民生委員制度の源流には,岡山県で創設された済世顧問制度,その翌年に大阪府で創設された方面委員制度があります。
戦後の民生委員令によって,方面委員は民生委員となり,その後,民生委員法によって,民生委員が規定されています。
それでは,今日の問題です。
第33回・問題33
民生委員制度やその前身である方面委員制度等に関する次の記述のうち,正しいものを2つ選びなさい。
1 方面委員制度は,岡山県知事である笠井信一によって,地域ごとに委員を設置する制度として1918年(大正7年)に創設された。
2 方面委員は,救護法の実施促進運動において中心的な役割を果たし,同法は1932年(昭和7年)に施行された。
3 民生委員法は,各都道府県等で実施されていた制度の統一的な発展を図るため,1936年(昭和11年)に制定された。
4 民生委員は,旧生活保護法で補助機関とされていたが,1950年(昭和25年)に制定された生活保護法では実施機関とされた。
5 全国の民生委員は,社会福祉協議会と協力して,「居宅ねたきり老人実態調査」を全国規模で1968年(昭和43年)に実施した。
この時,初めて「居宅ねたきり老人実態調査」が出題されています。
この問題は,民生委員の役割の重要性を表わすとても良い出題だったように思います。
それでは,解説です。
1 方面委員制度は,岡山県知事である笠井信一によって,地域ごとに委員を設置する制度として1918年(大正7年)に創設された。
方面委員制度は,大阪府で創設されたものです。
岡山県が創設したのは,済世顧問制度です。
2 方面委員は,救護法の実施促進運動において中心的な役割を果たし,同法は1932年(昭和7年)に施行された。
これが1つめの正解です。
救護法は,1929年に作られましたが,その後,予算不足などを理由になかなか実施されませんでした。
そこで方面委員の代表たちは辞表を胸にして,天皇陛下に請願書を上奏しました。その活動が功を奏して,実施に至りました。
ネットで検索すると,方面委員の代表たちが皇居に向けて頭を下げている写真を見られます。
余談ですが,救護法の施行には,1万円札の肖像となった渋沢栄一も後押ししています。
3 民生委員法は,各都道府県等で実施されていた制度の統一的な発展を図るため,1936年(昭和11年)に制定された。
1936年に制定されたのは,方面委員令です。
民生委員法が制定されたのは,戦後である1948年(昭和23年)です。
4 民生委員は,旧生活保護法で補助機関とされていたが,1950年(昭和25年)に制定された生活保護法では実施機関とされた。
民生委員が旧生活保護法で補助機関とされていたのは正しいです。
しかし,現生活保護法では,補助機関となりました。
5 全国の民生委員は,社会福祉協議会と協力して,「居宅ねたきり老人実態調査」を全国規模で1968年(昭和43年)に実施した。
これが2つめの正解です。
1968年の1年前の1967年は,1917年の済世顧問制度が創設されてから50年の年でした。この時に全国民生委員児童委員協議会は「活動強化要綱」を定め,その中に「全国モニター調査」が示されました。その初めてのモニター調査が,「居宅ねたきり老人実態調査」です。
この調査によって,居宅で70歳以上のねたきり高齢者は,全国で少なくとも20万人いることが明らかになりました。
これがその後の高齢者福祉施策に大きな影響を与えました。