歴史や人名を覚えるのを苦手としている人は多いのではないかと思います。
しかし,もったいないなぁ,という感じがします。
なぜなら・・・
出題されるものは限られているから。
ほとんど繰り返しと言ってもよいから。
参考書を見るとたくさんの人名が出ていますが,ほとんど出題されないものもたくさん混じっています。
覚えなければならないものが多いと感じるかもしれませんが,本当はそんなに覚える必要はありません。
頻出のものだけを押さえていくだけで十分!
どうしても覚えられない場合は,捨てるという方法もありますが,今はまだたっぷり時間があります。
「捨てる」という切り札は,もっと後まで取っておきましょう。
さて,今日の問題です。
第26回・問題33 地域福祉の発展過程に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 スラム地区などにおいて隣保館が普及したことが,隣保相扶を強調する恤救規則の制定につながった。
2 近代日本の代表的な労働運動家である片山潜が,東京の神田に開設した善隣館は,日本における友愛訪問活動の代表的な事例の一つである。
3 慈善事業を組識化した中央慈善協会は,当時の慈善救済活動の調査や団体相互の連絡などを行い,現在の共同募金会の源流とされている。
4 岡山県知事の笠井信一が創設した済世顧問制度は,石井十次による岡山孤児院での取組を参考にして制度化された。
5 民間の篤志家が個別的援助と社会測量を行う方面委員制度は,小河滋次郎がドイツのエルバーフェルト制度を参考に考案した制度とされている。
歴史問題です。
この問題を概観すると,良いバランスの問題だなぁ,と感じます。
というのは・・・
勉強をした人なら得点できる
勉強が足りない人にはひっかけられる
という意図が見えるからです。
よくない問題は・・・
勉強しても得点できない
勉強不足でも得点できる
こういう問題は,国試問題としては適切とは言えません。
そういう時代もありましたが,今は努力が報われる時代になっています。
問題が安定しています。
それでは,早速各選択肢を見て行きますね。
1 スラム地区などにおいて隣保館が普及したことが,隣保相扶を強調する恤救規則の制定につながった。
勉強が進んでいない人をひっかけようとする選択肢が最初に登場しました。
引っ掛けポイント
関連しそうな似た言葉を並列させている
この問題では・・・
隣保館 と 隣保相扶
の部分です。
隣保館も隣保相扶が意味が分からなければ,「ふんふん,そうか~」と問題文を読んでしまうのです。
勉強をしっかりした人とそうでない人を調べたら,おそらく勉強が不足していた受験生はこの選択肢を選んだ率が高かったのではないかと思います。
勉強が十分だった人がこの選択肢を選ぶ人は多くはないはずです。
この引っ掛けポイントと同じ出題には,以下のようなものがあります。
統制理論では,逸脱を統制する権力の弱体化が逸脱の生成要因であると考える。
社会学で出題されたものです。
これも統制理論と統制する権力を並立で出題しています。
統制理論がわからないと,その説明の中に統制という用語が使われているので,「ふんふん,そうか~」と思いやすいのです。
問題の作り方がとても巧妙に思います。
統制理論は,逸脱しないためには何かの要因があるとするものです。
「統制」というイメージをうまく使って,ひっかけようとしているのが分かるでしょう。
それでは,問題に戻りますね。
隣保館とは,セツルメントの話です。
イギリスのトインビーホールなどは1880年代に創設,日本の岡山博愛会,キングスレー館は1890年代の創設です。
おおよその時代だけ覚えておけば,何年に設立したという知識はまったく必要とされていないことに着目しましょう。
次は,隣保相扶です。ご近所同士が助け合うことですね。
基本は隣保相扶助,その上で「無告の窮民」を救済の対象とした恤救規則が制定されたのは,1874(明治7)年。
これも年号は覚える必要なし。明治初期に作られたものという認識で十分です。
恤救規則はそのあと長生きして,1929年の救護法制定時まで存続します。
