関東大震災は,大正12年(1923年)9月1日に発生しました。
死者・行方不明者を合わせて10万人を超える明治以降では,最大の自然災害となりました。
震災そのものよりも震災によって生じた火災によって亡くなった人の方が多かったと言われています。
震災の前年の大正11年(1922年)に健康保険法ができましたが,震災による財源不足もあり,施行されたのは,昭和2年(1927年)となりました。
関東大震災では先述のように,火災による被害が多かったことにより,不燃構造の集合住宅の建設を目的とした財団法人同潤会を設立して,アパートを設立していきました。
東京の古い人は覚えているかもしれませんが,表参道にあった青山アパートもその一つです。とても立派なもので,平成15年(2003年)まで現役でした。
同潤会と言えば,このような中間層向けのアパート建設で知られますが,同時に低所得者向けの住宅対策も行っています。
民間の活動としては,人命救助や物資の配給,職業紹介などを行った方面委員令(昭和11年・1936年)に規定される前の方面委員の活動も見逃せません。
また,東京帝国大学セツルメントが活動します。
関東大震災は辛い経験だったと思いますが,その後の日本を作り上げていく面での転機になったのかもしれません。
それでは,今日の問題です。
第32回・問題32
日本の地域福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
1 隣保館は,日露戦争を契機として国による一元的な管理体制に移行した。
2 中央慈善協会は,全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の組織化を図ることを目的として設立された。
3 共同募金会は,関東大震災によって被災した人々を援助するために政府の呼び掛けによって設立された。
4 方面委員制度は,岡山県で発足した済世顧問制度を始まりとし,後に方面委員令により全国的な制度として普及した。
5 市町村社会福祉協議会は,戦後間もなく,社会福祉事業法の制定時に法制化された。
難しい内容のものが含まれますが,正解は,とてもスタンダードなものとなっています。
この問題は,正解したい問題だと言えるでしょう。
それでは解説です。
1 隣保館は,日露戦争を契機として国による一元的な管理体制に移行した。
隣保館は,セツルメントハウスの日本語訳です。
隣保館は,現在でも社会福祉法の第二種社会福祉事業に規定されています。
管理されるということは,逆に守られることを意味します。
東京帝国大学セツルメントは,独自に設立して活動しました。
しかし,日中戦争の始まりとともに制約を受けることになり,昭和13年(1938年)に活動を終えることになりました。
岡山博愛会は,今でも存続して活動しています。こういったところから,一元的な管理体制になったのではないということが推測できそうです。
2 中央慈善協会は,全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の組織化を図ることを目的として設立された。
中央慈善協会は,現在の全国社会福祉協議会の源流の一つとして,明治41年(1908年)に設立されました。
設立の目的は,慈善活動を行う団体の連絡を行うことなどです。
3 共同募金会は,関東大震災によって被災した人々を援助するために政府の呼び掛けによって設立された。
関東大震災後の救援には,前説のようにさまざまな団体などが活動します。
しかし,共同募金会が設立されたのは,戦後のことです。
4 方面委員制度は,岡山県で発足した済世顧問制度を始まりとし,後に方面委員令により全国的な制度として普及した。
これが正解です。
方面委員制度は大阪府で,岡山県の済世顧問制度とは別のものではないかと思う人もいるかもしれません。
そのために,この出題をしたのではないかと思います。
別々の経緯で,それぞれの自治体によって作られたものです。法的に位置づけられたのは,方面委員令です。
戦後,民生委員令で民生委員となり,現在は,民生委員法で規定されています。
5 市町村社会福祉協議会は,戦後間もなく,社会福祉事業法の制定時に法制化された。
社会福祉協議会は,GHQの指導によって設立したものです。
その後,昭和26年(1951年)の社会福祉事業法によって,法定化されています。
しかし,この時点で法定化されたのは,都道府県社会福祉協議会と現在の全国社会福祉協議会です。
市町村社会福祉協議会は,同法の昭和58年(1983年)の改正によって法定化されました。
〈今日の注意ポイント〉
社会福祉協議会の法定化
社会福祉協議会は,都道府県組織と全国組織が先に法定化され,市町村組織は後から法定化されています。