バートレットは,ソーシャルワーク実践の共通基盤として「価値」「知識」「介入(技術)」を挙げています。
ソーシャルワーカーなら,フィールドが違えど,共通してもっているもの,という意味です。
3つの中のうち「価値」は,「ソーシャルワークの基盤と専門職」で中心的に学ぶテーマです。
この科目で身につけた「価値」は,ソーシャルワーカーにとって欠かせないものとなります。
今日のテーマは,そういう思いから付けました。
さて,それでは今日の問題です。
第25回・問題92
ソーシャルワークのアメリカにおける専門職化に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 全米慈善矯正会議(1897年)において,リッチモンド(Richmond,M.)は応用博愛学校の必要性を提唱し,慈善活動の効果的な実践のための夏期養成講座が開設された。
2 アダムス(Addarns,J.)はシカゴにハル・ハウスを開設(1889年)し,「慈善でもなく,友情でもなく,専門的サービスを」の標語を掲げてセツルメント活動を展開した。
3 全米慈善矯正会議(1915年)において,フレックスナー(Flexner,A.)は,ソーシャルワークには科学的効果が認められないとし,「ケースワークは死んだ」と論じた。
4 全米慈善組織協会は全米ソーシャルワーカー協会に名称変更(1917年)し,慈善から精神分析理論に基づく友愛訪問活動の組織化を推進した。
5 ミルフォード会議(1923年)では,「ジェネラリスト・ソーシャルワークとは何か」をテーマに,システム論的視座から方法論の統合化の必要性が議論された。
ソーシャルワークの発展過程に関する問題です。
グリーンウッドは,1957年に「ソーシャルワークは,専門職である」と述べました。
その中に,副次文化(サブカルチャー)をもっていることなどを専門職だとしました。
サブカルチャーは,「価値」「知識」「介入」の中では,どちらかと言えば,その3つの下位概念になるのかもしれません。
つまり直接的に必要とされないけれど,専門職として必要なものとなります。
歴史を学ぶことはサブカルチャーを形成するためには欠かせないものです。
歴史は苦手だと言う人は多いと思いますが,ソーシャルワーカーが専門職であるためには,必ず学ばなければならないものです。
それでは,詳しく見て行きましよう。
1 全米慈善矯正会議(1897年)において,リッチモンド(Richmond,M.)は応用博愛学校の必要性を提唱し,慈善活動の効果的な実践のための夏期養成講座が開設された。
これが正解です。
この夏期養成講座が専門教育の端緒となりました。
リッチモンドに関するものは,絶対に覚えておきたいです。
2 アダムス(Addarns,J.)はシカゴにハル・ハウスを開設(1889年)し,「慈善でもなく,友情でもなく,専門的サービスを」の標語を掲げてセツルメント活動を展開した。
ここでJ.アダムスを出すのは,実にお茶目な問題に思います。
ハル・ハウスはセツルメントです。
慈善活動そのものです。
よって×。
ハル・ハウスは最も有名なセツルメントです。
もし「慈善でもなく,友情でもなく,専門的サービスを」という標語が掲げられていたとしたら,近江学園の「この子らを世の光に」と同様に,知られていても良いはずです。
「知らない」というのは,多くの場合は間違い選択肢を作るためのでたらめだからです。
それを「勉強不足だから分からない」と思ってしまうと,迷いの森の奥の奥に入ってしまいます。
「初めて見る問題は難しい」と感じるのは,でたらめなものを入れてくるからに他なりません。
3 全米慈善矯正会議(1915年)において,フレックスナー(Flexner,A.)は,ソーシャルワークには科学的効果が認められないとし,「ケースワークは死んだ」と論じた。
フレックスナーは,「ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない」と述べた人です。
「ケースワークが死んだ」と述べたのは「問題解決アプローチ」でおなじみのパールマンです。
よって×。
フレックスナーが「ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない」と述べてから,42年の時を経て,先述のグリーンウッドが「ソーシャルワークは専門職である」と結論づけたのです。
ものすごく長~い時間がかかったのがよくわかることでしょう。
4 全米慈善組織協会は全米ソーシャルワーカー協会に名称変更(1917年)し,慈善から精神分析理論に基づく友愛訪問活動の組織化を推進した。
これは難しい問題だと思います。
しかし,全米慈善組織協会が名称変更して,全米ソーシャルワーカー協会になったとは思えません。
調べてみたらやっぱり違いました。
全米慈善組織協会がどうなったのかは分かりませんが,全米ソーシャルワーカー協会は,独自に組織され1955年に発足しています。
5 ミルフォード会議(1923年)では,「ジェネラリスト・ソーシャルワークとは何か」をテーマに,システム論的視座から方法論の統合化の必要性が議論された。
ミルフォード会議は,ソーシャルワークの統合化が議論されて,ジェネリックという概念が示されました。
一般システム論がいつ頃から出て来たのかは分かりませんが,システム論で有名なパーソンズは,1923年には,まだハーバード大学では教鞭をとっていない時期です。
それを考えると,ソーシャルワークの世界で1920年代に既にシステム論が導入されたとはとても思えません。
調べてみたら,もちろんそんなことはありませんでした。
よって×。
<今日の一言>
知らないのは,勉強不足ではない!!
それは問題を成立させるためのでたらめの内容であることが多いです。
見極めるのは簡単ではありませんが,いろいろな知識をフル動員して,ヒントをつかみ取りましょう!!
今日の問題では,リッチモンドの業績をしっかり覚えていたかが正解するためのカギとなりました。
リッチモンドの主要著書は以下の3つしかありません。
『貧しい人々への友愛訪問(Friendly Visiting Among the Poor - A Handbook for Charity Workers)』(1899)
『社会診断(SOCIAL DIAGNOSIS)』(1917)
『ソーシャル・ケース・ワークとは何か(WHAT IS SOCIAL CASE WORK?)』(1922)
これらのうち,『貧しい人々への友愛訪問』はCOS活動をする人の手引書です。