 日本国憲法が規定する生存権を保障するために成立したものです。旧・生活保護法までは,保護機関による職権保護でしたが,現・生活保護法で,初めて保護を受ける権利が認められました。
 そして,欠格条項がなくなり,本来の無差別平等の原則が実現しています。

今日の問題に含まれる「軍事救護法」は,「軍事」という名称から昭和の法律のように思うかもしれませんが,大正時代に成立したものです。この事務を取り扱うために,内務省の中に救護課ができました。

その後,社会課,社会局と変遷し,昭和13年に独立して,厚生省となっています。

さて,それでは詳しく見ていきましょう。

1 恤救規則(1874年(明治7年))では,身寄りのある障害者も含まれた。

恤救規則の基本は,人の情けによってお互いを支えあって,誰も支えてくれない人を救済しました。身寄りのあるものは含まれません。よって間違いです。


2 軍事救護法(1917年(大正6年))では,戦死した軍人の内縁の妻も含まれた。

法制度は,給付の対象が極めて重要です。どんな対象に対して,どのような方法で給付するのか,などを考えていくのが,福祉政策です。内縁の妻を対象にすると,事務が面倒になりますし,判定も難しくなります。

そのために内縁の妻は含みません。よって間違いです。


3 救護法(1929年(昭和4年))では,労働能力のある失業者も含まれた。

救護法では,労働能力のある失業者を対象としません。


4 旧生活保護法(1946年(昭和21年))では,素行不良な者も含まれた。

間違いです。旧・生活保護法では,欠格条項がありました。


5 現行生活保護法(1950年(昭和25年))では,扶養義務者のいる者も含まれる。

現・生活保護法は,扶養義務者のいる者も保護の対象にしています。よって正解です。


〈今日の一言〉

歴史問題のように見えますが,結局は,現在の法制度の知識が問われていることが分かります。

歴史は歴史ではなく,今なのです。

過去を積み上げて今があるという意味です。

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