今回は,イギリスの福祉の歴史を取り上げます。
イギリスは,世界で初めて産業革命を成し遂げ,世界の工場と呼ばれるほど経済が発展した国です。
しかし,その時代は今と異なり,経済活動の自由が貫き通された重商主義であったために,様々な弊害が発生しました。
今は,その失敗をもとに,イギリスを含めた資本主義の国々は福祉国家に変貌しています。
福祉国家は,資本主義で得られた利益をその仕組みの弊害を解消するために用います。
イギリスの失敗とその変化は,世界の参考となったのです。
それでは,今日の問題です。
第28回・問題24 イギリスにおける貧困対策の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 新救貧法(1834年制定)は,劣等処遇の原則を否定した。
2 慈善組織協会(COS,1869年設立)は,救済に値する貧民に対する立法による救済を主張した。
3 ブース(Booth,C.)は,ロンドン貧困調査から「貧困線」という概念を示した。
4 老齢年金法(1908年成立)は,貧困高齢者に,資力調査なしで年金を支給した。
5 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,「社会保障計画」を提唱した。
歴史問題は難しいですが,この年の問題は,比較的解きやすいものとなりました。
その理由は,答えがすぐわかるからです。
正解は選択肢3です。
3 ブース(Booth,C.)は,ロンドン貧困調査から「貧困線」という概念を示した。
何のひねりもなく,参考書に書かれているのと同じように出題しています。
ブースの貧困調査の結果,実にロンドン市民の3割が貧困線以下の生活を送っていることが明らかとなりました。
ブースは,貧困は怠惰などの理由によるものだと考えるタイプの企業の経営者でした。それはそのころの一般的な考え方です。
そのころ,人々が貧困に陥るのは,環境などの原因によるものだという考えを否定しようと貧困調査を行ったところ,逆にその考え方を肯定することとなったのです。
1 新救貧法(1834年制定)は,劣等処遇の原則を否定した。
新救貧法は,救済基準の全国一律化と劣等処遇の原則などが特徴です。
2 慈善組織協会(COS,1869年設立)は,救済に値する貧民に対する立法による救済を主張した。
COSは,貧民を「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に分けて,救済に値する貧民を救済しました。
救済に値しない貧民は,救貧法が救済しました。
この役割分担を「平行棒理論」といいます。
4 老齢年金法(1908年成立)は,貧困高齢者に,資力調査なしで年金を支給した。
老齢年金法は,社会保険方式ではなく,税負担による社会扶助方式が採用されました。
そのため,給付には,資力調査(ミーンズテスト)が実施されました。
5 ウェッブ夫妻(Webb,S.&B.)は,「社会保障計画」を提唱した。
社会保障計画を提唱したのは,ベヴァリッジ報告です。
ウェッブ夫妻が提唱したのは,ナショナルミニマム(国家による最低限度の生活保障)です。