我が国の戦後施策は,GHQの指導によって推し進められました。
福祉政策も同様です。
我が国の救貧制度で覚えるべき法制度は,恤救規則(1874),救護法(1929),旧・生活保護法(1946),現・生活保護法(1950)の4つです。
そのうち,第二次世界大戦後に成立したのは,新旧生活保護法です。
旧・生活保護法は,GHQによる指令書「社会救済に関する覚書」(SCAPIN775)で示された「国家責任」「無差別平等」「公私分離」「救済費用無制限」の4原則に基づいて成立したものです。
人によって「国家責任」「無差別平等」「公私分離」の3原則と解釈する人もいるので,原則の内容を詳しく問われることはありません。
そのためなのか,実際に法に規定されたのは,国家責任と無差別平等で,公私分離と救済費用無制限は反映されていません。
旧・生活保護法が恤救規則と救護法と大きく違う点は,この2つは救済は国家の恩恵であることを強調していたのに対し,旧法では,国家責任であることを明確に示したことです。
新・生活保護法は,日本国憲法が規定する生存権を保障するものとして,成立したものです。
これによって,ようやく保護を受ける権利が認められました。
それでは,今日の問題です。
第22回・問題58 我が国の現行生活保護法が成立する経過に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 生活困窮者緊急生活援護要綱(昭和20年)は,生活援護を要する者のうち失業者は除外した。
2 旧生活保護法(昭和21年)は制定時,民生委員を市町村が行う保護事務の協力機関と定めていた。
3 旧生活保護法(昭和21年)は,その目的を生活の保護を要する状態にある者の生活を国が差別的又は優先的な取扱をなすことなく平等に保護して,社会の福祉を増進するとしていた。
4 連合国軍総司令部(GHQ)は,覚書「社会救済」(昭和21年)によって,日本政府に生活保護の算定基準に関するガイドラインを示した。
5 社会保障制度審議会の「生活保護制度の改善強化に関する件」(昭和24年)では,生活保護制度を社会保険制度へ転換すべきであると提言した。
正解は,前説で述べたように,無差別平等を示している選択肢3です。
3 旧生活保護法(昭和21年)は,その目的を生活の保護を要する状態にある者の生活を国が差別的又は優先的な取扱をなすことなく平等に保護して,社会の福祉を増進するとしていた。
これでわかるように,「社会救済に関する件」で示された無差別平等は,旧・生活保護法に取り入れられています。
とはいっても,実際には,救護法に引き続いて,怠惰な者は保護しないといった欠格条項が設けられていました。
そういったこともあり,のちに新しい生活保護法が作られることになったのです。
現在は,欠格条項のない「無差別平等の原理」が貫かれています。
それでは,ほかの選択肢も確認します。
1 生活困窮者緊急生活援護要綱(昭和20年)は,生活援護を要する者のうち失業者は除外した。
生活困窮者緊急生活援護要綱は,この国試以降は出題されたことはありません。
歴史的には重要なのかもしれませんが,国家試験では重要視されていないようです。
この要綱の特徴は,失業者も対象に含めたことです。
そのあと,旧・生活保護法が作られたことで,この要綱は廃止されています。
2 旧生活保護法(昭和21年)は制定時,民生委員を市町村が行う保護事務の協力機関と定めていた。
民生委員は
旧・生活保護法 → 補助機関
現・生活保護法 → 協力機関
これは,何度も出題されているので,確実に覚えておきたいです。
4 連合国軍総司令部(GHQ)は,覚書「社会救済」(昭和21年)によって,日本政府に生活保護の算定基準に関するガイドラインを示した。
社会救済(社会救済に関する件)が示したのは,
・国家責任
・無差別平等
・公私分離
・救済費用無制限
の4つです。
GHQが国家責任を示したのは,日本国政府とのやり取りの中で,保護は民間が行うもので,政府はそれを援助するという態度を示していたことに対して,灸をすえるためです。
民間に任せるのではなく,国の責任で行うことを示したのです。
GHQの中心はアメリカですが,そのアメリカでさえ行っていないことを日本で実験したとも言えます。
5 社会保障制度審議会の「生活保護制度の改善強化に関する件」(昭和24年)では,生活保護制度を社会保険制度へ転換すべきであると提言した。
「生活保護制度の改善強化に関する件」が提言したのは,生活保護制度を確立することです。
生活保護制度には,社会保険制度は向きません。なぜなら社会保険制度は社会保険料で運営される制度ですが,保護を必要とする人は,社会保険料を負担できないからです。