歴史は,変わるから理数系のほうが好きだ
と言う人がいます。
確かに,子どもの頃に学んだものが変わっているものがあります。
学校で学ぶもので,変わっているものとしてよく知られるものでは,
聖徳太子 → 厩戸皇子
鎌倉幕府の開府
などがあります。
しかし,ちょっと待ってください。
歴史が変わっているのではなく,解釈が変わっているだけです。
過去の出来事の事実が変わったらびっくりです。
タイムマシンでも開発されないと無理でしょう。
歴史が変わったら,本当にびっくりです。変わるのは解釈です。
さて,国家試験の話です。
国試で出題される歴史は,解釈が変わってしまうほどの太古の話ではありません。
古くてもエリザベス救貧法,多くは19世紀以降です。
それに比べて,知識がすぐ古くなるのは,多くの人が「歴史よりも覚えやすい」と思っている法制度です。
あっと言う間に陳腐化します。
社会人は,自分の領域の制度改正は知っていると思いますが,それ以外の制度改正を追いかけていくのは簡単なことではありません。
試験対策の先生は,「制度が変わったところが出題されるよ」と言います。
しかし,どこが出題されるか,そのポイントは分かりません。
それに比べると,歴史の出題ポイントは変わらないので,学習の効率性という点では,かなり高いです。
苦手にしてしまうのは,あまりにもったいないことだと思います。
それでは,今日の問題です。
第28回・問題34 セツルメントに関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 日本におけるセツルメント運動は,アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
2 中央慈善協会は,全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
3 留岡幸助は,大崎無産者診療所を開設しセツルメント運動に取り組んだ。
4 大原孫三郎は,セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
5 賀川豊彦は,神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を『貧乏物語』にまとめた。
この問題に出題されているものは,すべておなじみのものです。
おなじみではないものは,大崎無産者診療所と大原孫三郎ですが,問題を解くのに何ら問題はありません。
正解は,選択肢1です。
1 日本におけるセツルメント運動は,アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
この出題は,少し残念に思います。
A.アダムスの岡山博愛会と片山潜のキングスレー館(キングスレーホール)では,明らかに岡山博愛会のほうが,先に活動を始めていますが,キングスレー館が日本初という説もあるので,今までの国試では,岡山博愛会がセツルメント運動の端緒である,といった出題はされず,慎重に慎重に出題されてきていたのです。
この問題でも「されている」といったあいまいな表現で逃げていますが,これから勉強する人は,日本のセツルメント運動は,岡山博愛会から始まる,と覚えるでしょう。
もし,歴史的に知られていないだけで,どこかでもっと前に,別の活動が見つかったら,この文章は,意味がないことになります。
さまざまな意味で,ちょっと残念な出題をしたと思いません?
もし,新事実が見つかったら,「だから歴史は嫌いだ」と思う人を増やしてしまう要因にもなるでしょう。
しかし,間違ってほしくないのは,歴史が変わるのではなく,後世の人の解釈が変わるだけです。
さて,ほかの選択肢も見てみましょう。
2 中央慈善協会は,全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
セツルメントも範囲に含まれると思いますが,中央慈善協会という名称からもわかるように,慈善事業の連絡・調整などを図ることを目的として設立されたものです。
3 留岡幸助は,大崎無産者診療所を開設しセツルメント運動に取り組んだ。
留岡幸助は,家庭学校を開設しました。
4 大原孫三郎は,セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
キングスレー・ホール(キングスレー館)を設立したのは,片山潜です。
大原孫三郎とは,なんとマニアックな出題なのだろうと思います。
大原さんは,石井十次のスポンサーです。美術好きの人には大原美術館はなじみ深いものだと思いますが,この美術館の収蔵品は大原さんのコレクションです。
5 賀川豊彦は,神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を『貧乏物語』にまとめた。
賀川豊彦の著書は,『死線を越えて』です。
『貧乏物語』をまとめたのは,河上肇です。
歴史問題は,出題がシンプルなので,知識がそのまま得点力に変わります。