歴史は,人名と並び,受験者の多くが苦手とするものでしょう。
しかし,出題されるものはそれほど多くはないので,苦手であったとしても確実に覚えておきたいです。
貧困は,古典的な福祉ニーズですが,大規模な貧困は,おそらくイギリスが最初に経験したのではないかと思います。
産業革命は,生産力をもつ資本家と生産力を持たず労働力よって賃金を得る労働者階級を生み出しました。
マルクスは,資本主義には欠陥があることから,共産主義を理想と考えていました。
そのくらい,当時の資本主義は労働者にとって辛いものでした。
先例がない中,試行錯誤しながら現在の福祉国家を作り上げたのがイギリスです。
そういったわけで,イギリスくらいは覚えておきたいです。
それでは今日の問題です。
第31回・問題24 イギリスにおける福祉政策の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 エリザベス救貧法(1601年)により,全国を単一の教区とした救貧行政が実施された。
2 労役場テスト法(1722年)は,労役場以外で貧民救済を行うことを目的とした。
3 ギルバート法(1782年)は,労役場内での救済に限定することを定めた。
4 新救貧法(1834年)は,貧民の救済を拡大することを目的とした。
5 国民保険法(1911年)は,健康保険と失業保険から成るものとして創設された。
イギリスで必ず押さえたいのは,エリザベス救貧法と新救貧法の違いです。
おそらく,労役場(ワークハウス)に関連するものを正解にはしないように思います。
根拠はありませんが,今までの出題を見ると,そのように感じます。
それでは解説です。
1 エリザベス救貧法(1601年)により,全国を単一の教区とした救貧行政が実施された。
全国の救済基準が統一されたのは,新救貧法のときです。
2 労役場テスト法(1722年)は,労役場以外で貧民救済を行うことを目的とした。
労役場テスト法は,救済を抑制するために,労役場での辛い労働に耐えてでも救済を望むものに対してテストを行うものでした。
つまり,労役場以外での救済を行うことを目的にしたものではありません。
3 ギルバート法(1782年)は,労役場内での救済に限定することを定めた。
ギルバート法で,労役場の非人間的な状況を改善するため,労役場は労働能力のない貧民の救済の場として,労働能力のある貧民には院外救済を認めたものです。
4 新救貧法(1834年)は,貧民の救済を拡大することを目的とした。
新救貧法のポイントは,
・救済基準を全国で統一化したこと。
・劣等処遇の原則を導入したこと。
です。この時代は,貧困になるのは個人の問題だと思われていました。救済を拡大することは考えていません。
5 国民保険法(1911年)は,健康保険と失業保険から成るものとして創設された。
これが正解です。
社会保険が生まれたのはドイツですが,失業保険が生まれたのはイギリスです。
それが1911年の国民保険法です。
この法律は,第1部が健康保険,第2部が失業保険の2部構成となっています。
広くは知られていないと思いますが,第2部は,ベヴァリッジ報告で知られるベヴァリッジがかかわって作られています。
現在のイギリスの医療保障は,税財源で運営されている「国民保健サービス」(NHS)ですが,それよりも前は,社会保険制度だったのです。