わが国の社会保険制度は,5つあります。
先に医療保険制度ができて,そのあとに年金保険制度ができます。
戦後になって,労働保険と呼ばれる労働者災害補償保険と雇用保険ができます。
2000年に介護保険が施行されて,5つになります。
ちょっと歴史を紐解けば,医療保険と年金保険は,戦前にできた制度を活用して,皆保険・皆年金が作り上げられました。
さて,今回のテーマは「年金の支給年齢」です。
現時点(2021年5月)は,原則65歳,希望によって,60~70歳を選ぶことができます。
2022年4月から,原則65歳,希望によって,60~75歳の間で選ぶことができるようになります。
間違って覚えてほしくないのは,支給年齢の原則は変わっていないことです。
繰り下げの範囲が広がるだけです。
それでは,今日の問題です。
第30回・問題52 公的年金制度の沿革に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。
1 社会保障制度が本格的に整備されるようになった第二次世界大戦後,厚生年金保険制度が創設された。
2 国民年金法が1959年(昭和34年)に制定され,自営業者等にも公的年金制度を適用することにより,国民皆年金体制が実現することになった。
3 オイルショックに伴う急激なインフレに対処するため,1973年(昭和48年)改正により,厚生年金の給付水準を一定期間固定することとした。
4 持続可能な制度にする観点から,2004年(平成16年)改正により,老齢厚生年金の支給開始年齢を段階的に65歳から67歳に引き上げた。
5 将来の無年金者の発生を抑える観点から,2012年(平成24年)改正により,老齢基礎年金の受給資格期間を25年から30年に延長した。
年金制度は,改正に改正を重ねて,現在の形がつくられました
覚えるのは面倒ですが,その分,ほかの受験者と差をつけやすいことも事実です。
それでは,解説です。
1 社会保障制度が本格的に整備されるようになった第二次世界大戦後,厚生年金保険制度が創設された。
厚生年金制度は,戦時中の労働者年金保険法が始まりです。
2 国民年金法が1959年(昭和34年)に制定され,自営業者等にも公的年金制度を適用することにより,国民皆年金体制が実現することになった。
これが正解です。
年金保険制度は,被用者を対象とした厚生年金制度が先にできて,戦後,1959年・昭和34年に国民年金法が成立し,それが施行された1961年・昭和36年に皆年金となりました。
3 オイルショックに伴う急激なインフレに対処するため,1973年(昭和48年)改正により,厚生年金の給付水準を一定期間固定することとした。
1973年・昭和48年は,福祉が充実したことにより「福祉元年」と呼ばれた年です。
高度経済成長は,インフレの時代です。物価が上がる中,給付水準が固定されると,給付される年金の価値は目減りしてしまいます。
そのため,採用されたのが「物価スライド制」です。
因みに第一次オイルショックが起きたのは,同年の冬のことです。
もし法律を改正するとしても,翌年以降でしょう。
こんなことを知らなくても,インフレ時代に給付水準を固定すればどのようなことが起きるか考えることができれば,不適切だと思えるはずです。
4 持続可能な制度にする観点から,2004年(平成16年)改正により,老齢厚生年金の支給開始年齢を段階的に65歳から67歳に引き上げた。
支給年齢は,65歳で変わっていません。
これは絶対に押さえておいてほしいと思います。
5 将来の無年金者の発生を抑える観点から,2012年(平成24年)改正により,老齢基礎年金の受給資格期間を25年から30年に延長した。
これは,比較的最近の出来事なので記憶に残っている人もいることでしょう。
従来は,25年だったものを10年に短縮しました。
<今日の一言>
今日の問題は,決して難しくないですが,正解するのはそんなに簡単ではありません。
この問題の引っ掛けポイントは「財政悪化によって,年金は受け取れないかも」といった間違った認識があることです。
勉強不足の人は,そういったイメージのために,選択肢4や5を選んでしまうでしょう。
おまけ
日本の社会保障制度の原型は,戦前・戦中に出来上がっています。
ここに留意することが必要です。
健康保険(1922年) → 労働争議の緩和することにより共産化防止のため。
国民健康保険(1938年) → 強い兵士を送り出すため。
労働者年金(1941年)→厚生年金(1944年)→ 戦争にかかるお金をねん出するため。
このような裏を考えると,覚えやすいと思います。
戦後にできた労働保険は,日本国憲法の勤労の義務及び権利を保障するためのものです。