障害のある人の生活を障害のない人の生活に近づけること。
このように解説されることが多いと思います。
1950年代のデンマークで,バンク-ミケルセンが知的障害児の親の会と一緒に処遇改善を求めた運動がノーマライゼーションの始めです。
その後,デンマークの1959年法にノーマライゼーションが規定されます。
日本と重ねてみると,その次の年の1960年に精神薄弱者福祉法(現・知的障害者福祉法)ができて,入所施設としての精神薄弱者援護施設が規定されます。
その後,大規模コロニーが建設されていきます。
身体障害者福祉法では入所施設がつくられませんでしたが,精神薄弱者福祉法では施設が中心となったのは対照的です。このあと,重症心身障害児施設,重度身体障害者施設ができます。
因みに重度と重症の違いは,
重度は一つの障害の程度が重いこと,重症は複数の障害の程度が重いことを表します。
その後の「社会福祉施設緊急整備5か年計画」(1970)で,施設整備が進み,身体障害者福祉法でも,1972(昭和47)年に,生活施設としての身体障害者療護施設ができます。
大規模コロニーは,障害者を隔離するものではありませんが,実際には町の中心部に広い土地を確保するのは厳しいために,郊外に建設されました。
デンマークでノーマライゼーションが生まれたあと,スウェーデンのニィリエが「障害者のノーマルな生活とは何か」を示した「ノーマライゼーションの8つ原理」を発表します。
そのあと,北米では,ヴォルフェンスベルガーが,生活だけではなく,文化的・社会的な役割にも着目した「ソーシャルロール・バロリゼーション」を提唱します。
これらによって,デンマークで生まれたノーマライゼーションは世界に広まっていきました。
日本では,今まで述べてきたように,施設中心の施策が進められてきました。
自立生活運動(IL運動)が日本に紹介されたこともあり,施設ではなく地域生活を送る動きが出てきます。
日本でノーマライゼーションが広まったのは,1981年の国際障害者年の実施です。
国際障害者年のテーマは「完全参加と平等」です。完全参加とは,社会生活への参加と政策決定過程への参加,平等は健常者と平等の生活を送ること,社会の利益の平等な配分を受けることを指します。
この後に,国連・障害者の十年,それに続くアジア太平洋障害者の10年で障害者施策は,日本国内のものではなく,世界規模で進んでいくことになります。
この動きの中で,障害者の地域移行,障害者への差別禁止などが進められました。
それでは今日の問題です。
第27回・問題56 障害児者福祉制度の歴史的展開に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 精神薄弱者福祉法(1960年(昭和35年))において,ノーマライゼーションの促進が目的規定に明記された。
2 重度精神薄弱児扶養手当法(1964年(昭和39年))の制定当初から,重度身体障害児も支給対象とされていた。
3 国際障害者年(1981年(昭和56年))を契機として,重症心身障害児施設が制度化された。
4 障害者自立支援法(2005年(平成17年))により,身体障害者福祉法は廃止された。
5 「障害者差別解消法」(2013年(平成25年))では,「障害者」について,障害者基本法と同様の定義がなされた。
分かるものと分からないものがあると思います。
正解は,選択肢5です。
身体障害,知的障害,精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害がある者であって,障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
とされています。
それでは,ほかの選択肢も確認していきます。
1は,精神薄弱者福祉法では,精神障害者援護施設が規定されます。
この時代は施設中心の施策が進められていきます。
ノーマライゼーションの考え方が日本で広まっていくのは,1981年の国際障害者年以降です。
2は,重度精神薄弱児扶養手当法は現在の特別児童扶養手当法のことで,1964年の法の成立当時は,法の名称どおりに重度精神薄弱児を対象としていました。
重度身体障害児を対象に含めたのは,1966年の法改正です。
その時に現行の法律名に変わっています。
3は,重症心身障害児施設は,1963年の島田療育園(現・島田療育センター)から始まり,1964年のびわこ学園等が設立されて,1967年の児童福祉法改正で規定されました。
この流れは知らなくても,ノーマライゼーション思想と施設志向は逆のものと言えるので,重症心身障害児施設の制度化は国際障害者年が契機とはならないことは何となくでも分かってほしいと思います。
4は,身体障害者福祉法も知的障害者福祉法も精神保健福祉法も現存します。