歴史は苦手という人は多いみたいですが,出題されるのはたった数十年の話です。
大した分量ではないとは言っても,苦手な人は苦手です。
しかし,「今」だって,あっと言う間に過去になります。
歴史は過去だと思うと,遠い世界かもしれませんが,その時代を熱く生きた人たちに思いを寄せることができれば,「過去」は「今」に感じられるような気がします。
それでは,今日の問題です。
第30回・問題57 障害者福祉制度の発展過程に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。
1 児童福祉施設入所中に18歳以上となる肢体不自由者が増加する問題に対応するため,身体障害者福祉法が制定された。
2 学生や主婦で任意加入期間中に国民年金制度に加入していなかったために無年金になった障害者を対象に,障害基礎年金制度が創設された。
3 支援費制度の実施により,身体障害者,知的障害者,障害児のサービスについて,利用契約制度が導入された。
4 障害者の権利に関する条約を批准するため,同条約の医学モデルの考え方を踏まえて,障害者基本法等の障害者の定義が見直された。
5 「障害者総合支援法」の施行により,同法による障害者の範囲に発達障害者が新たに含まれた。
(注) 「障害者総合支援法」とは,「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」のことである。
なかなか良いポイントを押さえた問題だと思います。
年金制度,医学モデルなど,ほかの科目で学ぶ内容をちりばめています。
その分,難易度はかなり高くなっています。
それでは,解説です。
1 児童福祉施設入所中に18歳以上となる肢体不自由者が増加する問題に対応するため,身体障害者福祉法が制定された。
これは,現在の知的障害者福祉法の成立経緯を変えて出題したものです。
身体障害者福祉法の成立は,かなりの難産でした。
本当は,戦争で傷ついた人のために戦後すぐに作りたかった制度ですが,当時の日本は独立国家ではなく,GHQの支配下にありました。
そのため,身体障害者を対象とする法制度は作りにくかったのです。
福祉三法では,最後にできた理由がなんとなくわかっていただけそうですか?
そんな折,ヘレンケラーさんが日本に訪問したことが法成立を加速させました。
身体障害者福祉法が規定する身体障害には,肢体不自由だけではなく,聴覚障害,視覚障害,言語障害も含まれるのは,ヘレンケラーさんの影響は大きいです。
ここまでが,身体障害者福祉法の成立背景です。
もう一つは,現在の知的障害者福祉法の設立背景です。
児童福祉法の児童は満18歳に満たないものです。
そのため,児童福祉施設は,18歳未満のものを対象とします。
施設入所していた知的障害児は退所しなければなりません。
親が引き取るとしても,親はだんだん歳をとります。
親亡き後,障害を抱えた子どもはどうなるのだろうと思っても不思議はありません。
そこで,知的障害者福祉法(当時の名称は「精神薄弱者福祉法」)を作り,知的障害者の入所施設を規定(精神薄弱者援護施設)したのです。
2 学生や主婦で任意加入期間中に国民年金制度に加入していなかったために無年金になった障害者を対象に,障害基礎年金制度が創設された。
無年金者の救済を目的に創設されたのは,特別障害給付金です。
3 支援費制度の実施により,身体障害者,知的障害者,障害児のサービスについて,利用契約制度が導入された。
これが正解です。
支援費制度は,今となってはずいぶん昔の話となりました。
2003~2005年とたった3年間しかなかった制度です。
これによって,障害者の分野でも契約制度が始まったのです。
4 障害者の権利に関する条約を批准するため,同条約の医学モデルの考え方を踏まえて,障害者基本法等の障害者の定義が見直された。
医学モデルは,障害に焦点を当てるものです。
障害者の権利に関する条約のポイントは,社会的障壁の排除です。
これは「社会モデル」です。
5 「障害者総合支援法」の施行により,同法による障害者の範囲に発達障害者が新たに含まれた。
障害者総合支援法でさえ,過去の出来事になりました。
同法では,制度のはざまにあって,どの制度も利用することができなかった難病等を加えたところが特徴でした。