これからもうわかったと思いますが,セツルメントが生まれたのは恤救規則のずっと後ということになります。
よって☓。
2 近代日本の代表的な労働運動家である片山潜が,東京の神田に開設した善隣館は,日本における友愛訪問活動の代表的な事例の一つである。
片山潜(かたやま・せん)は,絶対に覚えておきたいです。家庭学校の留岡幸助と同等に出題頻度が高いです。
留岡は,キングスレー館を設立してセツルメント活動を行いました。その後ソビエト連邦に渡り,その地で亡くなっています。
そのように片山潜が設立したのは,キングスレー館です。
よって×。
3 慈善事業を組識化した中央慈善協会は,当時の慈善救済活動の調査や団体相互の連絡などを行い,現在の共同募金会の源流とされている。
結論から言うと,中央慈善協会は,現在の全国社会福祉協議会(全社協)の源流の一つです。
よって×。
初代会長は,明治の経済王の渋沢栄一が務めました。日本資本主義の父と呼ばれた人です。
そのため渋沢の功績は数知れません。第一国立銀行(現・みずほ銀行),王子製紙などを設立しています。
福祉に関係するものでは,東京養育院院長(石原都知事時代に廃止),聖路加病院(現・聖路加国際病院)理事長,滝乃川学園理事長などを務めています。
中央慈善協会は中央社会事業協会,日本社会事業協会,中央社会福祉協議会と変遷し,現在の全社協に至ります。
共同募金は,GHQの肝いりで戦後に実施されたのが始まりです。
第1回の共同募金のポスターには,以下のように書かれています。
アメリカでは年一回,村,町,市などにそれぞれ市民の委員会を設けて,生活に困る人々の為の施設に必要な資金の寄附募集をしています。この運動には全米の一人残らずが参加し国民がたすけあって明るい社会生活を営んでおりますが,こんどはこの制度を日本でも11月25日より12月25日まで共同募金運動を実施します。
ポスターには,社会事業 共同募金運動と書かれており,共同募金のところに「コミュニティチェスト」と英語表記がされています。
「全米の一人残らず」という表現が面白いですね。
4 岡山県知事の笠井信一が創設した済世顧問制度は,石井十次による岡山孤児院での取組を参考にして制度化された。
社会福祉の歴史で岡山と言えば,岡山博愛会,岡山孤児院,そして済世顧問制度が出て来ます。岡山以外でこれだけそろう都道府県は他には見当たらないのではないでしょうか。
それをうまく結びつけた出題です。この問題も
関連しそうな似た言葉を並列させている
岡山県知事 と 岡山孤児院 が並列で出題されています。
勉強不足で試験に臨んだ人は「ふんふん,そうか~」と思って問題を読んでしまうでしょう。
済世顧問制度と方面委員制度は現在の民生委員の源流ですが,いずれも参考にしたものは,ドイツのエルバ―フェルト制度です。
よって×。
石井十次のよき理解者であり,スポンサーだったのは,倉敷紡績(現・クラボウ)の社長の大原孫三郎です。彼のコレクションが大原美術館として現代に引き継がれています。
先述の渋沢栄一やこの大原孫三郎など明治の豪傑は,社会貢献も多く果たしています。
現在は国の社会保障制度が整備されていますが,制度がなかった明治・大正期は民間の慈善事業が果たした役割は大きかったと言えます。
日本では,1874年に出来た「無告の窮民」という救済の対象が極めて限られている恤救規則が1929年まで存続した時代を慈善事業で支えた明治の豪傑には頭の下がる思いです。
5 民間の篤志家が個別的援助と社会測量を行う方面委員制度は,小河滋次郎がドイツのエルバーフェルト制度を参考に考案した制度とされている。
先述のように,済世顧問制度と方面委員制度ともにドイツのエルバーフェルト制度を参考に創設した制度です。
よって正解。
民生委員制度は,1917年に作られた済世顧問制度から今年でちょうど100年という節目の年だそうです。
100年の歴史の重みをかみしめながら,しっかり制度も覚えておきたいです。
共同募金 ⇒ アメリカのコミュニティチェストを参考とした
済生顧問制度・方面委員制度(民生委員の源流) ⇒ ドイツのエルバーフェルト制度を参考とした