2018年11月29日木曜日

日本国憲法の出題ポイント~その3

憲法解釈は大変です。

憲法はその国の最高法規であり,理念法です。当然いろいろな立場によって解釈は変わるでしょう。

生活保護法はとても美しい法律だと言う人もいます。

なぜなら法では

(この法律の目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

と憲法との関係を明記しているからです。ステキな法だと思いませんか?

生活保護は,何かあると攻撃の矢面に遭いますが,生存権規定を具現化するためのものに同法があることを考えるとその成立過程もしっかり押さえておきたいところです。

今回取り上げる問題は,この科目の中では最も難易度が高かったものだと思います。
旧カリ時代の「法学」も含めてかなり難しいです。


第23回・問題71 生活保護法における保護基準は,「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を定めた日本国憲法第25条に由来する。次の記述のうち,この保護基準に関する最高裁判所の判決内容として,適切なものを1つ選びなさい。

1 主務大臣による保護基準の設定は,日本国憲法第25条に由来する生活保護法の規定によって拘束される羈束(きそく)行為である。

2 生活保護法の保護基準に基づいて実施機関が行う保護の要否に関する決定は,自由裁量行為である。

3 保護基準の設定に関して,主務大臣が日本国憲法及び生活保護法の趣旨・目的に反し,法律によって与えられた裁量権の限界を超え又は裁量権を濫用した場合には,違法な行為として司法審査の対象となることを免れない。 

4 保護基準に関する生活保護法の規定は,一般的方針を規定しているにすぎない訓示規定であり,同規定に基づく保護基準の設定は司法審査の対象とならない。 

5 日本国憲法第25条が規定する「健康で文化的な最低限度の生活」は,人間としての生活の最低限度という一線を有する以上,理論的には特定の国における特定の時点において,客観的に決定すべきものである。

この問題が成り立つのは,その前の年に出題されたこれがあるからです。

最高裁判所の判例によれば,憲法第25条の内容については立法府の広い裁量に委ねられており,著しい濫用や逸脱があっても司法審査の対象とはならない。

これは間違いです。

最高裁判所の判例というのは,有名な朝日訴訟のことを言っていますが,そこでは,「憲法第25条の内容については立法府の広い裁量に委ねられているが,著しい濫用や逸脱があった場合は,司法審査の対象となる」とされました。

これが分からなくても「著しい濫用や逸脱」が認められるものではない,とは思えるのではないでしょうか。

と書きました。これがあるから成り立つ問題であり,羈束行為,自由裁量などはその後一度も出題されていないくらいの「たまに現れる」お客さんです。

このようなタイプのお客が一番お店側には迷惑です。お客は常連顔ですが,お店側は顔は見たことはあっても名前を思い出すことはかなり難しいことでしょう。

それでは解説です。


1 主務大臣による保護基準の設定は,日本国憲法第25条に由来する生活保護法の規定によって拘束される羈束(きそく)行為である。

これは間違いです。

「羈」は馬に乗るときの手綱(たづな)を意味し,しばりがあることです。行政では,後から出てくる自由裁量のないことを指します。

有名な朝日訴訟では,保護基準の設定は主務大臣,つまり厚生労働大臣による自由裁量が認められるという司法判断が出ています。


2 生活保護法の保護基準に基づいて実施機関が行う保護の要否に関する決定は,自由裁量行為である。

これも間違いです。

保護基準の設定は,主務大臣の自由裁量が認められますが,現場レベルでは自由裁量があるとはみなされません。なぜなら,保護基準を下回る場合,不足分を保護するからです。ここが自由裁量だと保護が適切に行われないおそれがあります。


3 保護基準の設定に関して,主務大臣が日本国憲法及び生活保護法の趣旨・目的に反し,法律によって与えられた裁量権の限界を超え又は裁量権を濫用した場合には,違法な行為として司法審査の対象となることを免れない。 

これが正解です。これは朝日訴訟で示されたものです。

保護基準の設定には裁量権を認めますが,それが著しく逸脱したものであってはならないことを示しています。


4 保護基準に関する生活保護法の規定は,一般的方針を規定しているにすぎない訓示規定であり,同規定に基づく保護基準の設定は司法審査の対象とならない。 

これも間違いです。憲法第25条の生存権は,朝日訴訟では,プログラム規定説であると示されています。

プログラム規定説とは,この選択肢にあるように,国の方針を示したものにすぎないというものです。この対称となるのは「具体的権利説」です。法で定められなくても憲法第25条を根拠が裁判の基準となることを言います。

朝日訴訟は,プログラム規定説であることを示しましたが,「裁量権の限界を超え又は裁量権を濫用した場合には,違法な行為として司法審査の対象となることを免れない」という判断をしています。


5 日本国憲法第25条が規定する「健康で文化的な最低限度の生活」は,人間としての生活の最低限度という一線を有する以上,理論的には特定の国における特定の時点において,客観的に決定すべきものである。

これも間違いです。

これは朝日訴訟の第一審で示されたものです。最高裁判断ではないということで間違いです。


<今日の一言>

朝日訴訟は,保護基準を争ったものです。最高裁判断は,プログラム規定説を示しました。

旧カリキュラム時代には数回出題されていますが,現行カリキュラムでは第23回を最後に出題されていません。

しかし,朝日訴訟の原告側証人となった小川政亮(おがわ・まさあき)先生が2017年に亡くなっていることもあり,小川先生へのレクイエムとして出題されることもあるかもしれません。

ただし,一番ヶ瀬康子先生も三浦文夫先生も亡くなってからは出題されたことはありません。

保護基準の設定には主務大臣の裁量権が認められますが,「著しい濫用や逸脱」があった場合は司法審査の対象となるということくらいは覚えておきたいです。

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