歴史は苦手だという人は多いと思いますが,イギリスは極めて重要です。
さまざまなものを体験しながら,福祉国家を作り上げていったからです。
後から続くものは当然だと思うものでも,最初に始めるのはとても難しいものです。
社会理論で絶対に覚えたい5人衆~(番外編)ラウントリー
https://fukufuku21.blogspot.com/2018/04/201804125.html
まずは上記の記事を読みましょう。
それでは今日の問題です。
第22回・問題23 イギリスの救貧法等の福祉制度の発達過程に関する次の記述のうち,正しいものを一つ選びなさい。
1 エリザベス救貧法(1601年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。
2 救貧法改正(1834年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は関与しないことになった。
3 チャールズ・ブース(Booth,C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。
4 「救貧法に関する王立委員会報告」(1909年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。
5 20世紀初頭のイギリスでは,公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な社会改革が進められた。
上記の記事を読めば答えはわかるでしょう。
それでは解説です。
1 エリザベス救貧法(1601年)では,労働能力のない貧民のうち親族による扶養を受けられない者に対して救済策が設けられたが,労働能力のある貧民については対象外とされた。
エリザベス救貧法の救済の対象
・労働能力のない貧民
・労働能力のある貧民
・親が育てられない児童
ということで,労働能力のある貧民も救済の対象です。
2 救貧法改正(1834年)によって,救貧行政の担当が中央政府から地方政府に変更され,中央政府は関与しないことになった。
改正救貧法のポイントは2つです。
・救済基準の全国一律化
・劣等処遇の原則
それまでの救貧法は,教会区によって救済基準がバラバラでしたが,改正救貧法によって,中央政府がかかわることになり,全国の救済基準が統一化されました。
3 チャールズ・ブース(Booth,C.)の『ロンドン民衆の生活と労働』における分析では,ロンドンの民衆が貧困となった原因で2番目に多いのは「環境の問題」であることが判明した。
2番目に多いものを問うか,と思ってしまいますが,これが正解です。
〈貧困の原因〉
第1位は雇用の問題(臨時就労や低賃金など)
第2位は環境の問題(疾病や大家族など)
第3位は習慣の問題(飲酒や浪費など)
4 「救貧法に関する王立委員会報告」(1909年)は多数派報告と少数派報告からなり,多数派報告は救貧法を解体してより普遍的な方策が必要であると主張した。
救貧法に関する王立委員会報告は,多数派報告と少数派報告があります。
そのうち,多数派報告は救貧法を改正することを提言し,少数派報告は救貧法を廃止することを提言しました。
少数派報告は,国民の支持を集め,救貧法廃止につながっていきます。
5 20世紀初頭のイギリスでは,公的年金と失業保険から構成される国民保険法が成立するなど積極的な社会改革が進められた。
世界で初めての社会保険を作ったのは,ドイツです。
失業保険を初めて作ったのは,イギリスです。
国民保険法は,医療保険と失業保険で構成されています。
公的年金ではなく,医療保険です。
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